■ アンジャベルの咲いた日
 裏庭の花壇は、一時まで手の入らない無法地帯であったが、一時から秩序ある混沌に彩られるようになった。一見すれば無造作にも限りなく自然にも見えるそこに、実はこの上なく極め細やかな気配りがなされているのを知っている。人の手をもって人の気配を殺した庭園を築き上げるのは、草花の手入れなぞしたことのない土屋にとって、まるで魔法のようにさえ感じられる奇跡だった。
 完全に人の手からその庭園が離れていた頃、入植者たる少年がまず行なったのは、境界線の確定だった。雑草に埋もれた煉瓦を慎重に辿り、きっかりそこを目安に、伸び放題だった草の生死を分けて歩いていった。
 欝屈している様子を殺し損ねているのを見かねての提案は、実はけっこう適当だった。手先は器用だし、几帳面だし、向いているだろうと思ったのは事実。それでも、まさかここまでしっくり当てはまるとは。
 言うなれば、嬉しい誤算である。


 雑草の海の中に離れ小島ができるまで、さほど時間はかからなかった。一日あたりに割く時間はそれほどでもないが、子供は計画を立てることと、それを実行することが巧かった。ちゃくちゃくと緑の大地に土色を掘り出し、ざくざくと地面を掘り返す。愛用のスコップは、子供がはじめて要求してくれた、必要最低限以外の品だった。
 秋口からはじまった作業が一段落した頃、空と地は灰色を友にしていた。春に花咲く植物を植えていたようだが、内容は知らされないままだった。
 楽しみにしていてください。そう、ほのかに微笑んで示されたスペースの横には、小さな空間が確保してあった。どんな思惑を持ってのことか、おおいに気に掛かる。そんな絶妙な広さだった。問いただすのがなんとなくはばかられ、知らないふりをしようと目線を逸らす。気付かなければ互いに楽なのかもしれない。それでも、気付く勘の良さが子供である。わずかの逡巡を挟んで謝罪の文句を紡がれ、土屋はばつの悪さに、知らず眉根を寄せていた。


 意識的にか無意識にか、子供の行動には、いつだって無駄がなかった。それは余分がないということ。裏返せば、余裕がないということ。
 背中合わせの意味に気付いていないらしい子供は、知らないがゆえになんとも感じていないようだったが、はたから見ている土屋は、時にその痛ましさに唇を噛んだ。追い詰められていることに無自覚なまま、己が手でいっそう包囲網を狭めていく。気付かせたくて、伝える術が思いつかなくて。土屋にできるのは、ひどく遠回しな自殺志願者に、傍にいてくれると嬉しいのだとそっと伝えることだけ。やわらかい言葉と切なる思いで、手の届かないところに行かないよう、子供に足枷をはめることだけだった。
 いつでも隙なく無駄なく過ごす子供が空間を残したなら、そこには小さからぬ意味があるはず。そして、告げないことにもまたしかり。追求はするまいと決め、それでも意識から叩きだすことのできない裏庭の花壇の片隅。自制と衝動を持て余し、苦肉の策として得た解決は、それとない観察を習慣化することだった。



 建物の裏に立つ桜の木から花が散る頃、花壇ではチューリップが蕾を綻ばせた。楽しみにしているように、と。冬空の下で予告した言葉に嘘はなく、艶やかに咲き誇った花は、ひいき目を抜きに、実に見事なものだった。本人の意向か、咲いた花は、その日の朝に手折られて、ミーティングルームの隅に飾られていた。
 花壇は決して広くはないが、さほど狭くもない。その空間を単一品種で埋め尽くすのは趣味ではなかったのか、まだ蕾をつけてさえいない草も生えていた。正直なところ、花を見て名前をあてることも、それこそチューリップクラスの有名所以外は難しい。そんな土屋から見れば、背丈や形状に多少の差異こそあれ、草は草である。境界がどうなっているかなどまるでわからなかったが、あの空間だけは見失わなかった。そこに生えている草だけは、きちんと認識することができた。


 その年の春は、例年より少し肌寒かった。世間が浮き足立つ連休が明けてはじめて、子供はベストの上に羽織っていたブレザーを脱いで登校するようになった。
 葉の茂り具合と背丈から、観察対象の花の時期がそろそろだろうと推測していた土屋は、小さな蕾を見つけて唇の両端を釣り上げた。花の終わったチューリップは球根を待つばかり。次は朝顔でも植えるつもりなのか、近所の工場から廃材を貰い受け、蔓棚を作る準備を整えている。手先の器用さは知っていたが、精密機械や園芸に限らず、木工までもが守備範囲だとは。さすがの土屋も、予測を大きく裏切られた。
 蕾をひとつ見つけてしまうと、それまで以上に開花を待ちわびてしまうのが人情というものだろう。少しずつ膨らんでいき、緑の覆いの向こうに花弁が覗きはじめても、土屋にはそれが何の花であるのかの見当はまるでつかない。ただ、咲き誇るのが白い花だろうことを推察し、おとなしく花が開くのを待つばかりだった。


 茎の長さがある程度以上あれば一輪挿しに、なければコップに、子供は咲いた花を活けていた。可愛らしいパンジーが日毎に色を替えるのを楽しみに見ていたのが五日。そして六日目に、定位置には一輪挿しが戻り、可憐な白が活けられた。
 開花したらしいことは知っていたが、いつもと違ってその花が手折られることはなかった。習慣は繰り返されることに意味があり、破綻すればその異様さが際立つもの。しかし、異常は通常の上にあってこそ。異常の上にある異常は、その恒常性ゆえに通常となる。だから、最初の蕾が綻んで以後、土屋の目に留まるよりも先に片っ端から花を摘まれていたその花にとって、茎を手折られ活けられることこそが異常だった。
 ようやく目にすることのできた花びらが幾重にも重なるその形状に、土屋は花の名前を思い出した。蕾ではわからずとも、開いてみればよくわかる。それこそ、チューリップ並みの知名度を誇る花。そして、あまりにも深い意味を持ちすぎる花。
 その花が活けられていたのは、一日だけだった。翌日には再びパンジーのローテーションがはじまり、子供の趣味に加担する気になったらしい所員から駐車場の隅に生えているアジサイの存在を聞き、移植計画を練っているようだった。
 たった一日、花瓶に挿すためだけに育てられた花。たった一日の晴れ舞台の上がった翌朝、何も言わず、誰にも言わず、視線を伏せて片付ける横顔だけを見ていた。


 異常は完全に払拭され、相変わらず蕾は綻びかけたところで摘み取られる。そして週末になって、何を思ったか、子供は青々と茂るその草を根こそぎ掘り返し、新しい種を蒔くべく土を丁寧にほぐしていた。
 驚きと困惑を隠しきれずに見守る土屋に気づいたのか、子供はほのかに微笑んで、朝顔を蒔いたんですよ、と呟いた。
 花瓶には活けられないけど、きっと見応えがあると思います。ひまわりも育ててみようと思うんです。リョウくんが、ボクが育てたらきっと立派な花が咲くだろうからって言ってくれたんです。
 ぽつぽつと綴られる声はとても穏やかで、だから、土屋は思わず心のうちをぽろりとこぼしてしまった。
「カーネーションは、もう全部捨ててしまうのかい?」
 驚いた様子はなく、ただ作業の手を止めて、子供はふわりと微笑んだ。
「こだわる必要はないかな、って、そう思って」
「そうか」
 気づかなければ互いに楽なのに、気づいてしまうのが自分たちだから、土屋は諦めた。諦めて、でも、今度は気づいても苦しくなくて少しだけ気分が楽になったから、これでよかったのだと思うことにして、一輪だけ、掘り起こして積み重ねられた中から蕾を所望した。
fin.
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 私の愛情は生きている。
 私の目はあなただけを見つめ、あなたを尊崇し。
 愛情の絆は張り巡らされる。

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