■ 第三話 --- 正義という名の大義
あまりにいい加減なその発言に、子供たちの警戒心は一瞬の緩みをみせる。唖然とした様子で見返してくる同じ色の、それでもはっきりとした違いを湛える二対の蒼い瞳に、ルーカスはただ、満足げな笑みを向ける。
「楽しいか否か、それが重要なんだ」
「じゃあ、あなたはこのすべてが楽しみのためだったと? いや、これだけじゃない。ザデー議員との癒着とか、武器の密輸とか、この研究所で行なわれていることとか!全部、退屈凌ぎだったとでも言うんですか!?」
「無論」
慌てて息を吸い込み、初めて口を開いたJに厳しく糾弾されても、ルーカスは笑みを崩さずに即答する。
「よく、調べてあるようだ。もっとも、将軍殿と私は癒着関係ではなくて、友人同士だよ」
教え子を諭すかのような口調で応じ、ルーカスは肩をすくめる。その行動は言動を激しく裏切った印象を与えるものだが、それすら承知の上なのだろう表情が、Jの感情を逆撫でする。
「友人ですら、あなたにとっては愉悦を得るための道具に過ぎないんですか?」
「そのことに関して議論する気はない。君たちは、兄弟でありながら互いを利用して生きているではないか」
視線は外に投げ、気のない調子で向けられた無神経な言葉が脳に届くや、Jの自制心は臨界点を突破した。
だが、激昂に任せて口を開こうと息を吸い込んだ目と鼻の先に、ロルの腕がずいと突きつけられる。
「お前に言われる筋合いはないし、こっちこそ、そのことに関して議論する気はない」
声こそ静けさを保っているものの、目にはぎらぎらと物騒な光が宿り、全身から怒りが陽炎のごとく立ち昇っている。
「もう十分に楽しんだだろう? オレの勝ちだと言うならそこをどけ。外に連絡をつけて、オレたちは無事に逃げ出して、そしてここの存在を世に暴く。お前も、ザデーもガーフィンケル社も、みんなお終いだ」
「勝利を奪われたからには、私はもう手出しをしない。好きにするといい」
アナログの資料は揃っているし、研究所内のデータベースに所長権限を持つこの部屋のパソコンからアクセスするのはたやすいことだ。
ただし、と。ルーカスは逆接の接続詞を付け加えるのを忘れなかった。言いながら無駄のない動作で改めて振り返ったその腕はいつの間にか上げられ、銃口がひたりと、ロルの眉間に合わされている。
「隙だらけだな。感情に流されてはいけないと、あれほど教えたのに」
「手出しをしないっていうのはでまかせか?」
「とんでもない」
笑みも姿勢も崩さないまま、ルーカスは淡々と告げる。
「いま、この中には君を外で追っていた子らがいる。彼らからうまく逃げ切れるかまでは、私は知らない」
言い切るか言い切らないかの内に、その銃口は火を吹いていた。
慌ててドアから逃れ、左右にそれぞれ、壁に身を寄せて銃弾を避けた二人の目の前に、硝煙を突っ切って銃本体が投げ捨てられる。いぶかしさと警戒心とを織り交ぜてそっと室内を覗けば、濁った視界に、人影とおぼしきものは映らない。
「やられた!」
「どういうこと?」
舌打ちと共に低く吐き捨てたロルに、続けて部屋に足を踏み入れたJが問う。
「ここはもとはといえば戦争中の軍事施設。どっかに抜け道があったって、別に不思議なことじゃない」
自分たちの知らないそこから逃げられたのだろうと、ロルは奥歯を噛み締めた。どこまでも自分を翻弄し、そしてまんまと逃げおおせる相手に、煮えたぎる感情のやり場が見つからない。
もう一度だけ、確認の意味も込めて室内を見回したJは、ひとつ頭を振って思考を切り換えると、デスクへと歩み寄った。
「諦めよう。追いかけたくても、道がわからないなら意味がない」
それよりも、やらなくてはいけないことがある。悔しいこと極まりないが、彼も言っていた。感情に流されてはいけない、と。
既に立ち上がり、パスワードを請求するウィンドウの出ているディスプレイに目をやったJは、キーボードの上の紙を見つけ、思わず手を伸ばす。ご丁寧にも四つ折にしてあったそれには、パスワードと、そしておそらくはルーカスからのメッセージ。
視界の隅ではロルが部屋に備え付けられていたらしい電話を持ち上げ、破壊されていることを教えてくれる。すべての可能性を潰しはしないくせに、一番の頼みの綱はことごとく打ち砕く。周到なその行動に呪詛の言葉を吐き出し、ロルはわなわなと震える肩を隠そうともせず、乱暴に電話を元の位置に戻した。
吐息に万感の思いを込めることで湧きあがった感情を押し殺すと、Jは素早くキーボードに指を躍らせる。
「ここはボクひとりでも大丈夫。それより君は、みんなの方を」
画面を流れる膨大な量の情報を読み流しながら、Jは入り口に戻り廊下の向こうを伺っている少年へと声をかける。デジタル系の知識はないのだと言っていた彼と、アナログの戦闘に関しては足手まといにしかなれない自分。それぞれに領分があるのなら、少しでも使える手の必要な部署に、適切な人材を配置するべきであろう。
考えうるすべての方法をもってハースへの接触を試みながら、Jは願う。追っ手が入り込んできたなら、建物内の構造に詳しくない友人たちは、袋のネズミも同然。単身ならまだ小回りも利くだろうが、非戦闘要員の集団ともいえる彼らには、守ってくれるだけの力を持った人間が、ひとりでも多く必要だ。
「そういうわけにもいかないみたいだ」
「え?」
耳をそばだてるようにしていたロルは、半眼で低く続ける。
「さっきのやつらだけじゃないな。大人も相当人数混じってる。しかも、プロが」
提案に対して返した反論を唱える言葉に束の間手を止めたものの、Jはすぐに作業に戻り、無言のまま続きを促してくる。その様子を横目で見流し、ロルは必死に、最良の策を思案する。
ぴんと張り詰めた空気を纏い、いくつもの足音がひしめいている。時折混じる銃声の存在を、正直に告げるべきか否か。
最後の最後になって、いよいよ大詰めというところまできて。どうしてこんなどんでん返しが待っているのか。
耳許に、人を喰ったようなルーカスの笑い声を聞いた気がして、ロルは大いに顔をしかめた。
手の中には、二発の銃弾を残した小銃が一丁。ルーカスが最後に放って寄越したそれが空であることは確認済みだし、他に武器になりそうなものはひとつもない。圧倒的に不利であることは、誰よりもよく、ロル自身がわかっている。
それでも、守らなくてはならないものがある。
自分で口にした言葉を思い起こし、ロルは薄く笑みを刻んだ。自嘲にも絶望にも縁のない、穏やかな笑み。
ごく小さな靴音が廊下に木霊し、そこかしこで扉を開け放つ音がしている。そこに加えて人の話し声が重なれば、あらゆるものが壁に乱雑に反響してしまい、個別には聞き取れない。もっとも、状況は読み取れる。
いまこの建物内は、混乱の只中にあるのだろう。ならばそれは、好むと好まざるとに関わらず、少年がずっと慣れ親しんだ空気。ロルの独壇場を意味している。
作業に集中力の大半を取られているJは、廊下の様子に気づいた風もない。もっとも、それは当然のこと。相手は、聴力特化型と呼ばれたロルですら耳を澄ませなければ聞こえないほど、すべての音を抑え、統率された動きをとっている。そして、別枠で蠢くもうひとつの気配が、ぴりぴりと神経を刺激する。
「とりあえず、様子見てくる。ここから出るなよ」
状況をいま、事細かに説明することに意味はない。指示に素直に頷くJに目をやってから、少年は騒ぎの中心、自分たちが通り過ぎてきた方へと足を向ける。
「絶対、戻ってきてね」
部屋を飛び出す寸前にかけられた言葉は正しくその耳に届く。もっとも、それに返答している暇はなかった。
言葉や理屈で説明することの適わない、いわゆる直感というものに任せて。ロルは振り向きざま、引き金にかける指に力を込めた。節約のため一発しか撃たなかった銃弾は、相手に傷を負わせる。それでも、傷の走った肩口を気にかけることなく、背後から現れた影は走りながら手の中の機関銃を持ち上げてきた。
おそらく彼は、ルーカスの言っていた、外で追ってきた子たちの一人なのだろう。ロルとそう背格好の違わない少年は、無表情というよりは無感情な様子で、安全装置を外す。
冷静さを欠かない観察眼は、はじめに向かおうと思った方向からも、何者かが距離を詰めてくる気配があることを同時に伝えてくれていた。だが、残り一発となった小銃一丁で、大勢の相手などできるはずもなく、彼らを丸腰のJがいる部屋へと通すわけにはいかない。
瞬時に判断を下し、ロルは一足飛びに前方の相手との距離を詰め、銃口の向きを天井へと逸らした。そのまま引き金を引くゆとりも与えず、手首を捻り上げ、得物を奪いつつ足技をかける。
もっとも、相手もやられ通しではなかった。どう足掻こうと、物理的に腕の本数が少なければ、形成不利であることに違いはない。封じたのとは反対の腕で首を締め上げられ、ロルは呻き声を漏らし、慌てて身を捩る。併せて鋭く蹴りあげようにも、床に押し倒されてしまっては力が思うように入らない。
脳に補給される酸素が不足してきたのか、視界が霞みはじめる。せめて凶器を戻すわけにはいかないと、手首のスナップを利かせて放り投げるが、気休めにすぎないと囁く理性の声に、自己嫌悪の念に駆られる。
悲鳴に近い甲高い声が、ロルを呼んだ。出てくるなと言ったのに、Jが廊下にやってきたらしい。音にならない舌打ちを残し、ロルは反動をつけて膝を蹴り上げた。みぞおちを直撃した感触に続けて、首を締め付ける圧迫感が緩む。
形勢逆転の機とみたロルが、腰の捻りを利用して相手を壁に叩きつけようとした瞬間。重たげな音と共に、いくつもの銃口がロルと、ロルを組み伏せる少年とに照準を合わせる。
はっと息を呑んだJが床に転がっていた機関銃へと飛び込み、手を伸ばすものの、僅差で間に合わなかった。
先手を打たれてそれは、いかにも丈夫そうなブーツに踏みつけられた。