■ ギフト・ボックス
きっかけは、いつでも元気な青い髪の少年の、珍しく殊勝な一言にあった。
「なー、Jはさあ、博士に何あげる?」
「突然どうしたの、豪くん?」
いつものようにありあまる元気で見事なコースアウトを決め、兄からの痛烈な嫌味にぐうの音も出ず、小さくうずくまった位置からの脈絡のない話題。
話が唐突なのは豪の常なので、いい加減免疫のできてきたJは気にしない。それでも、その話題がどこに端を発しているのかをつかみあぐね、わずかに首をかしげる。
「だってさ、もうすぐ父の日じゃん」
「そうだっけ」
部屋の隅にかかっているカレンダーに目をやれば、第三日曜日はすぐそこだ。
ようやく話の背景に追い付いたJを知ってか知らずか、豪は手を止めないまま続ける。
「烈兄貴がさ、今年はまっとうなもん用意しろってうるさいんだ」
いかにも烈らしい台詞だと、Jは口元がほころぶのを禁じ得ない。そしてついでに、沸いてきた他愛のない疑問を舌に載せる。
「いつも、何をあげてるの?」
「肩叩き券」
豪の返答は、実にシンプルだった。
世俗に疎い自覚のあるJでも、それがいわゆる子供から大人への贈り物として、ポピュラーな一品であることは知っている。経済力のない立場から渡せるものは、労力ぐらいなものだ。
微笑ましい贈り物なのではないかと、傾げた首の角度をますますもって深めていくと、ソニックを手にした烈がやってきて一言。
「有効期限は渡すその寸前まで、っていうのじゃなければ、僕も文句は言わないんだけどね」
「兄貴っ!!」
「豪くん、それはちょっと」
容赦ない烈の指摘に、Jは同情の余地を塗り潰す。渡された瞬間には効力の切れている肩叩き券を渡されるぐらいなら、何も渡さない方がまだましな気もする。
「そんな “肩叩き券もどき” を渡すなら、小さくてもいいから、お酒のおつまみとかを買う方がよっぽどマシだ。ね、Jくんもそう思うよね?」
「気持ちが大切なのは確かだけど、気持ちはある程度形にしないと、伝わらないからね」
「だって、仕方ないだろー。こづかいがないんだから」
「お前が無計画に使いまくるからだろ!!」
唇を尖らせた豪の頭上に、怒れる烈からの鉄拳制裁が炸裂する。あまりの正論オンパレードにまるで言い返せない豪は、うなだれ、そのまま付随してきた小言に耐えている。
「まあ、使えない肩叩き券は、もらっても嬉しくないでげすな」
「ある意味、一番豪らしいんじゃないか?」
「しょーのないやつだす」
ただ苦笑してその様を見守るしかできないJの背後から、三者三様の声が降ってくる。笑む表情はそのままに、振り向けばコースにいたはずの仲間たちが、いったいどこから話を聞いていたのか、やはり兄弟のやりとりを眺めている。
「みんなは、父の日には何をあげるの?」
ふと興味を覚えて問いを投げ掛ければ、個性に溢れる答えが返ってくる。
「わては、むしろ豪くんに似てるでげす。パパからの希望で、家族でのんびりするんでげす」
「うちは実用品だな。去年は腕時計だった」
「今年はどうするだすか?」
「早く考えないとな」
二郎丸にまとわりつかれるリョウは、双眸をやわらげて微笑む。そして、ぽんぽんと弟の頭を撫でさすっていたその表情のまま顔を上げ、星馬家の二人とは対極にある兄弟の様子を和んだ様子で眺めていたJへと視線を転じる。
「で、お前はどうなんだ?」
「そうだね。どうしようかな」
誰がなんと言おうと、土屋はJにとって父親に等しい存在だ。
誰よりもいとおしんでくれるその存在は、誰にも代わりを務められない、唯一無二の大切な家族。ただ、彼に対する情愛が募るほどに、わがままと知りつつも不安に思う。自分のこの思いが、一方通行であるのならば悲しいことだと。
「何をしても、ものすごく喜んでくれると思うでげすよ」
「だろうね。ボクもそう思う」
土屋は無類の子供好きだ。自分に限らず、誰によってもたらされるどんなに些細なことでも、彼の喜びに繋がるのは確かだろう。
「愛されてるだすからな、Jは」
「そうだな。眩しいくらいの親子っぷりだ」
笑いあう鷹羽兄弟に、藤吉がしたり顔で頷く。どうやら自分と認識のずれがあるらしい友人たちに、Jは目を瞬かせることしかできない。
「親子に、見える?」
「それ以外のなんだっていうんだ? そんなに自信ないなら、あの二人にでも聞いてみろ」
どれほど激論を戦わせている最中でも、きっと声をそろえて肯定してくれるから。
おずおずとJが問い掛ければ、いまだ終結せず、それどころか悪化の様相を呈している兄弟喧嘩を示し、リョウが呆れたように肩をすくめる。そして視線の先には、噂の人物がやってきて、いつもの兄弟喧嘩に微苦笑を湛えている。
「烈くんも豪くんも、今度はどうしたんだい?」
「博士、兄貴に言ってやってくれよ! 絶対おれのマグナムの方が速いって!」
「関係ない人を巻き込むんじゃない!いいぜ、そこまで言うなら勝負してやる!!博士、スターターやってください」
「え? あ、ああ……」
いつのまにか当初の話題など忘れてしまったらしい二人に引きずられ、土屋は困惑の中にも笑みを絶やさないまま、素直に依頼をこなしている。
「他のどんな記念日の贈り物より、 “父の日” の贈り物を喜んでくれると、俺は思うがな」
ひやかしに行く藤吉と二郎丸に困ったような笑みを向け、リョウとJもまた、勝負の行く末を見届けようと、場所を移動する。
歩きだそうと、一歩踏み出したリョウの背中にJが続こうとした瞬間。小さく振り返ったリョウが、やわらかな声でそんなことを告げた。
穏やかな口調の中で強調された形容詞に、Jは淡く笑みを返す。
そうだといい。そうでなくとも、父の日ギフトを彼に贈ろう。それがいい、と、Jはひとり笑みを深める。
精一杯の感謝と尊敬と、息子としての自分から、父親たる彼への伝えきれない情愛をこめて。父の日を祝おう。
fin.
かこつける理由など、どんなに些細なものでも良い。
あなたのために、僕から出来ることはなんだろう。
いつの間にか、少年の思考の大半が常にそれに割かれるようになった、幸せな変化を。
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