■ ちくわぶ記念日
 それは、彼の何気ない質問から始まった。
「ねえ、ちくわとちくわぶって、何がどう違うの?」
「は?」
 土屋研究所は練習コースにおける一場面だ。


 全員が一通りタイムを取り終え、次のレースのためセッティングをテクニカル攻略用に工夫している中での発言。あまりに脈絡のないチームメイトからの唐突な問いに、リョウはきょとんと目を見開いて、メンテナンスの途中だったマシンを机に置いた。
「Jくん、どうしたの?」
 だが、彼の言葉に驚きを禁じえなかったのはリョウだけではなかった。コキコキと音がしそうなぎこちなさで首を回した烈が問いかければ、Jは至極真剣な表情で重々しく口を開く。
「最近寒いし、今夜のおかずはおでんにしようと思ったんだ。それで、具を考えているんだけど」
 今日は、みんなで泊り込みで簡易合宿である。昼はいいのだが、夕食ともなれば食堂のおばちゃんたちが帰ってしまうため、合宿をする日はなんとなく、当番制で食事を作るのが彼らの常となっていた。
 そして今回は、Jの担当なのだ。
 ダイコン、ねりもの、それからそれから。だが、本を調べてみてちくわとちくわぶはかなりの確率で登場するのに、その存在は両方だったりどちらかだったりする。似たような名前なのに、扱い方もけっこう違う。そこで、ふと気になったらしい。
「で、ちくわとちくわぶってどう違うの?同じものじゃないんだよね?」
「まあ、練り物であるとくくれば同じだな」
「でも、あんちゃん。ちくわぶの方がやらかいだすよ」
「あれって、色と大きさがちょっと違うだけなんじゃねーの?」
「わかってないでげすなあ、豪くん。原料も製法も違うんでげすよ。だいたい、味も舌触りも、まるで別物じゃないでげすか」
 なんとなく話が弾みはじめる。しかし、Jの求める答えは返ってこない。
「Jくん、ちくわぶの入ったおでんを知らないんだ?」
「……そもそも、おでんって食べたことない気がするんだ」
 だからわからないんだよね、とのんびり記憶の糸を手繰っていたらしい少年が答えれば、チームは一丸となって驚きの声を上げる。日本人にはとても見えない外見の彼の日本暮らしが実は相当長いことを知っているだけに、それは新鮮な衝撃だったようだ。
「おでん、わからない?」
「野菜とか練り物を煮込んだ料理だよね。和風のポトフみたいなものでしょう?」
 烈に問われて答えるJは、知識はあるんだよ、と苦笑い。
 その様子になにを思ったのか、烈は首をめぐらせてリョウに向き合うと、今夜の担当交代を依頼する。
「今夜はおでんで決定。ちくわとちくわぶって、両方入れてもいいものだよね?」
「ああ、まったく問題はない」
 手間を面倒がるわけでもなく、あっさり首肯したリョウは、事態の急展開についていけずにきょとんとしているJを尻目に、烈とぽんぽんと打ち合わせを進める。チームリーダーからの確認口調の問いに対して、好みの問題だと断じたビクトリーズの料理の鉄人、リョウは、そのまま深く頷いて双方を入れたおでんの製作を宣言する。
「今日は、Jくんのおでん初体験記念日だよ」
 ふふ、と烈は実に楽しげに笑い、リョウはちょうどやってきたチーム監督兼Jの保護者である土屋に、夕食の買出しに行きたいので練習を早めに抜けさせてほしいとの旨を切り出す。快い承諾を受け、リョウは満足げな表情で、中断していたメンテナンスを再開する。
「……で。ボクは、ちっとも最初の疑問を解決していない気がするんだけど」
「実際に食ってみれば違いなんかすぐわかる」
「そうだね。百聞は一見にしかずって言うし」
 反論する暇もなく、いつの間にやら今夜の夕食当番を降板させられたJが、そもそものきっかけを思い出してぼそりと疑問をこぼせば、両サイドから軽やかな言葉が返ってくる。
 彼らの言葉には一理ある。それは確かだが、そんなものでいいんだろうかと、首をひねるのは禁じえない。
「まあ、いっか」
 それでも、あまり深く悩みすぎても仕方ないので、彼は友人のくれた答えで納得することにする。豪と籐吉と二郎丸は、少し論点をずらし、ちくわとちくわぶのどちらの方がよりおいしいかで議論に火花を散らしている。事情を飲み込めていない土屋にかいつまんで事の顛末を説明する烈の声を聞き流しつつ、夕食で初体験することになるおでんとやらがおいしいことを願い。Jは心地よい喧騒の中、料理人の腕と実績から、きっと絶品のおでんを食べられるだろうことを正しく予感する。
 たとえ仮にそれがまずくても、こうして自分のなにげない一言のために食事当番の交代を提案してくれる友人がいて、それを快く引き受けてわざわざやはり友人が作ってくれるのだから、どんな味がしようと、おいしくいただける自分を、Jは知っている。


「ボクって、幸せものだよね」
「こんな程度の幸せでいいなら、いくらだって提供するぞ」
 周囲のやさしさに感じたくすぐったいような思いを笑みに変えて口元に刻む。呟いた声はひとりごとになるはずだったが、隣で鋭く聞きつけたリョウの、低い声がやわらかく応じてくれる。それがやはりくすぐったくて嬉しくて、素直に唇から零れ落ちた礼の言葉には深い微笑を返される。やっぱり幸せだなあ、と内心で呟き、Jは再び、手元のマシンへと視線を落とすのだった。
fin.
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 今日はおでんの初体験記念日。
 今日はちくわぶ記念日。
 今日は、君たちのやさしさに改めて気づくことのできた記念日。

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