■ 第八話 --- 決意と覚悟
 いざ戦闘となれば、どれほど疲弊していようが自失していようが、すぐに我に返って反射的に行動を選ぶことができる。なのに、その緊迫感を離れたとたん。目の前の道すらわからなくなる。
 どうすればいいのか、どうしようというのか。自問する声に答えはなく、足掻こうとしては、立ち上がる力を失う。意思が、なす術なくくずおれる。
 頭を抱えて俯き、ロルは瞳を硬く閉ざした。
 すべてに手が届かなくなり、見えなくなり。
 混沌の只中を、あてもなく漂っている気分だった。
 少年の唐突な行動に驚いたのだろう。ざわりと揺らめいた空気に乗って、どうかしたのか、どこか痛むのかと、ひたむきなやさしさが全身を包む。
「ごめん」
 必死になって胸の一番奥底から引きずり上げた思いを舌に乗せれば、それは意外とあっさり音を伴った。掠れる弱々しい声に虚を突かれ、いくつもの心配そうな声がそれぞれに、どうしたのだと問い返す。
「謝って、それですむことじゃない。どんな言葉を使っても足りないって知ってる。でも、他にどう言えばいいのかがわからない」
「どういうことだい?」
 重力に従って地面に落とされたこぶしは、これでもかというほどの力で握り締められ、小刻みに震えていた。上げられた表情は、血でも吐くような面持ちで。あまりの悲愴さに言葉を失う子供たちをちらと見ながら、黙っていた土屋がそっと、少年に先を促す。
「こんなことになっているのも、怪我をさせちゃったのも、全部オレのせいだ。大丈夫だろうって、高を括ってた。そのせいで、巻き込んだ」
「別に、君のせいではないだろう?」
 放っておけば自責の念の無限ループにはまり込んでしまいそうな様相の子供に、土屋は努めて穏やかに問いを返す。こんな襲撃は、誰にもあらかじめ予測の立てられたことではない。それを一人の子供のせいにして責め立てるほど、彼は無神経ではなかった。
「違う。さっきの話、聞いただろ? あれがすべてで、真実なんだ」
「さっきって、ルーカスって人?」
 烈が確認を取るのに対して、ロルは静かに頷いた。
「いまはなにもないけど、絶対にこれだけじゃ終わらない。別働隊も用意されていると思う。それを追い返す方法も、そこから逃れる方法も。オレにはもう、思いつかない」
 ここで時間稼ぎをすれば、その間に抜け出してもらえると思った。そのために惜しむものなど、なにもなかった。この島から出られれば、彼らを守る要素はたくさんある。
 だからこそなおのこと、逃げ出すことが叶わないなら、もう手の打ちようがない。
 きゅっと唇を噛み締め、口を噤んでしまったロルに、誰もかける言葉を持たない。断片的に与えられた情報をどう繋ぎ合わせてみても、状況の理解には至らなかった。わかっているのはただ、もっとも事態を正確に把握していそうな人間が既に諦めてしまっているという、目の前の現実だけだ。


 決して短くはない沈黙をはさみ、苦悩をくっきりと刻む少年に、烈は口を開いた。
「さっきさ、Jくんの言ったこと覚えてる?」
 突然道を外れた話題に、ロルが怪訝そうな目で首を傾げれば、烈は薄く苦笑を浮かべる。
「言ったよね。諦めないよ、って」
 やわらかさの中に揺るぎない強さを誇る芯を通して、烈は不安げに見上げてくる蒼い瞳を見返した。
「最後まで、諦めちゃダメだよ。そうすれば、奇跡だって起こせるんだ」
 絶対になんとかなるから。なんとかするから。だから、自分から可能性を捨ててはいけない。
 烈とて頭は悪くない。状況の圧倒的不利を察しているだろうに、それでも強気に断言した目の前の少年に、ロルは圧倒されている自分を知る。
「一人でこっそり抜け出したりして、君は、死にに行くつもりだったの?」
 続いて口を開いたのは、手当てを終えた後、ずっと黙り込んでなにごとかを考えていた様子のJだった。小さいながらも凛と透る声は、戸惑いを孕みながらも、鋭さを光らせる。
「違う。やらなきゃいけないことがあったんだ」
 もっとも、結末としてはその可能性が一番高かっただろうが。
 不安を煽るような発言は声にせず、ロルは胸中で付け加える。ほんの一瞬、自嘲気味な笑みを刻んだ視線を巡らせれば、真剣な表情で言い連ねるJと目が合う。
「そのやらなきゃいけないことは、ここに行き着くの? さっきの人に、関係あるんだよね?」
 語尾はわずかに上げながらも、問いかけというよりは断定に近い口調だった。指摘された内容に思わずつと息を吸い込んだロルから焦点を外すことなく、Jは続ける。
「君の行動は、あまりにも浅慮だった」
 ふと凍りついた声音で冷酷に言い渡された言葉に、ロルは呼吸を忘れ、残る面々は目を見開いてJを凝視する。
「抜け出す君に気づかないほど、ボクが君に対して無関心だとでも? 彼と、その後ろについている人たちが、君の行動をみすみす見逃すとでも?」
 侮るなと、Jは怜悧な光を湛える瞳でロルを射抜く。
「死にに行くのを許す気はなかった。だから、ボクは君を追いかけた」
 そして君はボクを巻き込み、周りの見えなくなっていたボクらは、みんなを巻き込んだ。その自覚があるなら。その自覚があるから。
「こんなところで半端に投げ出すのは、もっと許さない」
 どれほどの苦境に立たされようと、最後までもがき、抗う以外の選択肢など、決して認めたりはしない。
 いっそ酷薄なほどの鮮やかさをもつ、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、穏やかな声に戻ったJは告げる。
「君は、なにかを求めてこんなところまで来たんだろう? 危険を承知で、それを省みずに」
 相手のもつやさしさを知っていればこそ、その決意がどれほどのものかはわかる。だからその覚悟を買って、最後まで付き合おう。
 見え透いた結末だろうと、運命や宿命と呼ばれるものだろうと、納得のいかないものに従う気などない。
「ならば、最後の瞬間まで、諦めるのなんて認めない」
 どんなに見苦しかろうと、足掻ききってみせるのが筋というものだ。



 唖然として、高らかになされた宣言を頭の中で無意味に繰り返していたロルは、自分の息を吸い込む音でようやく我に返った。
 思考回路は麻痺してしまい、言われたことの内容はまっとうに理解できない。それでも、とんでもないことを告げられたということだけはわかっていた。
「でも、お前だって聞いただろ? 外に出る手段はない。連絡のとりようもない。どうやったって、ここから逃げ出すことは――」
「そして君は、その先に望み、描いていたことを諦めるつもりなの?」
 告げられる言葉を遮り、Jは冷然とした、皮肉な笑みを口の端に乗せる。凄絶ともいえるそれを瞬きひとつで拭い去り、少年は乞うように、小首をわずかに傾げた。
「さっきの人、明け方までは待ってくれる、みたいなこと言ってたよね。だったらいまのうちに、ちゃんと説明して。君にはその責任がある。だいたい、いまさら隠し事をして、それでどうなるっていうの?」
 怯えたように揺らぐロルの瞳はしかし、ひたすらになにかを押し隠している。膠着状態に入りかけた二人の子供たちに、それまで発言を控えていた土屋は、小さく息を吸い込んでから口を開いた。
「君は一体、何者なんだい? 言い方は悪いが、君は一人の、ただの戦災孤児に過ぎないはずだった。でも、どうやらそれは表の顔のようだ。君は、どこでなにをしたというんだ?」
 どうか答えてくれと、躊躇いと困惑のうねりに呑みこまれかけているのだろう子供に、土屋は目を向ける。
「賭けに、負けたんだ」
 不意に肩を落とし、ロルは小さな声を絞り出した。
 抽象的な響きにその内をいぶかしみ、彼らの表情にはそれぞれ、疑問の色が走る。
「巻き込まれた闇を暴きたかった。でも、間に合わなかったんだ」
 囁くように呟き、ロルはただ、儚く笑んでみせた。


 触れれば壊れてしまうような脆さを思わせる笑みに、彼らは反応を示せない。目を伏せたロルは、それらを気にした風もなく、ぽつぽつと言葉を続ける。
「この手は血と罪と、そして恨みにまみれている。そうしないと生き延びられなかったのも事実だから、後悔はしていないつもりだ。でも、せめてもの罪滅ぼしぐらい、したいと思った」
 光の差す場所に立ってはいけないと、察することはできていた。それでもあえて陰から這いずり出て、やりたいことを見つけた。
「ここの存在を、白日の下に曝したかったんだ。知っているやつがいないから終わらない。だから、知っている人間が動かなくちゃいけない」
 自分を、他の子供を、大人を。ありとあらゆるものを呑みこんで蠢く闇に気づいたとき、それを暴くと決めた。なにもかもすべてを利用して、この命が消されるまでに。だから、己の死など恐れない。もっと忌まわしいことは、山のようにあるのだから。
「ここは、何なの?」
「旧アメリカ陸軍第三生化学研究所。内実は、ガーフィンケル社所属の人体改造実験施設だ」
 そして自分は、ここで飼われていたモルモット。
 そっと問いを返してきた烈にあっさりと答え、ロルはうっそりと目を細めた。
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