■ サンタの憂いとトナカイの慰労
 クリスマスプレゼントに、何をサンタにねだったか。
 そう唐突に聞いてきたのは、いつでもどこでも唐突な行動と言動が売り物の豪だった。
 興味津々の様子で待っていた豪は、しかし、きょとんとしてなかなか応じないJの返事を聞くよりも先に、自らの口を再び開く。自分はゲーム機をねだったのだという話をして、Jが耳に覚えのあるその単語にようやく相槌を返せば、ついでにそのソフトの話へと飛ぶ。でも、クリスマスにはひとつしかプレゼントを願えないから、欲しくて仕方ないソフトはお年玉をもらうまでお預けであり、残りが少なくなるだろうことが必至のお年玉から、いかにしてパーツ代を捻り出すかが悩みどころ。
 大真面目な表情で語る豪は、セッティングをしているときよりも、もしかしたら真剣さの度合いが上のようにJには見受けられた。それだけクリスマスが楽しみなんだなあ、とぼんやり考えれば、自然と表情筋が緩むのであり、結果としてJははんなりとした笑みを豪に送る。その笑みのやわらかさに気分を良くしたのか、豪はさらに続けた。
「でもさ、母ちゃんひどいんだぜ」
 今日は学校が終業式でさ、通信簿見て、サンタに電話をしたんだ。こんな成績の悪い子には、これ以上遊ぶものはあげなくていいです、って。
「そんでさ、おれがやめてくれって言うのに、全然聞いてくれねえの」
 目を見開いてJが先を促せば、豪は壁際に置き去りにしてある荷物のいっぱいに詰まった買い物袋を指差して、最後の件を一気に言い切る。
「で、もしもおれが今日一日母ちゃんの手伝いとかしていい子にしてたら、じゃあ、仕方ないからプレゼントを持ってきてください、っていう話になってさ」
 だからお遣いに行ってきたのだと、豪はここまできてようやく、土屋研究所に見慣れない大荷物で訪れた理由の説明を終えた。


 豪はもともと声が大きいので、Jと二人で話をしているつもりでも、その内容はコースルームにきっちり響き渡っている。たまたま同じ部屋で作業をしていた研究員たちは、微笑ましい不満に堪えきれなくなったのか、そこかしこで顔を見合わせては笑い合う。だが、豪は気づかない。
「そっか。だから、今日はマシンしか持っていなかったんだね」
「そーゆーこと」
 一方のJは、室内に満ちたひそやかな苦笑のさざなみに気づきはしたものの、ここであえて指摘しても豪の機嫌を降下させるだけだろうと、懸命にも口を噤んでおく。そして、無難な方向での相槌を返した。
 いつもならばセッティング用のパーツと工具を詰めたレーシングボックスを持ってくるのに、今日はマシンを取り出しただけだったので、実はずっと気になっていたのだ。その謎が氷解したところで、Jは淡い苦笑をもって部屋の壁にかかっている時計を示す。
「でもね、豪くん。それなら、そろそろ帰らないと怒られちゃうんじゃないの?」
 時計の長針は、豪が研究所にふらりと現れてから既に一周を終えている。いくら夕方で店が混んでいたのだという言い訳をしても、これ以上の長居は、星馬家の母の怒りをかわす材料にはならないだろう。
 言われて時計を仰ぎ見、きょとんとした表情で「おれ、何時に来たっけ?」と呟いた豪は、Jが正直に告げた時刻と現時刻の差をようやく認識したらしい。面白いぐらいの勢いで青ざめると、バタバタと荷物を取り、挨拶もそこそこに出口へと走り出す。
 その背中をJが追いかけてすぐに、廊下の向こうから「お邪魔しました!」という元気な声が聞こえ、あっという間に姿を消した子供たちを見送った研究員たちは、コースルームでやはり苦笑を交し合っていた。


 くすぐったい苦笑の渦に、「ちょっといいかな」とかかる声があった。研究員たちが振り向いたその先には、廊下からひょっこりと顔を覗かせる土屋がいる。
「豪くんが来ていたと思うんだけど……。帰っちゃったかい?」
「ええ、ちょうどいま。何かご用だったんですか?」
 あまりにタイミングのいい尋ね人に、入り口に一番近いところに立っていた研究員が、笑いに揺れる声を取り繕うことを放棄して答える。タイミングが悪かったですね、と別のところからもかかる慰めの声に、土屋は別に用はなかったのだと返してから、室内の空気にあてられたかのような苦笑を浮かべてひと言。
「いや、烈くんから、いい加減に帰ってこないと、本当にサンタのプレゼントはなしだと思うよう伝えて欲しい、との電話がね」
 さすがというかなんというか、弟の行動パターンなど、烈にはまるでお見通しらしい。年甲斐もない老成した、豪に小言を言うとき専用の少年の疲れきった声を思い起こしたのか、室内の苦笑の波はピークに達する。目尻に涙を浮かべて体を折っている研究員に「本人の前では笑わないであげてくれよ」とやんわり苦言を呈してから、土屋は帰ったのならばいいのだと結論付けて、微笑みを添えてひとつ息をついた。
「ところで、博士」
「何か問題でもあったかい?」
 笑声がようやく引きはじめたところで、ふと思い立ったような声が上がった。声の主が抱える分厚い資料の束とその目の前にあるモニターとを見やり、土屋は職場の責任者の顔に戻って言葉を返す。
「いえ、違います。そうじゃなくて、Jくんはどうなんですか?」
「どうって?」
「サンタですよ」
 あの子はサンタとか信じていなさそうだけど、博士としては、サンタになる気は十分なんでしょう、と。穏やかに問いかけられ、土屋はへにゃりと力の抜けた笑みを浮かべる。
 クリスマスの朝、枕元にプレゼントを置いておくべく、準備は万端である。子持ちの所員にあの年代の子供へのプレゼント事情は尋ねて歩いたし、研究所を訪れる子供たちから希望をさりげなく聞いたし、新聞やらテレビやらでの世論もしっかり収集した。問題は、ターゲットであるJがその一般論から逸脱したところで生活しているという事実を知っている点であるが、その辺は目を瞑る気満々である。
「まあ、こちらがそのつもりで振舞えば、きっと騙されたふりはしてくれるだろうからね」
 騙し、騙されていることを互いに暗黙の了解とした上で、それでもサンタを利用するのは互いが不器用であることを自覚しているからだ。固定観念としての『子供らしさ』をあえて強要する気はないけれど、あまりに大人びた少年に少しでも子供らしい一面を思い出して欲しいから、この手のイベントを逃すつもりはない。しかし、相手は手強い。どんな反応にもめげることがないように、と改めて覚悟を決める土屋のさまに、室内からは「頑張ってくださいね」と心からの応援がかかる。


 ちょっと眉尻の下がった笑みでそれらに応えていた土屋は、廊下に響く足音を聞きとめ、くるりと首を巡らせた。なんだかんだで途中まで豪を見送りに行っていたらしいJが戻ってきたのだ。
「おかえり、Jくん」
「ただいま戻りました」
 部屋の入り口に辿り着き、ちょこんと頭を下げた子供の頬が上気しているのを見て、土屋は「寒かったろう」とお茶に誘う。
「一服入れようと思っていたんだ」
 そこにちょうどよく烈から電話がかかってきて、豪を探してコースルームまで来て、うっかり雑談をしてしまった。言葉にならなかった土屋の行動経緯は、室内の研究員たちには筒抜けである。やんわりと小さな苦笑の波が空気を揺らし、いってらっしゃいと見送りの言葉がかかる。
 コースの片付けは、豪との雑談の最中に終わらせてある。さっと入り口から室内に目を走らせ、特に片付け損ねた場所がないことを確認してから、Jは素直に頷いて土屋に従う様子をみせた。小さな会釈を残して廊下に消えた細い背中の主は、土屋に問われて豪との会話を再現しているらしい。
 ポイントを押さえながらも、豪の不満を「でもあれは仕方ないのではないかと思う」と言いながら状況説明をしていくさまは、大人びた子供というより子供の気持ちをわかっている大人といった印象だ。
「思ったよりも手強そうですね」
 少年のサンタが越えるべきハードルは、予想よりもはるかに高そうである。声が聞こえなくなってもなんとなく廊下の方を見やっていた研究員がぽつんと呟けば、今日一番の情けない色合いを滲ませた苦笑が響く。


 明日はさりげなく、愚痴と弱音を聞きだしてあげようではないか。誰からともなくそんなことを言い出して、研究員たちは笑みをかわす。子供に夢を配って疲れきったサンタには、そのぐらいのサービスが必要であろう。サンタは一人で頑張るのでなく、トナカイと一緒に頑張るのだ。
 あの子に夢を配りたいという点で目的は同じ。夜道を照らし、そりを引き、サンタの行くべき道を助ける。
 赤鼻だろうが青鼻だろうが、子供に夢を配るためなら、サンタといわずトナカイになるのもやぶさかではない。
fin.
BACK       NEXT

 やさしく包む、ふんわり包む。
 サンタの疲労は子供たちの笑顔と引き換えに。
 トナカイの慰労は、サンタの更なる頑張りと引き換えに。

timetable / event trace