■ お手伝い
第一回世界グランプリが開会されて以来、坊ちゃま方ビクトリーズのみなさまは、毎週末になるたび土屋研究所に泊り込み、簡易合宿の形式で練習を行なうのが慣例となっております。
当然、坊ちゃまがお泊りになられるので、ワタクシもお供をさせていただいております。土屋博士や研究所のスタッフのみなさま、Jさまのような専門的な知識はございませんが、これでもそれなりにみなさまのお役に立てることと思っております。手の届く限り、私も影ながら、ビクトリーズのみなさまのお力になろうと尽力しているのでございます。
起床いたしまして、まずは朝食の準備をいたします。食堂の調理場を借り受ける交渉を行ない、食材はこちらであつらえました。
こう見えまして、調理師免許を持っているのでございます。
食堂の職員の方が出勤なさる前の時間帯でございますし、グランプリが始まって以来、博士もお忙しいご様子です。普段は、土屋博士がお作りになり、Jさまとご一緒にお食事をなさるのだそうですが、人数が人数ですので、僭越ながらコックを名乗り出させていただきました。
まず起きていらっしゃるのはリョウさまです。起き抜けのロードワークを欠かさないリョウさまは、タオルを首にかけて、出かける前に食堂までわざわざご挨拶にいらっしゃいます。
「おはようございます」
声をかけ、目があったことを確認してから頭を下げる様子は非常に礼儀正しいものです。ワタクシもご挨拶を返し、もはや馴染んだ「いっていらっしゃいませ」の一言を追加いたします。いつでもきちんと朝食までには戻っていらっしゃいますので、心配はしておりません。折り目正しく「いってきます」と応じてから、リョウさまはお出かけになられます。
続いて起きていらっしゃるのはJさまです。週末だけは居住棟ではなく研究棟にみなさまとお泊りになられるJさまは、それでも朝の日課である庭の手入れを欠かされません。食堂を通りすがりながら、やはり「おはようございます」と挨拶をしてくださいます。
「おはようございます。今日も良いお天気でございますね」
「そうですね。いい日になりそうです」
リョウさまほど朝が得意ではないのでしょう。少々眠そうに、いつもよりもふわふわとした声でそれでも笑いながら、Jさまはちょっとした会話を交わして庭に向かわれます。やはり、朝食時には戻っていらっしゃいますので、ワタクシも笑ってお見送りいたします。
一部屋で寝ていらっしゃるというのに、リョウさまとJさまは実に静かに行動なさるようで、残るみなさまが起きていらっしゃるまでには、若干の間がございます。
坊ちゃまが起きていらして、しばらくして烈さまが豪さまと二郎丸さまを追い立てながら起きていらっしゃいます。その頃にはリョウさまとJさまも戻っていらっしゃって、おそらくはもっと早くから起きていらしたのだろう土屋博士も合流なさいます。
顔を合わせると、まずはご挨拶を交わされます。みなさま自然となさっておりますので、それぞれの礼儀正しさが滲み出るというものです。坊ちゃまは、本当に良いご友人をお持ちになりました。
朝食が終わりますと、ワタクシはしばらくみなさまと別れての行動となります。ご一緒することもございますが、お手伝いできることがほとんどございませんので、別の用件が入っています折には、そちらを優先させていただくことにしております。
ちなみに、食器の片付けはリョウさまとJさまがしてくださいます。はじめの頃、準備を手伝う旨を申し出ていただいたのを丁重にお断りいたしましたところ、代わりに片づけをなさると言い張って聞き入れてくださいませんでした。
特にリョウさまはそういった点には頑として譲らない性質の持ち主のようでございます。義理と人情に篤い、と申しましょうか。実に好ましいと思います。Jさまは、そんなリョウさまをお手伝いするうちに習慣化したご様子でした。
更に手伝いを申し出ていらした烈さまは、豪さまや坊ちゃまと共にコースルームへと先に入り、練習の準備をなさることで決着をつけておいでです。互いに互いを思いやれる点は、みなさま共通の実に素晴らしい美点でございます。
本日は、そのような週末の中から、私の印象に残っている一件について、お話しようと思います。
あれは、たまたま旦那さまから言付かっておりました案件がありました日のことでございます。その日は、朝食の後、夕刻までを別行動にて過ごさせていただきました。
外出をして、練習が終わった頃に研究所に戻りましたところ、坊ちゃまはコースで豪さまと私的な試合をしておいででした。ご様子を伺います限り、お怪我もなくどことない違和感もなく、本日が何事もなく過ぎましたことを察することができます。
そんなことを考えておりましたら、横合いからかけられる声がございました。
「お帰りなさい」
見てみれば、どこか別の部屋にでもいらしていたのでしょう。廊下から戻ってきた様相のJさまがにこりと笑っておいででした。
「あ、彦佐さん!」
「お疲れさまです」
Jさまの声を聞きつけたのでしょう。室内でレースを見守っていらした烈さまとリョウさまも振り返り、それぞれに笑顔を向けてくださいました。
いただいたお言葉に「ただいま戻りましてございます」と申し上げましたら、何やら悪戯っぽい目で烈さまがワタクシを見つめます。
「どうかなさいましたか?」
「彦佐さんに、Jくんが渡したいものがあるみたいですよ」
「烈くん!」
笑い含みにそう申される烈さまに、Jさまがいつになく慌てた様子で声を上げました。何ごとかと思いましても、烈さまはやはり悪戯っぽく笑っていらっしゃいますし、リョウさまも含み笑いを殺しながらJさまを伺っております。
「何かございましたか?」
ここはやはり、名指しされたご本人に伺うべきでしょう。そう思って向き直りましても、Jさまは決まり悪そうに視線をさまよわせるばかりでございます。隠し事を見つかった子供のようなご様子は、めったに拝見することができません。不謹慎ながら、Jさまもまた子供でいらっしゃることを再認識し、ワタクシ感慨に耽ってしまいました。
普段の大人びたご様子も頼りになることこの上ありませんが、やはり、こうして年齢相応の振る舞いを見せていただける方が、大人としてはほっとできるところでございます。この点に関しては、また後ほど、土屋博士とゆっくり語り合おうと思います。
「その――」
「はい」
ようやくJさまは覚悟を決めたご様子でした。決まり悪そうな表情はそのままでございましたが、しどろもどろに口を開いてくださいます。
「いつも彦佐さんに任せっきりなので、今日はお茶とお茶菓子を用意したんです。お口に合わないかもしれないんですけど」
出かけるって知らなくて、でも、まだとってあるから、と。後半はほとんど口の中で濁ってしまって聞き取り辛くありましたが、それは紛れもなく、ワタクシを気遣ってくださってのお言葉でした。
「それはそれは、お気遣いいただきまして、有り難い限りでございますです」
「Jくん、足りないじゃない。彦佐さん! Jくんはちゃんと、僕らの分と彦佐さんの分と、別々に選んでくれたんですよ」
「ちょ、ちょっと! 烈くん!」
「先週、わてにわざわざ確認までしてくれたんでげすけど、ちょうど行き違う形になってしまったんでげすなぁ」
それはもう、ワタクシ非常に感動いたしましてございます。烈さまからの補足のお言葉に慌てたJさまは、あっさりとリョウさまに捕まってバタバタしておいでです。しかも、そこにレースを終えていらしたらしい坊ちゃまからのリークが加われば、顔が真っ赤になってございます。お可愛らしい、と申し上げましたら、きっと男の子でございますので良い顔はなさらないでしょう。ですが、こういう光景を見ますたびに、みなさま本当にお可愛らしいと思うのでございます。
わざわざワタクシ用にご用意いただいたお茶菓子は、お夕食の後、有り難くいただきました。甘みを抑えた抹茶味のロールケーキでございましたが、非常に品のよい一品でございました。改めて御礼を申し上げましたところ、Jさまは照れくさそうに笑って、どこか安心したご様子でした。
「いつもおいしいご飯を作ってもらっているし、たくさん手伝ってもらっているので。お返しです」
ひとしきり照れ笑いをしてから、すましたご様子でそうおっしゃるのは、どこか危うい背伸びを感じさせます。本当に、微笑ましくお可愛らしいお方です。
坊ちゃまのご友人はみなさま、このように心根の優しく、まじめで、礼儀正しい方ばかりでございます。ワタクシ、坊ちゃまのお世話係でございますが、このような方々を目の当たりにいたしますと、どうにも落ち着かないのでございます。
そうして今日も、みなさまのために何かできることはないかと、こうしてコースの脇に立ち、お手伝いをさせていただいている次第でございます。
fin.
可愛い子供を見ると、つい頬が緩んで、つい手を差し伸べたくなって。
一生懸命背伸びをしているのを見ると、つい目元が和んで、つい見守ってしまって。
ついつい、ついつい。どうしてだかいつの間にか、こうして傍にいたくなってしまうのですよ。
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