■ ひとひら
 リビングのテーブル横のラグに座り込み、難しい顔でうなっているJの横を通りかかった土屋は、子供を悩ませているものの正体を追って、ひょいと首を伸ばした。
「あれ? それは……」
「貰ったんです。無理だからって」
 床にでかでかと広げられているのは、どこから持って来たのか、ベニヤ板が一枚。その上には、全体的に暗色の、こまごまとした欠片たち。
 土屋は、それに見覚えがあった。青い髪の少年が、商店街の福引で当てたのだと、わざわざお使い帰りに研究所に経由して見せてくれたのだ。ミニ四駆のセッティングにはさほどの難色を示さないくせに、ちまちまとした作業は基本的に嫌いな彼のこと。できるのかと、1000ピースのその巨大なパズルに、Jと二人で淡い微苦笑を送ったのはつい一週間ほど前のことだ。
「烈くんに欲しいって言われていたらしいんですけど、断った手前、いまさらあげられないし」
 かといって、自分には荷がかちすぎたのだと、挑戦して早々と悟った豪は、悩みに悩んだ末、結局いつものパターンに打って出た。
 困ったときには、Jに縋るのが彼の定石だ。
「ボクも、こういうの好きですし、豪くんはそのことを知っていますから」
「完成させて見せてくれ、ってところかな?」
「さすがに、よくお分かりですね」
 嫌いな作業に、一週間の時間をかけたのだ。彼もきっと、この完成形を見たかったのだろう。Jに手渡しついでに、瞳をキラキラさせながらねだる様子を想像して、土屋は笑みを噛み殺す。それでも漏れた笑声に、Jもまた、淡い笑みを返した。


 そのまま応援して横を通り過ぎ、そろそろ乾いたころあいだろうと、裏庭に干してあった洗濯物を取り込む。いつもならJの仕事だが、今日は珍しく、パズルに熱中して忘れているらしい。そんな日がたまにはあってもいいだろうと、いつも甘えてなどくれない養い子を一方的に甘やかすことに決めて、土屋は陽の匂いのするそれらを持ってリビングへと戻る。
 普段は驚くほど気配に聡いくせに、ひとつのことに集中しだすとまるで周りのことが見えなくなる。それは、Jの美徳であり欠点だ。今ならきっと、話しかけても生返事しか返らないだろうな、などと他愛もないことを考えながら、土屋はそれでもそっと、パズルに熱中している子供を驚かせないように気を配り、ソファーに腰を下ろした。左手に作業中のJを見下ろし、右手にはかごから取り出してたたんだ洗濯物を山にして。穏やかに流れる時間を、土屋は呼吸と共に体の中に取り込みながら、ゆったりと楽しむ。



「あれ」
 と、一声。土屋が洗濯物をたたんでいる間にさっさと枠を完成させ、勢いに乗って残り少なくなったピースを順調に埋めていたJは、箱の中と、ベニヤ板の上とを交互に見て、首をかしげる。
「どうしたんだい?」
 はたで見ているだけで何が楽しいのか、洗濯物をたたみおえた後もソファに居残り、コーヒーをお供に時おり口を挟むだけでのんびりと見物していた土屋が、同じく首をかしげてJとパズルと箱とを見やる。
「足りないんです、数」
「足りない?」
 弱冠自信なさげに響いた声は、しかし、いぶかしむような手つきではめられた残りのピースによって証明された。空白がひとつできてしまったのだ。
 立ち上がってパタパタと体をはたき、どこかに落ちていないかと探し回る。ちょろちょろと動くJにあわせ、まったく触っていなかった土屋も、きょろきょろと辺りを見回す。二人がかりで探索しても、最後のひとかけらはどうしても見つからない。
「あと一個だったのに」
 きっと、豪から貰ったときには既になかったのだろうという結論に達し、ピースの捜索は終止符を打たれた。終わってしまうのもどこかがっかりするが、ここまで来て完成させられないのもまた嬉しくない。小さくうなったJに、土屋は微苦笑をもって宥める言葉を送る。
「まあでも、いいじゃないか、こういうのも。ちょっとした逸話つきになったしね」
 見つからないものはしょうがない。製造元に問い合わせてもいいが、どうしようかと、土屋は判断をJに委ねる。
「このままで、別にかまわないです。ボクは」
 しばしの思案を挟み、Jはそう、淡く微笑んだ。
「きっと、これでいいんです」
「納得済みなんだね?」
「はい」
 言葉の割に深かった声音に、土屋はあまり突っ込んだことは問わない。ただ静かに、その意志を確かめる。
 しかと頷かれ、土屋もまた頷きを返した。あれこれと子供の意志に干渉するのを、彼は好まない。
「それにしても、頑張ったね」
 時計を見やれば、見物を決め込んでからかなりの時間が経っている。開始時から考えれば、相当なものだろう。そう素直に問えば、やはり時計を見たJが、目を瞬かせて小さく驚きの声を上げる。予想以上の時間を費やしたのだろう。
「柄が少ない分、枠で時間を喰ったので」
「大変だったろう?」
「でも、途中が大変な分、その後にある喜びが大きいですから」
「そうだね。これだけ大きくなると、一枚の絵のようだ」
 そう感想を述べたところで、土屋ははたと、何かを思いついたような顔になる。


「そうか、うん。そうだね」
「博士? どうかなさいましたか?」
「いやいや、なんでもないよ」
 そうは言われても、あまりに楽しそうに笑われていては気に掛かる。不審そうに眉を寄せて訝しむJに、土屋はしかし、あくまで口を割る気配がない。
「Jくん、私はちょっと、出かけてくるよ」
 唐突に、土屋はそう言いながら腰を上げた。何か入り用のものはと重ねて問われ、ざっと必要物資を思案したJは、特に何もないとかぶりを振る。
「買物でしたら、ボクが行ってきますよ?」
「いや、いいんだ。大したことじゃないからね」
 だったらなおのこと、自分のことを使ってくれればいいのに。そう思うのがJの本音だが、そのひと言は、喉の奥にぐっと押し込める。
 こういうふうに土屋が笑うときは、何かを思いついて、こっそり実行したいときだ。バレバレなんだけどね、と、烈と笑い合うのはいつものこと。そして、そのあまりにストレートに伝わってくるやさしい気持ちに、くすぐったくて嬉しさがあふれ出る。
「わかりました。夕食の準備は、始めてていいですか?」
「ああ、ありがとう。お願いするよ。じゃあ、すぐに戻るからね」
「はい」
 玄関まで付き添えば、門の辺りで一度振り返り、小さく手を振って土屋は歩いていく。その背中が見えなくなるまで見送って、Jは言葉どおり夕食の支度を始めるべく、まずはパズルの片付けをすることにする。 せっかく組み立てたそれを崩さないように移動させながら、土屋はいったい何をしに出かけたのかと、とりとめもなく思いを馳せてみる。



 ひとひら、ひとひら。
 Jと土屋の間にある距離は、パズルと同じように埋まっていく。
 土屋からのむき出しの愛情と、Jからの手探りの愛情と。
 一見どうしようもないぐらい形の違うそれらは、いつしかぴたりとはまりあう、最高のパーツになっていく。
 その過程を知るのが嬉しい。ひとつひとつをはめていけるのが嬉しい。次はどこにはまるだろうかと、目を凝らして探すのが嬉しい。完成に近づくのが嬉しくて、完成を見るのは最高の喜びだ。
 でも、完成してしまうのはちょっと悲しいとも、Jは思う。
 それ以上進むことのないピースは、少し寂しい。それ以上積み上げることができないのは、あまりに惜しいことだ。
 だから未完成のままでいいと、Jは笑みを刻む。
 いつまでも、どこまでも。ひとつずつピースをはめて、積み上げていければいい。終わりを求めるのでなく、ただ、より良くなることを求めて続く思いならいい。
 そして今もまたひとひらの思いを込めて、Jはキッチンに立つのだ。
fin.
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 急激な変化はいらない。もうそれは十分に間に合っている。
 少しずつ、小さなことから順番に、あなたとの間を埋めていきたい。
 少しずつ埋めていくなら、次を思って高みを目指す楽しみが、いつまでも尽きないから。

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