■ Trick and Treat !!
 ミーティングルームのテーブルに置いてあった大き目の籐の籠には、淡い緑色のクッキーがたくさん入れてあった。
「あー、博士! これ、食っていいのか!?」
「ああ、どうぞ」
 部屋に入るなり目に飛び込んできたそれに、豪は嬉々として飛びついて、承諾を仰ぎながらも既に両手にクッキーを掴んでいる。飲み物を入れにいってくれた土屋が備え付けの給湯室から快い返事を返したときには、豪の右手のクッキーはとっくに食道を通過していた。
「おいしそうだね」
「ハロウィンでげすか?」
 豪に続くようにしてクッキーをほおばり、幸せそうに目を細めた二郎丸につられて、残りの面々も次々にテーブルを囲む。
「そうだよ。昨日、Jくんが作っていたんだ」
 君たちも食べたまえ、と軽やかに告げられて、烈たちもまた籠へと手を伸ばし、程よく抑えられた甘みに相好を崩す。緑色は、抹茶を練りこんであるからのようだ。独特の渋い香りに、自然と食が進む。


 土屋が飲み物を配ってくれるのとほぼ同時に、部屋には片付けのために欠けていた、もうひとりのメンバーが姿を現した。
「あ、それ、味どう?」
「おいしいよ」
「ごちそうになっているでげす」
「お前が料理まで得意だとは、知らなかった」
 差し出された労いの言葉とココアのカップに応じてから、Jは自作のクッキーをほおばるメンバーたちに、にこやかに問いかける。素直に賞賛の言葉を送ってくれた兄たちの合間で、弟たちは無言でクッキーを消費していく。言葉よりもよほど素直でわかりやすい反応に、Jは楽しそうに笑って、烈たちに「ありがとう」と返した。
「それよりも、Jくん。この、 “trick and treat” っていうのが気になるんだけど」
 Jが腰を落ち着けるのを待って、烈は籠の下に敷かれている紙に書かれた飾り文字を指し示す。クッキーがJの手作りということは、この文字もJの手によって書かれたものだろう。だが、どうにも意味が取れない。
「普通は、 “trick or treat” でげすよね?」
 言われてはじめて気づいたように、藤吉もまた不思議そうな視線をJに向ける。
「うん。普通はいたずらかお菓子か、だよね。でも、これはいたずらとお菓子だから、“and”でいいんだ」
「いたずらとお菓子?」
 首をかしげながらJの言葉をなぞったリョウの向かいで、なぜか豪が、ぴたりとその動きを止める。
「ああ、当たったかい?」
 誰もがその不可思議な動きに眉をひそめる中、一人くすくすと、楽しそうに笑い出してしまったJに代わって、土屋が苦味の混じった声で呟いた。
「当たりって、どういうことですか?」
「いやあ、今朝、私もやられてねえ」
「博士は、見事に一枚目でしたね」
 不穏な空気が流れる中、勇気を振り絞って問いかけた烈の言葉には、あいまいにぼかされた別の話題が展開される。目尻を拭いながら揺れる声音で応えるJは、にこにこと、相変わらず楽しそうだ。


 慌ててココアを口に含み、必死に飲み干していた豪が顔をあげ、やはりわけがわからず首をかしげている烈に代わってJに喰いかかる。
「――って、なんだよ、これっ!?」
「青汁入り」
 あっさりと告げられたお菓子の中のいたずらの正体に、クッキーを手にしていた残る面々は、いっせいに青ざめる。
「せっかくのハロウィンなのに、お菓子だけだったらつまらないと思って」
「そ、そんな危険なお菓子はあまり嬉しくないでげすよ?」
「でも、他のはちゃんとおいしくできているよ」
 みんなも食べたでしょう、とまで言われてしまっては、烈たちに返す言葉はない。表情に邪気のないあたり、Jの発想はおそらく本心からのものだ。からかおうとかそういう気持ちではなくて、純粋に、ハロウィンの持つ二つの側面を尊重しているだけなのだろう。
「大丈夫だよ。当たる率はとっても低いから、安心してくれていいよ」
 宥めるように笑われても、リスキーな賭けの代償を知ってしまっては、おいしさを素直に信じることはできない。現に、よほど口の中に広がった味に堪えたのか、豪は恨みがましげな視線で籠を睨むだけである。
 愉快そうに友人たちの反応を眺めやってから、Jは豪の空になったマグカップを取り上げて腰を上げた。
「入れ直してきてあげるよ」


 沈黙を守り、悔しそうにクッキーを睨む子供たちに淡い苦笑を浮かべ、土屋はゆっくりと籠に向かって手を伸ばし、一枚取ってから研究室に戻るべく踵を返す。
「ちなみに、色が少し濃いやつは当たりの可能性が高いらしいよ」
 こちらとは別の籠に盛られたやはりトリッキーなクッキーに、果敢に挑戦した所員たちからのリサーチ結果である。立ち去り際の貴重なヒントに、慌てて手元のクッキーを見やり、安心したようにかじりつくものもあれば、達観した表情で息を逃すものもある。
「まさに、 “trick or treat” だね」
「でげす」
「……まあ、食えんわけではない」
 覚悟したように他よりは渋い色をしていたクッキーを口に含み、それほどではないと渋い表情で断じたリョウと顔を見合わせ、年長の子供たちはなんとなく笑い合い、当たる率の低いという作成者の言葉を信じて色合いを吟味しながらクッキーの山に手をつける。
「Jくんって、やることが時々とってもトリッキーだよね」
 結局食欲には打ち勝てず、再び大量消費をはじめた豪を眺めながら、烈はしみじみと呟く。
 よそよそしかったりピリピリしていたり避けられたりしたかつてよりは、こうしていたずらを仕掛けてくれるぐらいになった今のほうが、友人としてはよほど嬉しいのだが。
「“trick and trick” って感じだなあ」
「それはそれで、楽しいんだがな」
 いったいどれほどのトリックを隠し持っているのか、未だに読めないJの側にいるのは、いつまでもこうしてドッキリさせられる要素が尽きないということであり、ある意味とてつもなくスリリングだ。
 淡く苦みを滲ませながらもやわらかく微笑んだリョウと、笑いあう隣では、藤吉と二郎丸がじっくりクッキーを選んでいる。そしてその反対側。よほどついているのかついていないのか、再び苦悶の表情で悶えている弟を冷静に見やり、烈はココアを持って来てくれたJをせかすのだった。
fin.
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 トリックを楽しもう。仕掛けることが出来るのは、心を許している証拠だから。
 トリートを楽しもう。たとえ仕掛けがあったとしても、それは許せる範疇だから。
 トリックとトリートと、めいっぱいに楽しんで、今日という日を共に満喫しよう。

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