■ 接続不良
 いい加減そろそろ、いつものことといえるだけの経験値は積んできたのだが、どうしても、リョウは驚きを禁じえなかった。
「……もう一度、言ってもらっていいか?」
「何を?」
 慎重に、聞き間違えであることを祈ってたった数秒前の会話の再現を依頼したのだが、依頼相手であるJにはうまく通じなかったらしい。きょとんと心底不思議そうに首を傾げられ、リョウはもう少し噛み砕いた表現を探る。
「いま言ったセリフを、だ。お前、相当過激な言葉を使っていなかったか?」
「不備って言葉、使い方間違ってた?」
「いや、意味はあっているんだが」
 条件を細かく絞られ、逡巡を挟み返された言葉はやはりリョウの聞き間違えではなかった。不安げに聞き返され、逆に困ってしまうのもまたいつものこと。ひとつと息を逃してざわつく心をなだめると、リョウはその場に座り込み、Jにもまた座るようにと促した。


 いいか、と。前置きはざっくり省き、おとなしく隣に座り込んだJの双眸をじっと覗き込む。
「まず、不備という言葉はあまり人に対して使うものじゃない」
「そうなの?」
「そうなんだ」
 意外そうに目を見開かれ、予感が当たっていたことを確信すると同時に、じくじくとこめかみの辺りが痛むのを感じる。Jに悪気は一切なく、それは嫌というほどよくわかる。思ったことを思ったまま、素直に口にしてくれるようになったのは心を許してくれた証拠なのだろうから、嬉しいとも思う。しかし、口数が増えたその分、それまで表面化することのなかったJの困った癖が見えるようになった。
 周囲とろくに会話をすることなく長い時間を過ごしてきた弊害なのか、Jの言葉遣いは時に、とんでもなく突飛な方向へ飛ぶことが少なくなかったのだ。
 過激な発言をされ、驚いて真意を質してみれば、何のことはない些細なことを適切な言葉で表現することが適っていないだけの話だった。時に土屋が、烈が、藤吉が丁寧に解説をしては訂正して歩くその仕事を、リョウもまた多少は分担しているのである。
 いったいどう説明したものか。なまじ頭が良い分、下手な解説をしようものならリョウでは即時の判断をつけがたい、更に難解な表現を持ち出されかねない。そもそも、リョウは長々とした説明を他人にするのは、どちらかといえば苦手である。慣れない作業のために必死に思考回路を稼動していれば、横合いからひっそりと溜め息が落とされる。
「ごめんね」
 続けて鼓膜を打ったのは、苦しそうな謝罪の文句だった。



「何を謝っているんだ?」
「リョウくんを困らせていること」
 なんとなく、気配りの細かすぎるこの友人なら何を根拠にそんな言葉を紡いでいるのかの検討はついていたが、リョウはあえて言葉にさせる。返ってきたのは予想通りの理由であり、それこそリョウは、深々とため息をつく。
「あのな、いつも言っているが、迷惑だとかそんな風に思ったことはないぞ?」
「でも、びっくりさせてるし、困らせちゃってるよね。だから」
 抱え込んだ膝に顎を乗せ、Jはそっと視線を伏せる。
「うまく繋がらないんだ」
「繋がらない?」
「そう。言いたいことと、言っていることが」
 なんと慰めればいいのか、リョウが言葉を探しあぐねているうちに、話は勝手に先へと進められていた。いままでも、言葉遣いを直されるたびに悲しそうな表情や申し訳なさそうな表情を見せていたが、Jが自分からその癖に関するコメントをするのははじめてのことだった。豊富だろうがうまく機能していない語彙から必死に言葉を漁る様子に、リョウは沈黙を保って先を待つ。
「思ったことを言葉にするのは、とても難しい。より的確な言葉を探して使おうと思うんだけど、どうしても、ボクの言いたいこととその言葉のニュアンスは一致しないみたいなんだ」
「そんなの、誰だってそうだぞ」
「ボクの場合は、そのずれ具合が酷すぎるんだよ。きっと。だから、リョウくんとかみんなをびっくりさせちゃうんだと思う」
 ゆるりと瞬きながら呟くような声の大きさで、Jはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「さっきもね、そんな過激なことを言うつもりじゃなかったんだ。ただ、今日の豪くんの走り方は、荒っぽいっていうか、あまりにも全体のばらつきが大きいと思った。それを一言で表現したら、『不備』っていう単語が出てきたんだ」
「まあ、言いたいことはなんとなく通じてはいるんだがな」
 本人の申告通り、少々単語の選び方に問題があるだけで、Jの言い分はよくわかる。日ごろから接していればこそ、他意も裏も含みもなく、まっすぐな気持ちで相対していることも知っている。だから、誤解することはないし多少の表現の過激さで、Jという人間を疑うこともない。しかし、それゆえに惜しいと思うのだ。Jを良く知らずに誰かが会話をしていれば、きっといらぬ誤解をあちらこちらで招くだろうことは明白であったから。


 悪意がなかったとはいえ、結果としては失言となってしまった己のセリフにうなだれているさまに、リョウはやわらかな溜め息をこぼした。責めたいわけではないし、自覚症状があるなら改善もまた早いだろう。慰める思いをこめてぽんぽんと、頭を軽く叩いてやる。
「焦ることはない。俺たちはお前に悪気がないことは知っているし、言いたいこともわかっている。だから、気づいたことがあればひとつずつ指摘するから、お前もひとつずつ語彙を増やしていけばいい」
 簡単なことだ。そう、軽やかに言い切ってやれば、自信なさげな視線がちらりとリョウを見上げてくる。
「それに、お前と話していると、そういう表現もあったかとこっちが勉強になることも多いんだ。お互いさまだろ? だから、あまり気に病むことはない」
「それでいいの?」
「少なくとも俺は、お前のとんでもない発想の言葉を聞くのは、なかなか楽しいと思っているからな」
 笑いながらもう一押しとばかりに頭を強く撫でさすってやり、リョウはするりと立ち上がった。タイムアタックをしていた豪がマシンを止め、危険な空気を撒き散らして烈といがみ合っているのが見える。早めに止めに入らないと、なぜだか今日は烈もはじめからぴりぴりしている感があったから、手に負えなくなってしまうだろう。
「止めに入るぞ。今日の練習はこの辺が限界だな」
「不穏な感じだね」
 くいと指で示してみせれば、それまでの落ち込み具合を切り替えて、Jもまたすっくと立ち上がる。柳眉を潜めてぽつりと呟き、それから気づいたようにリョウへと視線を滑らせる。
「今のは大丈夫?」
「適切な表現だな」
 歩き出しながら肩をすくめて笑ってやれば、Jもまた小さく笑声をこぼし、目元をふんわりと和ませる。それから、半歩遅れてリョウの後に続くのだった。
fin.
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 繋がらない配線ゆえに、接続不良を起こして立ち止まるボクはB級アンドロイド。
 途切れてしまった配線を繋ぎなおし、何度でも助け起こしてくれるエンジニアは君。
 だからボクは、安心していろいろな配線を試すことができるんだ。

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