■ sky high
 そこは思っていたよりも古臭くて、思っていたよりも土臭かった。インターナショナルスクールというからには、一歩踏み込めばそこは異国の地だとばかり思っていたのに。意外な肩透かしに、それでも実はほっと気を緩めて、土屋は校舎の入り口をくぐった。
 入り口でまず対応してくれたのは、栗毛の若い女性教諭だった。他にも何人かの教師と思しき人間が入り口に立ち、それぞれ学年ごとに名簿と照らし合わせながら入校証と数枚のプリントを渡してくれた。自分が子供のころとはだいぶ様変わりしたものだと、しみじみ感じながらも物騒な今のご時勢、こうした検問は仕方ないのかとも思い返す。
 自分の名前を名乗っただけでは怪訝そうな顔をされてしまったので、追加で子供の名前を告げた。すると、彼女はもともと大きな瞳をぱちくりと瞬かせ、華やかに笑って「ようこそ」と歓迎してくれた。
 別に拘束力はなくて、自由に校内を見学してもいいらしい。我が子の姿を見るだけでなく、取り巻く環境すべてを見てもらうのが目的だからと、彼女は笑った。自分は次の時間、彼の選択している授業を受け持っている。彼はとてもいい子だから、見に来てくれればきっと誇らしく思うはずだ。続けざまに告げられた言葉にむずがゆさを感じて、土屋は小首を傾げて曖昧に微笑んだ。その仕種を目にしたとたん、目を見開き噴出しながらよく似ているとしみじみ呟かれて、土屋はどうすればいいのかがわからなくなった。
 もう一度手元に視線を落とし、地図を見ながら現在地と目的地を確認。しんと静まり返った廊下を、さわさわと人の移動する音が行き交う。そこに紛れて足を進めて、目指すは南校舎三階の教室だ。


 せっかく誘いを受けたから、中心的に見るのは次の時間の授業にしようと決めて、目的地までは寄り道を繰り返すことにした。通りすがりの教室を覗き、時に和気あいあいと、時にごく真剣な表情で、授業を受けている子供たちを見て回る。授業のスタイルは各教師の裁量にほぼゆだねられているのか、教室が違えば雰囲気も大きく違い、感心しながら土屋は廊下をゆっくりと歩いた。
 Jを引き取り、学校はさて、普通の公立校がいいのか、それともインターナショナルスクールのほうがいいのかと悩んだ折に、当時の様子をかんがみればまず奇跡的とも言っていいほどの積極さをもってこの学校を希望した子供の本心が、どこにあったかをわからないほど土屋は鈍くないつもりだ。
 実に気の回る大人びたあの子は、土屋が話をそれとなく匂わせた三日後にはさっさと自分の足で学校へ赴き、編入試験と奨学金試験の説明書をもらってきた。前者は素直に手渡され、できることならこういう学校の方が気が楽でいいと、言葉少なに告げられた。外観はどうしたって変えられない。言語に関してもこちらがいいと、意外な事実を知らされて、土屋はすぐさま頷いていた。
 後者の書類の存在を知ったのは、それから一月後のこと。ほとんどの手続きを自分でさっさと進めてしまい、必要時に必要書類にちょこちょこと手を加えるだけで、土屋はほぼノータッチのままJは学び舎に足を向けはじめた。よく考えれば私立校だし、だったら学費がいるのかと、当然の事実に気づいてようやく、Jが奨学金をとっていることを知り、そうかそういうことでもあったかと、深い自己嫌悪に陥ったことはいまだ鮮やかな記憶である。
 今までも機会がなかったわけではないが、学校行事で敷居が低くなるときには、何かと用事が立て込んでしまい、結局中に足を踏み入れたのは今日が初めてだ。上向きで明るくて、物事を学ぶにはいい環境だと思う。子供を預けるのに適したところでよかったと、半年越しにようやく適った学校訪問に、土屋はほっと息を吐き出した。


 チャイムが鳴り響くと、そこかしこの教室から人波が溢れてきた。移動教室のためだろう、数人ごとのグループを作って廊下を小走りに行く子供たち。窓際で雑談に興じる子供たち。親の顔を見つけたのか、挨拶をしたり友人を紹介したりしている子供たち。
 微笑ましく見守りながら、いい加減目的地に向かうべく階段の踊り場にさしかかれば、耳慣れた声が土屋を呼び止めた。振り向いた先には、男女入り混じる集団の中から、するりと駆け抜けてくる見慣れた影。
「博士」
 傍近くに駆け寄って、Jは土屋を見上げてにっこりと笑いかけた。
「いらしてたんですね」
「来ないわけがないだろう」
 確認口調で話しかけられ、土屋は軽く眉を跳ね上げた。混ぜ返しながら目許を和ませ、ああ本当にこの子は、と思う。こんなにも聡明なのに、この子は本当に、自分に向けられる思いにはどうしてこうも鈍感で自信がないのかと。
「友達かい?」
「クラスメイトです」
 興味深げに自分に注がれる視線に気づき、顔を上げて土屋は短く問いかけた。Jが抜け出してきたグループの子供たちは、いまだ元の場所にとどまり、会釈を送った土屋にそれぞれ笑顔と会釈を返してくれる。そして、その中からひとりの少女の気遣わしげな声がJを呼び、異国の言葉で「代わりに行っておこうか?」と提案が投げかけられる。
『大丈夫、すぐ行くよ。みんなは先に行ってて』
「何か、忙しいのかな?」
「次の授業で必要なプリントを取りに行くんです」
 異国語には異国語で、日本語には日本語で、器用に答えながらJは踵を返しかける。


「次、教室にいらっしゃいますか?」
「もちろん」
 そのために来たんだからね、と、笑って土屋はJの肩を押してやる。そわそわと心配そうな空気を振りまく少女に苦笑を送り、「待たせるものじゃないよ」と悪戯っぽい声で一言。
「じゃあ、またあとで。よければ一緒に帰りましょう?」
「うん、そうしようか。さあ、とにかく行ってあげなさい。あんなに心配そうじゃないか」
「はい」
 先に行っているようにと促されたのに、結局全員その場に残っていた友人の許に駆け戻ると、Jは困ったように土屋とJを見比べている少女の手をとり、一、二言を言い置いて足早に廊下の奥へと消える。
 楽しそうに、仲良くやっているではないか。不器用で引っ込み思案なところもある子供に、実のところ学校でうまくやっているのかとの不安が常に晴れなかった土屋は、穏やかに目を細めてその背中を見送る。
『Jの、お父さん?』
 と、かけられた見知らぬ声に、土屋はくるりと振り返る。いつの間に近くまでやってきていたのか、先ほどまでJを待っていてくれた子供たちが土屋を見上げていた。
『違うけど、似たようなものだよ。はじめまして』
 流暢な英語で返されたことに驚きの声がまず上がり、それから続けざまにぱらぱらと会釈が送られる。微妙な表現を使った自覚はあったが、そこに関する深い疑問は投げかけられなかった。
『教室まで行くなら、一緒に行こう。あいつ、今日ずっと落ち着きがなかったんだ。こっそりいろいろばらしておきたい』
『グレイス! もっと丁寧な言葉を使いなさいよ!』
 はじめに口を開いた少女の横から別の少年が口を挟み、その少女にたしなめられる。どこでも似たような光景が繰り広げられるものだと、思わずよく知った赤と青の元気な兄弟を思い起こしながら、土屋は仄かに微笑んだ。
『かまわないよ。それより、いろいろ話を聞いてみたいな』
『任せとけって!』
『グレイス!!』
 じゃれるように足元にまとわりつく子供たちと共に移動しながら、土屋はにこにこと笑い続ける。知らなかった子供の側面を知り、くすぐったく、誇らしく、嬉しくなる。


 教室に到着し、それぞれ席に散っていこうとする子供たちの背中に、土屋は思わず口を開いた。
『仲良くしてくれて、ありがとう』
 驚いたように目を見開いていた子供たちは、顔を見合わせて笑いあい、それから代表してグレイス少年が咳払いをひとつ。
『仲良くさせてくれて、ありがとう』
 少し上ずった声には、教室の前方でプリントを配るよ、と張り上げられたJの声が被さった。先ほどの少女と一緒に数えては手近な人間に渡し、次の授業までの宿題だと説明を追加すると、教室中から明るいブーイングが上がる。
 照れくさそうに笑って今度こそ席に散っていった子供たちがひときわ派手な文句を言うと、じゃあわからなくて泣きついてきても今度は知らないからね、と無情な一言。大袈裟に芝居がかった動きでグレイス少年が泣き崩れると、教室は笑いの渦で満たされる。
 くるくると表情を変えながら、楽しそうに鮮やかに笑う姿を見て、土屋はそっと、口の中で同じセリフを繰り返す。この空間に集うすべての子供たちが、たまらなく愛しくて仕方がなかった。
fin.
BACK        NEXT

 突き抜けるような青。
 吹き抜けるのは白。
 君たちの姿に、私は限りない自由と果てしない誇り高さを見たんだよ。

timetable