■ パソコン
 じいじいと、耳元で微かなノイズが響いていた。決して自己主張をしすぎない、控えめな存在証明の発信。白く発光するディスプレイが視神経を焼き切るような気がして、Jは思い切り眉をしかめた。
 眼精疲労が溜まっているな、と、冷静に考える。動かすたびにぴくぴくと痙攣する瞼が、我ながら可哀想になる。もっとも、それしきでめげるわけにはいかない。なんだかんだと雑用の多いチームリーダーに、まさかこんな仕事まで押しつけるわけにいかない。かといって、残るメンバーの中で、自分以外にこういった細かな作業に長けている人材がいるかと問われれば、答えは明快に否となる。
 おのずとまわってきた役回り。適材適所なんだろうと、諦めとも責任感ともつかない何かに突き動かされて、Jはありとあらゆる情報処理の大半を担っている。
「だいたい、外国チームのみんなは異常なんだ」
 疲れと、実を言えば多少の飽きが入りつつある。気分転換と自分をごまかすために独り言を呟いてから、Jはひとつ大きな溜め息をこぼした。


 そうだ。何も、情報収集とその解析に長けていないビクトリーズが変わり種なのではない。この年代で、そういった技術に長けている周囲が変わっているのだ。
 ただ楽しんで走らせるにとどまらず、チームを組み、組織の在り方を工夫し、駆け引きまで身につけた子供の、なんとこどもらしからぬことか。
「ボクは、まあ、特殊な例だし」
 育ってきた環境があまりに特殊すぎた。そういった環境に置かれていたというなら、まだ素直に納得できるのだが、あいにく彼らは普通の子供だ。
「ああ、でも、例外もいるかな」
 まず脳裏をよぎったのは、揃いのバイザーをつけた、恐らく参加選手の中でも群を抜いてこどもらしさを捨てた面々。
「彼らがパソコン使えなかったら、びっくりだもんね」
 仮にも宇宙飛行士の卵が、電子機器に嫌われているなど、あっていい話ではない。真空の闇に漂う箱舟は、二進法で守られているのだから。
「あと、エーリッヒくんはいいや」
 物腰といい、雰囲気といい、性格といい言葉遣いといい。彼はとてもいい意味で子供らしさに欠けている。無理して背伸びをしているのでなく、どこかに落としたのでなく。彼はきっと、通り過ぎたのだ。だから違和感も齟齬もなく、自然に受け入れられる。
「カイはまあ、もともとだし」
 意外と言われることも多いが、大神研究所のレーサーと、Jは別に格別仲が悪かったわけではない。面倒な相手とは接点を作らなかったし、何より敵意をむき出しにしている人間が多かったため、友人と呼べる相手は少ない。それでも、サーキットを離れれば、同じ環境に集う一個人同士なのだ。そういった割りきりのできる相手とは、それなりに話をしたり、付き合いもあったのだ。
 そんな中の一人。チームの面々以上の長い付き合いをもつ彼は、趣味でよその研究所の内部サーバーに入り込んだりする腕の持ち主。情報処理などお手のものだろう。


 そこまで列挙して、Jはおもむろにひとつ息を吐く。
「そんなわけでね、豪くん」
 投げ掛けられた言葉に、ぎくりと、あからさまに硬直する気配がひとつ。
「ただでさえ大変なのに、それを白紙にされちゃうと、さしものボクも頭にくるわけなんだよ」
 くるりと椅子を回転させれば、部屋の入り口から顔だけをのぞかせ、じっとこちらをうかがっている豪とばっちり目が合う。
「あ、あははー、……なんて?」
 乾いた笑い声は、いつになくじっとりと暗い表情のJを目の前に、尻すぼみになって消えていった。
「一応、わけを聞こうか?」
 相手の言い分も聞かずに責め立てるわけにはいかないと、この期に及んでまでJは公平であろうという努力を怠らない。それは愛すべき美点だろうが、いつでもそれが相手にきちんと通じるかというと、そういうわけでもない。
「いや、ほら。なんていうかさ、フトンの事故ってやつ?」
「不慮の事故、ね」
 ちょっとばかり難解な言葉で切り抜けようとしたらしい豪は、あえなく墓穴を掘った。間髪おかぬつっこみは、普段と違い、真綿にくるむようなやさしさを纏わない。
「そうそう、それ! で、だから、その……。悪かったな!」
 じゃあ、そういうことだから、と。高らかに言いおいて、分の悪さを悟ったチームのエースは、愛機と同じく抜群の瞬発力を活かしてさっさと戦線を離脱してしまった。


 持ち前の切り替えのよさで、いまごろ既に豪の頭の中からこの一件は綺麗さっぱり消え去っているだろう。普段ならば羨む特質なのだが、今回ばかりは「はいそうですか」と納得することもできない。
 不慮の事故で、どうやったらコースルームの一角においてあるパソコンの電源をピンポイントで落とすという器用な真似ができるのか。徹底的に問いただしたい気持ちもあったが、答えによってはそれこそ徹底的に呆れ果て、浮上できなくなる可能性がある。そして、その可能性がそれなりに高いことが容易に予測できるのだから、うかつに踏み込んで問いただす勇気すら湧いてこない。
 ついさっきまではそれなりに黒々と埋まっていた画面が、いまは真っ白に発光している。一軍がようやく参戦してきたアイゼンヴォルフのデータを集めてまわり、それなりに形になってきたから、と、まとめなおしていたのに。なんとか形になってきて、終わりが見えはじめていたというのに。
 恨み言がぐるぐる回るのを無理やり溜め息に押し込めて、Jはマウスを滑らせた。
 いつもはなんの感慨も覚えない「変更を保存しますか?」の文字に軽いめまいを感じながら、あらゆる意味で目にやさしくない画面をさっさと閉じる。


 きっと、事態を把握し次第、責任感の強いチームリーダーが飛んできてくれることだろう。事の顛末は、彼の口から聞けばいい。ついでに、まとまっていないデータではあるがこのまま話をつけて、それなりに今後の方針を話し合ってしまおう。
 番狂わせによるプラン変更を頭の中で組み立てながら、Jは断絶音を残して暗転したディスプレイのスイッチを切った。
fin.
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 恨み言のひとつやふたつ、言ったところで罰は当たるまい。
 いろいろと、訴えたいところもあるけれど。
 それでも、こんな顛末でさえも、すべては愛しい僕らの日常。

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