■ 第五話 --- あまりに危険な賭け
 岩陰を出て、アーヴィングとドゥルーズを除く全員が森に駆け込むや、ロルはぽつりとひと言だけ残して進行方向から外れ、暗い木立の中へと身を躍らせた。
「なにがあっても立ち止まるな」
「え?」
「烈くん、行こう」
 思わずその背中を目で追い、足を止めかけた烈を促し、Jはひたと前方を見据え、地面を蹴る。次の瞬間、ロルが消えた辺りから、重いものが地に落ちるような音が聞こえてきた。
「でも、Jくん!」
「大丈夫。彼はそんなに弱くない」
 耳の横を掠める風の音に、異質のものが混じる。背後から、空気を切り裂く勢いでなにかが飛び交う音が、幾重にも重なって追ってくる。
「こっちにもいるのかよ!?」
「急いで走るんだ!」
 追っ手が来ているのかと、あからさまな危険性を嗅ぎ取って豪が視線を音源の方向、後ろに流せば、最後尾を走っているリョウが怒鳴り返す。
「あいつが言っていただろう。前だけ見ているんだ」
 声に後押しされて更に速度を速める彼らの耳に、先ほど砂浜で聞いたのと同じ、断続的な爆発音が届く。もっとも、それらは肉体を抉る鈍い音を響かせることはなく、立ち並ぶ木々の幹にあたり、乾いた音が暗がりに反響する。
「あ、ロルくん!」
「もっと急げ」
 横合いの木陰から合流してきた相手に気づいた烈が視線を上げて表情を緩めるも、ロルはつれない。手にしていたはずの小銃は消え、肩にはどこで誰から奪ってきたのか、代わりとばかりに大きめの火器が担がれている。
 走りながらふと首を巡らせ、横目で木立の向こうを見据え、肩紐を咥えて銃口を引き上げると立ち止まり、ロルはそのまま迷いなく引き金にかける指に力を込めた。音の連撃にあわせて、硝煙の独特のにおいがあたりに漂う。反動に耐えかねたのか、二、三歩たたらを踏むものの、それすらをも助走に、ロルは再び最前列を走る烈たちの隣へとすぐさま戻ってくる。
「最後は短距離とはいえ砂浜だ。遮るものがなにもない。スパートかけるぞ」
「怪我したの? 相手は?」
「致命傷は負わせていない。これはかすり傷。気にするほどじゃない。それより、出るぞ!」
 並んで足音もなく走るロルにちらりと目をやり、上着についた染みにJが眉をひそめる。それにはまるで気にした風もなく答え、ロルは更に速度を速め、一行よりも一歩前へと進み出る。
 木々の合間から淡く降り注いでいた月明かりが、一気に強度を増す。世界を青白く染め上げるそれにわずかに瞳を細め、ロルは足を止めるとさっと周囲を見渡した。視界に障害物はなにも映らず、鼓膜を打つのは隣を走る仲間たちの足音。
 自分たちを探しているだろう足音たちは比較的遠い。あれは、二人の護衛役たちに任せてきた分だろう。森の中、駆け抜ける近くにいた相手は正確に片付けられたのだと、少し前までは当たり前だった自分の仕事の出来に、ロルは内心で安堵のため息をこぼした。腕は、衰えていない。
 一緒に走ってきた皆に先に行くよう告げ、少年は目前に迫った岩場を軽やかなステップで飛び越えると、空に銃口を向け、一気に引き絞った。じりじりと後退しながらも、前方の敵に意識を集中させていたらしい二人の男がその音にちらと視線を流し、一気に距離を詰めてくるのが見える。その場から可能な限りの援護を行い、弾が尽きたところでロルは目的の洞窟を入ると、岩肌に背を預け、後ろを伺う。
 使い物にならなくなった武器は捨てたのだろう。多少の傷は負っているものの、丸腰のアーヴィングとドゥルーズが無事に飛び込んできたのを確認し、もう一度砂浜を一瞥すると、ロルはようやく肩を落としながら息をついた。



 明かりになりそうなものが土屋の持っていたライターぐらいしかなかったため、足元に気をつけながら慎重に。一行は洞窟を奥へと進みながら、口々に疑問や質問を音へと変換する。
「で、どうなってんだ? なにがあったんだよ?」
 まず声を上げたのは豪。夜目が利くからと明かりから離れ、後方を歩いていたロルに首から上を巡らせる。
「オレも聞きたい。なんであんな所にいたんだ?」
「だって、お前とJが外に行くのが見えたから」
 それに対して返されたのは、答えではなく問いだった。盗み聞きとは性質の悪い、と嫌味を存分に含ませた声に追い討ちをかけられ、豪は尻込みしながら答える。
 たまたま目にした光景に、なんとなくついていこうと思い立ったら、気づけば全員で外に出ることになっていた。彼らにとってみれば、比較的よくあることである。あっさり与えられた情報に、ほんの少し、頭がくらくらした。
 わだかまっていた疑問が解けたことへの安堵にも似た気持ちと、突いてきていた彼らにもっと早く気づくことのできなかった己を呪うのにも近い気持ち。思いの丈すべてを吐息に込め、ロルは口を噤む。
「こっそりついていったのは、悪かったと思ってるんだ。ごめんね」
 落ちてきた沈黙を破ったのは烈だった。心底すまなそうな声音で謝罪の文句を口にし、それでも、と、口調を厳しいものへと一変させる。
「僕もなにがあったかは聞きたい。事情を教えてほしい」
 説明をしてくれなさそうというよりは、自身もまた状況把握を求めているような雰囲気を如実に撒き散らし、最後尾を歩く二人の男たちはただ口を噤んでいる。彼らを通り過ぎ、足元への注意を怠らないよう気を配りながら、烈も豪と同様に、ロルへと視線を流す。
 烈の隣を歩くのは、心なしか悲壮な表情を浮かべたJ。恐らく彼も、ロルほどではないにしろ事情を正確に理解してはいるのだろうが、どことなく憔悴した様子に聞くのは酷に思われ、烈はあえて焦点を合わせない。
 一向に返答を得られないものの、他に説明を求められそうな相手も思いつかず、烈はどうしたものかと眉間にしわを寄せて考え込む。もっとも、事態の把握が追いつかず、混乱の只中に置かれているのは残る面々においても同じこと。惑いもあらわにただ足を進める彼らの耳に、しばらくしてようやく、やけに静かな声が届いた。
「テロリストの襲撃。丸腰の子供を含め、現場に居合わせた人間は皆殺しにあい、急遽送り込まれたスペシャリストチームにより犯人も全員射殺。真相は闇に葬られるかと思ったが、意外なところから手がかりが得られる」
 淡々と並べ立てられるその単語群のあまりに物騒な響きに、烈たちは思わず足を止めて首を巡らせ、声の主を凝視する。
「襲撃の目的は弔い合戦。標的は、あの国からまんまと逃げおおせた殺人鬼。いまさらになってようやく出てきた公式資料によって、すべての真相には後付けでの説明がつく」
 ちらちらと背後に視線をやりながら歩いていた少年は、正面を振り返りながら続ける。
「説明はする。だから、進もう」
 話しながら歩くからと、ため息をひとつこぼし、ロルは足元を睨む。
「あの、ロルくん? それってどういうこと?」
 思案を巡らせているらしい気配を背中に感じ、視線は素直に前を向け、烈は遠慮がちに声をかける。
「ちょっと極端だけど、いま起きたことを、表向きに説明したんだ」
「表向き?」
 ゆっくりと続けられた補足説明に、烈は表情を曇らせ、進む足はそのままに、どういうことかと振り返る。不穏な単語を繰り返してみれば、振り仰いだその両目にひたりと据えられた蒼の瞳は、凄絶ともいえる鮮やかな光を湛え、ゆるりと瞬く。わずかな光では、相手の表情などぼんやりとしか見てとれない。それでも、吊り上げられ笑みを保つ唇にある、見るもののすべてを凍りつかせるような絶対的な威圧感が、背筋を粟立たせるほどの存在感を誇示しているのがわかる。
「レツなら、それに対する裏をどう考える?」
「裏って、それじゃあ、さっきの説明は嘘なの?」
「事実の散りばめられた嘘ってところだな」
 だからそこには恐ろしいほどの信憑性があり、誰もがきっと、真実には見向きもせずに通り過ぎていく。
「きっと、オレを殺したいと思うやつなんて、掃いて捨てるほどいるだろうから」
「回りくどい説明はいいよ。おれ、よくわかんねーし。結局、どういうことなんだ?」
 声量はあくまで落とされているのに、しんと静まり返った洞窟内でそれは乱雑に反響し、増幅されて鼓膜を痛いほどに打つ。思わぬ話の展開に、質問を口にし損ねている烈に代わり、小難しい言葉の応酬に焦れていたらしい豪が、不満げに口を挟む。
 豪の周囲には、銃火器の扱いに手馴れた人間などいない。さすがに日本と違い、こちらでは実物を目にすることも少なからずあったが、あからさまに使い慣れた感のする同年代の人間など、見たこともなかった。
 たった数分の内にいままで見えていなかった部分、知らなかった部分を散々見せつけられ、豪は新しい友人との間に、見えない溝の存在を覚える。
「あいつらは誰なんだ?」
「さっきの連中はオレを殺しに来たやつらで、ついでにお前らも殺そうとしている。これは確実な事実だし、さっき説明した」
 簡単にまとめて告げられても、豪はいまいち理解が追いつかなかったらしい。しきりに首を捻っている隣から、烈が小声で、更に噛み砕いた説明を加えている。
「だけど、ロル。お前はなぜ命を狙われなくてはならない? さっきもそんなようなことを言っていたが、誰かの恨みを買うようなことをしたのか?」
「殺したいと思われるような恨みとなると、相当なものでげしょう?」
 代わって口を開いたリョウと藤吉に、ロルは小さく肩をすくめながら応じる。
「いまここでオレを殺したがっている連中の目的はちょっとずれたところにあるはずだけど、それだけの恨みを買うようなことはしてきた。事実として」
 皮肉と自嘲の入り混じった音色で、少年はただ言葉を紡ぎながら、暗がりの奥へと足を運ぶ。
「余計なことを知りすぎて、余計なことに首を突っ込みすぎた。それゆえにオレは殺される。罪状はもともと完璧だ。表向きに作られた真実が世に出されれば、世界はオレを悪と見なす。そして、それだけがすべてとなる」
 唐突に開けた視界にあわせるように、ロルはどこか焦点をぼかし続けていた言葉を切る。目前に現れたのは、ライターの炎を鈍く反射する、巨大な金属の扉だった。
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