■ 平行線の行き先
ソファのカバーを目の前に並べ、真剣な目つきで腕組みをしている横顔を見つけ、Jは笑みがこぼれるのを禁じえなかった。腕の中のベッドカバーとピロウケース、および掛け布団のカバーがセットになった袋を抱えて小走りに近づけば、足音に気づいたのか、眉間の皺の寄った横顔が振り返り、くしゃりと笑顔に歪んだ。
「決まったかい?」
「はい」
問われて掲げ持つようにして見せれば、土屋は「いい色だね」とにっこり微笑む。その笑顔を確認して、Jは脇に置いてあったカートにちょんとそれを乗せる。Jが選んだのは、ネイビーのセットだ。サンプルの写真を見やれば、シンプルで機能的なデザインであることが知れる。
「サイズは大丈夫だね?」
「確認しました」
手元のメモ帳を覗き込みながらの質問に、Jは頷きながらさっと商品の表示にもう一度、目を走らせる。元々、暗記は得意な方だ。数字の記憶に間違いはなく、表示を読んで頭の中で自分の使っている寝具の大きさと比べても、なんの問題もなかった。
「青が好きなのかい?」
「なんとなく、落ち着く色だと思ったので」
「そうか。うん、そうだね。青系の色は、リラックスにいいというからね」
一体なにを見て悩んでいるのかと覗き込む金糸の後頭部に土屋が声をかければ、仰ぎ見てくる透明な瞳が、一拍の呼吸をおいて応じる。どこかしらに警戒色の滲むその反応に、責めているわけではない、ただ問いたかったのだとの思いを必死に乗せて、土屋は短く納得してみせる。そして、目前に並べた二つのカバーセットを目線で示し、口を開きなおした。
「どれがいいと思う?」
「リビングの、ソファですか?」
「私には細かいことはよくわからないんだけど、なんとなく、あの部屋に統一感がないのはわかるからね」
リビングの壁紙はオフホワイトで、ソファは一人暮らしのくせになぜか、黒の大型。カーテンは、普段まとめてあるから形はよくわからないがこげ茶で、なにか複雑な模様が織り込んであったはずだ。部屋を見回したときにぱっと目に飛び込んでくる印象を思い返しただけで、Jは土屋の言葉に頷かざるを得ない。
色の組み合わせとしてはバラバラというわけでもないくせに、どことなくまとまりのない、ぎこちない空間。なぜあんなにも不思議な印象になっているのかという疑問は、いままで抱いたことがない。部屋のコーディネートをあれこれ言う日が来るなど、Jは考えたこともなかったからだ。ただ、どこか諦め口調かつ言い訳めいた響きで呟かれた土屋の言葉には、思わず口元がほころぶ。
「鉄心先生がね、こういうのが見たかったんだ、とか言って、勝手にかつ適当に選んだものだから」
研究所を設立するにあたり、居住空間も一緒にくっつけてしまおうという発想は土屋のものだったが、そこのインテリアは、気づかないうちに鉄心の趣味によって好き勝手に指定されていた。統一感だのデザインだのというよりは、鉄心の「一度見てみたかった」もののオンパレードとなった結果が、現状だ。
客の接待はきちんとプロの人間がコーディネートしてくれた応接室で行なえるし、研究一本できた土屋にとって、居住空間のインテリアはさしたる問題でもなかったが、一緒に生活する相手ができたとなれば別だ。リビングは憩いの場にしたいし、烈や豪が、研究所のコースを使用するレーサーとしてではなくJの友人として訪ねてきたとき、もてなす場所はきっとリビングになる。というか、そうなってほしいのが土屋の本音だ。だからもう少し趣味のいい空間にしたいというのは、なかば意地のようなものでもある。
ごく真剣な目つきで再びソファカバーとのにらめっこを開始した土屋の内心など、Jには知るよしもない。それでも、リビングに統一感を持たせたいという希望は、話し合いの段階でも出ていたし素直に汲み取っていた。実物なしではいまいちイメージしにくいと店頭へと持ち越しになったコーディネートの候補を、Jも、頭の中でそれなりに考えてみる。
土屋の目の前に並べられているのは、アイボリーとベージュのカバーだ。あくまで鉄心の趣味に逆行しようとするかのような選択に、少しだけおかしくなる。
「壁が白系だから、なんでも合うとは思うんだけど…」
革張りよりは布製の方が良かったし、いずれにせよカバーはかけたいんだよなあ、と。ぶつぶつ呟く土屋の横で、商品の陳列棚を滑っていたJの視線はしかし、少し外れた一点に止まった。
「なにか、いいのがあったかい?」
「あ、いえ」
「気にかかるのがあったら、教えて欲しいんだ」
敏感にその気配を察したのか、土屋が同じ方へと視線をずらす。慌てて否定の言葉を返したJに、土屋はやんわりと笑んで、おそらくJの見ていただろう棚に、適当に手を伸ばす。
「どれだい?」
「……その、こげ茶色のやつが」
「これかい?」
迷うように揺らされた指先に、Jはおとなしく目を奪われた一品を白状する。
「ああ、これもいいね。落ち着いた色合いだ」
手元のメモ帳でサイズを確認してから、土屋はJに目を向ける。
「これが気に入ったのかい?」
「別に、そういうわけでは」
「でも、気になったんだね?」
ただなんとなくの行動が、あまりに重い意味を持とうとしている過程に、Jは怯えと惑いの表情を浮かべて眉を寄せる。
「じゃあ、これにしようか」
「えっ!?」
決定権を持つのは自分ではない。意見を通すのではなく、意思を持たない人形でなくてはならないのに。あっさりと言い放たれた土屋の言葉に、Jは目を見開く。
これは、ありえべからざる状況だ。
「ん? この色は嫌かい?」
「だって、博士がお選びになったのはそれじゃありません」
はじめに候補として上がっていたものをさっさと元の場所に戻す動きに、Jは小さく反論の声をあげる。それを耳にした土屋は、驚いたように瞬くと、困ったような苦笑をみせた。
「私はこの色もいいとおもうよ。正直なところ、特にこだわりもないしね。その分、君のセンスには期待しているんだが?」
おどけたような土屋の口調に、Jは困惑の渦の中に叩き落される。自身にまつわる判断を委ねられることには、それなりに慣れたつもりだった。だが、これはその領分を大きく逸脱している。あのリビングは、土屋の領分だ。そこに自分の判断が紛れることがあっていいのかどうか、Jには良くわからない。
「Jくん」
落ち着いた声で名前を呼ばれ、Jはいつの間にか俯き、床を睨んでいた視線をゆるりと持ち上げた。商品を戻すためにしゃがみこんだままの土屋に見上げられる形となり、慣れない視点に戸惑いを覚える。
「言っただろう? 一緒に選んで、一緒に模様替えをしよう、って。私は、君の意見をなるべく聞きたいんだ」
だって、そうじゃないと一緒に選んだことにならないから。
そう微笑む土屋の言葉を、Jは声に出さずになぞる。
「大丈夫だよ。私だって、気に入らない色だったらそう言うから。だからね、安心して意見を言ってくれればいいよ。その方が、私も嬉しいからね」
かけ声と共に曲げていた腰を伸ばすと、土屋はカートにこげ茶のソファカバーを放り込み、まだ納得も理解も追いついていないJの頭を数度、軽く叩く。
カートを押して歩き出しながら、土屋は慌てて隣に追いついたJに笑いかける。
「さあ、次はカーテンを選ぼうか。ソファの色に合わせて考えられるから、候補も絞りやすくなったしね」
自分が押すから、と申し出られ、土屋はおとなしくカートをJに譲り渡す。
「一緒に選ぼう。一緒に模様替えをして、一緒に生活するんだからね」
「はい」
しばしの逡巡を含んだ分、数拍の間を挟みはしたが、返事は確かに土屋の鼓膜を打った。微笑みの中に真剣さを交えて見下ろした先では、Jがはにかむように、なぜか泣き出しそうな表情で笑んでいた。
fin.
交わることがないかと思われた二人の道行きが、いつの間にか少しだけ近づいている。
もう少し、お互いに角度を変えていこう。
そうすれば、そう遠くないうちに二人の時間が交錯するはずだから。
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