■ 第四話 --- 絶望の戦士たち
 一様に動きを止めた子供たちを一瞥し、集団のトップとおぼしき先頭の男が軽く顎をしゃくる。と、後ろにいた男たちがいっせいに、統制の取れた動きで散りはじめた。ロルの注意が逸れたチャンスを逃さず、再び気管を圧迫する手に力を込めていた少年を、二人の男たちが引き剥がす。その脇では、別の男が床からJを助け起こしている。
 放置される格好で呆然と成り行きを見守っていたロルに、差し伸べられる手と声とがあった。
「無事か?」
 手の先には、指揮をとっていた男の、心配そうな表情がある。警戒心をいっぱいに湛えた視線で睨み据えるにとどめ、相手の出方を伺うロルに、男はなにを思ったのか銃を下ろし、空いた両手でその脇を抱え上げる。
 よいしょ、と、外見年齢相応のかけ声と共に子供を立たせて、男はロルの服についてしまっていた埃を軽くはたいた。
「怪我は、そんなに酷くないようだな」
 一人で勝手に納得している男に、敵意は微塵も感じられない。袖と肩とに滲んだ血を見て眉をしかめるものの、重傷というわけではないことを見てとったのか、ふうと吐息をこぼした。
 両手両足の自由と意識を奪われ、体格のいい男に担ぎ上げられた少年が、ロルと男の横を運ばれていく。
「あの、あなたたちは?」
「ああ、失礼。まだ名乗っていなかったね」
 やはり怪我の確認をされていたらしいJが、そっとロルの隣により、男にいぶかしげな視線を送る。二人の少年にとっては当然の問いだったが、男にとっては意外なものだったらしい。ふと思案するような表情を浮かべた後、ようやく気づいたという調子で、苦笑しながら口を開いた。
「私はマードックという。連邦捜査局の捜査官で、ハース議員に依頼されて、君たちを助けにきた」
 ちなみに、他のご友人たちは無事だよ、と続けざまに微笑まれ、Jはロルと顔を見合わせる。
「さあ、行こうか。怖かったろうに、よく頑張ったね」
 くしゃりと子供たちの頭を撫でる手は、無骨ながらもやさしい。それぞれに仕事をこなしている仲間たちにいくつか指示を残すと、マードックはJとロルの先に立ち、ついてくるようにと言って歩き出した。


 連れて行かれたのは、建物内の一角にある、応接室のような部屋だった。
「あー、お前ら! 無事だったんだな!」
 ドアを開けて中に一歩踏み込めば、耳慣れた声が耳朶を打つ。満面の笑みでソファーから身を乗り出しているのは、豪だった。
「大丈夫だった?」
 空いている席に座るよう促す土屋の向かいの席から、烈が穏やかに問いかける。
「うん、ボクたちは平気。そっちは? 怪我とかしてない?」
「大丈夫だすよ!」
「見ての通り、無傷でげす」
 二人が腰を落ち着けるのを見計らって、入り口に立っていた男が、マードックの指示を受けてロルの腕の手当てに取りかかる。頷きながら問い返したJに、いつもの調子の二郎丸と藤吉の声が軽やかに応じる。
「なんにせよ、無事でよかった」
「そうだね」
 しっとりとまとめて背もたれに体重を移すリョウに、土屋が微笑みながら同意した。
 ありふれた、そしてなににも変えがたい日常の風景が、そこには当たり前のように広がっている。胸の奥からせりあがってくるあたたかい思いに軽い眩暈を覚え、Jはまぶたを落として全身から力を抜く。
「連絡をつけてくれたのか?」
「いや、違うよ。私たちは関係のない部屋しか見つけられなくてね。その途中で、外で会った子たちに追いつかれたところを、彼らに助けられたんだ」
 ぐったりとソファーに沈み込んだJの隣で、淡々とした声が上がった。所長室に辿りついた後の時間ロスを考えれば、自分たちの取った連絡によってマードックたちがやってきたとは考えがたい。小首を傾げて尋ねるロルに、土屋が苦笑混じりに答え、その視線を男へと投げかける。詳しい説明は任せるということだろう。
「護衛役の二人から定時連絡がなかったため、緊急事態が発生したと判断したハース議員のひと言で、捜索部隊が派遣されたんだ」
 最後の連絡の履歴から座標を細かく割り出してみれば、そもそも公式に発表されている滞在先とも違う。事態はあっという間に大きくなり、いまごろマスコミも大騒ぎだという。言葉がなくとも正確に土屋の意図を察したマードックの簡潔な説明に、ロルは室内を見回した。
「あの二人は?」
 言われてからようやく気づいた、いつでも傍にいた二人の存在の欠損。最悪の事態を想定してロルは一転、表情を驚愕から不安へと塗り替える。
「警察の人がね、一足先に病院に連れて行ってくれたんだ。僕たちを庇って、二人ともけっこうな怪我をしちゃってて。でも、そのおかげでみんな無事なんだけどね」
「命に別状はないだろうが、出血箇所が多かった。大事をとらせてもらったんだ」
 烈の説明に補足を加え、ほっと息をついたロルを見つめてマードックは微笑んだ。
「別枠でヘリを要請してある。それが到着したら、君たちも本土へ送ろう」
 とにかく疲れただろうから、いまはゆっくりと休むといいと言い残し、彼は廊下へと出ていった。



 本来ならばぐっすりと夢の中にいるはずの時間を緊張の連続で過ごしてきた面々は、誰もが疲れ果て、ソファーに身を沈めている。もっとも、眠気に襲われているのかといえば、そういうわけでもない。昂った神経は目を、思考を、かえって冴え渡らせる。
「傷は痛まないかい?」
「大丈夫。ありがとう」
 中でも特に、どこか気の抜けた様子で視線を投げ出しているロルに、土屋はそっと、小さな声で問いかけた。思えば、彼こそがもっとも疲弊しているだろう立場にある。怪我も多く、体力の消費も、誰より激しかったはずだ。それなのに、他の子供たちと異なる様子など微塵もみせず、瞬きひとつで穏やかな笑みを浮かべると、ロルは土屋にゆるく首を振った。
 事実、小さな傷は多いものの、どれもロルにとってはたいしたことのないものだった。いずれも出血は治まっているようだし、特に違和感もない。簡単に各関節を動かすことで、怪我の状態の確認を行なっていたロルは、物憂げな表情で俯いている人影に気づき、首を巡らせた。
「どうかしたか、レツ?」
 名指しで問われ、烈はゆっくり顔を上げると、ぽつりと呟いた。
「どうなるのかな、って思って」
「どうなるって、なにが?」
「ほら、さっき襲ってきた子とか、他にもここにいた子とか」
 唐突であいまいな言葉に豪が首を捻れば、烈は真剣な面持ちで続ける。
「怪我した分は治してもらえるんだろうけど、そうじゃなくてもなんか、様子がちょっと変だったし」
 感情も表情もまるで垣間見せず、機械のように淡々と、目的のための作業をこなしていた様子が、いまだ頭から離れない。傷を負うことも、誰かの命を奪おうという行為も、彼らにとっては微塵の躊躇いも覚えることではないようだった。なまじ、近くで改めて見れば案外年齢が近かったため、どうしても、他人事と割り切ることができないのだ。
「ああ、それは仕方ない。自我を保たないように、いろいろ仕込まれるから」
 訳知り顔で首肯し、ロルは烈の疑問に答えを示す。無言で詳細を求めるいくつもの視線に、少年はさらりと応じる。
「ここでの仕込みがはじまるのは、だいたい五歳ぐらいからだ。そんな小さいうちから、自我を持たないように、ただ人形みたいに従うようにって教育されたら、そうなるのは当たり前」
 自我を保たせれば命令に背く恐れがあり、感情を持たせれば精神状態の暴走や崩壊の可能性がある。それでは、商品としての価値が下がってしまう。自分たちはあくまで、戦場において人形のごとく動く兵士として作られ、売られるのだから。
「でも、君は違うよね?」
 なされた説明に対して、烈は疑問を呈した。目の前にいる人物は、ここで育ち、訓練を受けたのだと公言していたが、いまの言葉とは矛盾する。
「オレは例外。最後まで逆らい続けた、非常に珍しい失敗作」
「そして、ありとあらゆるテストにおいて常に最高水準の成績を叩くほどの、得がたい秀作だった」
 ひょいと肩をすくめ、ロルは昏い嘲笑を浮かべる。だが、それは一瞬にして掻き消えた。ロルの言葉尻にかぶせるようにして述べたのは、いつの間にか入り口に姿を現していた、初老の男だった。


 うっすらと微笑みを湛えた男は、入ってもいいかと伺いを立てる。慌てて土屋が許諾したのを受けてソファーへと近寄ってくる男に、驚愕に目を見開いていたロルが、苦い声を絞り出す。
「なんで、こんなところに?」
「現場視察は基本中の基本だ」
 重々しく返された言葉に、ロルはじと目で男を睨み据える。片眉を跳ね上げ、軽い調子でその剣呑な視線を受け止めていた男は、しばらく見合った後、ふと口元を緩めた。
「相変わらず手厳しい。だが、視察というのは本当だ。ここの存在は、私にとっての追い風となる。自分の目で確かめようと思ってね」
「もっと落ち着いてからにしようとは思わなかったのか、ドワイト・ハース?」
 飄々とした中にも冷徹なしたたかさを秘めて対峙する男に、ロルは大きく息を吐いてみせた。言われてみれば確かに、廊下には見慣れたハースの取り巻きがおり、さらにそれを取り囲むようにして、マードックの同僚たちが立っている。視察に来たというそのセリフに、嘘はないのだろう。
 名前を呼び捨てにした瞬間、外の人だかりでざわめきが起こったようだったが、ロルもハースも気にした様子はなく、軽く受け流す。
「せっかく変装してみたのに、いきなり正体をばらすこともないではないか」
「眼鏡を変えただけだろう?」
 残念そうに首を振りながら内ポケットから取り出したケースを開け、おもむろに眼鏡を取り替えたとたん、そこにはテレビなどでよく見かける顔が現れた。ロルが名前を呼んだ段階で既にわかってはいたことだが、外観と中身とが一致して改めて、室内には困惑のざわめきが広がる。
「一方的にあなた方のことは見知っているが、この場合は、はじめましてと言った方がいいかな」
 品格の漂う仕草で軽く会釈を送ってきたハースに、相手の存在の大きさをいまいち実感しきれない子供たちはあいまいに挨拶を返し、土屋は腰を浮かせて右手を差し出した。
「どうぞ楽に。今後のためにも、早めに確認しておきたいことと、伝えたいことがあるだけなので」
 がっしりと握手を交わした後、座ってくれるよう身振りで示してから、ハースは内心の読めない表情で、ぐるりと室内を見回した。
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