■ 第六話 --- 道化師と操り人形
豪たちが見つけたのは、岩場の中、奥深くまで通じているらしい洞窟だった。
「ここ、ちょっと入った感じだとけっこう深そうなんだ。みんなで奥まで探検してみようぜ!」
「危なくないかな?」
「そうだな。こういう場所は、奥が案外複雑に入り組んだりしていることもあるし」
眉をひそめて慎重意見を述べたJに、リョウが賛否の定かでない声音でアドバイスを送る。風の吹いてくる気配もなく、奥行きは測れない。
「だから探検なんだろ?」
少し遅れてやってきたロルは、どちらかといえば乗り気だ。瞳を眇めて暗い岩孔を覗き込み、楽しげな笑みを浮かべている。
「なにか目印になるようなものをつけながら進めばいいんじゃないでげすか?」
「あまり深すぎるようだったら、あきらめて戻ってくるだすよ」
一番の渋面を浮かべて腕組みをしている烈に、藤吉と二郎丸も前向きな妥協案を出してくる。が、彼らのリーダーの眉間からしわは消えない。
「あ、そっか。兄貴、こういう暗いとこダメなんだよな」
引きつってすらいる表情の謎解きをした豪は、間髪おかずにその後頭部を殴りつけられ、目尻に涙を浮かべる。指摘は的確だったが、あえて口に出されたくなかったらしい。そういえば、と烈の苦手なものを思い返していたロルを除く面々は、じゃあどうしようかと顔を見合わせる。
「いいよ、みんな行っておいでよ。ボクは烈くんと残ってるから」
「え? でも、Jくんはいいの?」
「うん、ちょっと怖いっていうのもあるしね。それに、なにかあったら、外で知らせる人が必要でしょ?」
明るく笑いながら物騒なことをさらりと述べ、留守番を名乗り出たJは続ける。
「気をつけて行ってきてね」
決定打の一言だった。
一人で残るとしたら、と考えると内心、実は少し寂しかった烈も、仲間ができたので表情を緩めて探検メンバーの最年長者を見やる。
「リョウくん、よろしくね」
「まかせておけ」
サバイバルな状況に最も馴染みの深そうな鷹羽兄弟がいれば、危険は回避して無難に戻ってこられるだろう。リーダーとしてというよりはむしろ、突飛な行動をとりかねない弟を案じる兄として、烈はリョウの力強い言葉に微笑みを返した。
告げられた策略の内容は、あまりにありふれて陳腐なものだった。男はあくびと失笑をつい噛み殺し損ねて、受話器を少し、口元から遠ざける。普段はなにごとにおいても鈍感なくせに、変なところで過敏な神経を発揮する相手は、受話器越しにも違和感に気づいたのだろう。どうかしたのかといぶかしまれ、さらに苦笑は深くなる。
「いえ、ちょっとくしゃみが」
お決まりの文句で見舞われ、さらりと返しながら、彼は話を先に進めた。
「それで十分だと思われます」
表向きの工作やら人員の確保やら、その他諸々の裏方作業は、男の管轄ではない。彼はあくまで、白衣を身にまとう研究畑の人間だ。ただ、どうせならより面白味がある方がいい。抵抗する暇すら与えずにあれを処分するよりは、絶望の中で足掻いてもがく時間をとり、思いがけない余興を見せてもらう方がいいに決まっている。だから、経過を気遣うふりを装って相手に探りを入れ、最高の舞台をぜひ使ってくれるようにと、伏線をそこかしこに敷き詰めておいた。
彼はすべてを自分で編み出したと信じ、そんな己の才気に陶酔すらしているようだが、すべては予想通り。手の中で踊らされ、それに気づいていない滑稽な相手を冷ややかに観察するのは、実にくだらなく、そしてそのくだらなさゆえに、実に愉快だった。
それに、と、男の思考は尽きない。
もしもあれの素顔を知ったなら、彼らはどんな顔をするだろう。思いを巡らせるのは、とてつもない愉悦を伴う。その身の潔白を信じているのだろう、哀れな犠牲の子羊としてのあれしか知らないのだろう彼らは、どれほどの嫌悪をみせるだろう。どんな形で恐怖を示し、そしてあれをどこまで絶望の淵へと追い込んでくれるだろうか。
あれはきっと、なによりも誰よりも、彼らが巻き込まれるのを恐れているだろう。彼にすべてを知られるのを、彼を失う瞬間を、恐怖しているだろう。絶望を植えつけ、希望を剥ぎ取るたび、あれは思いもかけない結果を見せてくれた。だから、今回もまた、同様の反応を期待できるはず。
「ああ、ですが。少々よろしいでしょうか?」
ごくわずかな時間で脳内にあらゆるパターンをシミュレートし終えた男は、最も面白い結果をもたらしてくれそうなオプションを思い立ち、受話器の向こうへと呼びかける。
「どうせすべてを処分なさるのでしたら、サンプルデータの収集にお付き合いいただきたいのですが」
意味深な言葉の選び方に、相手はどういうことかと喰いついてきた。
「他にも数体、あれの結果を参考に改良を加えたプロトタイプがあります。それらを実地で活用していただきたいのです」
万一のこともないわけではない。そのとき、当事者は口封じをしやすければしやすいほど好ましい。ならば、はじめから情報漏洩の可能性などないものを使えばいいだろう。
秘密保持の絶対化と、より多くのデータ収集と、目的の完遂と。
すべてにおいてちょうどいい駒が、手元に揃っている。
「目撃者はどうせいません。残骸が木っ端微塵になるよりも、原型をとどめた状態の方が、むしろ悲惨さを演出できるでしょうし」
丁寧さを保ちながらも自信に満ち溢れた男の口調に、相手がそう時間をおかずして頷くことは目に見えている。もう一押しだ。
「こちらとしても、確認作業は楽な方がいいでしょう。どさくさに紛れて逃がさないためにも、銃火器を使用し、結果を一目でわかる状態にしておいた方がよろしいかと」
名もない、顔も知られていない人間ならともかく、彼らは実に知名度が高いのだ。バラバラに吹き飛んだ手足の残骸よりは、恐怖に引き攣り、絶望に染まった表情が残っている方がインパクトがある。
案の定、しばしの黙考をはさみ、電波に乗って承諾の意が返ってくる。
もっとも、拒絶の返答など可能性すらありえない。頭は悪くないが、相手の本質は賢くもない。己の上層部に太いパイプを持つ男を恐れ、利用しようと企み、そして気づかぬうちに体よく利用されているのが精一杯なのだから。
よもや相手は知らないのだろうかと、男は全体の流れを確認する声を聞き流しながら、考えに耽る。
そう、確かにこれがうまくいけば、すべてを闇に葬ることができる。計画は陳腐ながらも堅実で、形としては理想的だ。ありえなさそうでいて最もありえそうだし、裏づけの資料も揃った。成功の確率は限りなく高く、失敗の確率はゼロに等しい。ただ、ゼロだと断言はできていないのに。
あれは、頭が良かった。
ずっと目をつけて観察していたのだから、男はよくわかっている。IQだとか偏差値だとか、そういう意味ではない。物事の本質を見抜く才能に長け、人の裏側を見る目をもっていた。表に出てくればどんなことになるか、いかに命の危険性を招くか、そのぐらいは承知の上だろう。それでもあえて派手なパフォーマンスを繰り広げているその胸には、なんらかの思惑があろうことを、どうして察せないのか。
自分の考え出した案に酔っているのだろう相手は、上機嫌で通話を終えた。失敗の可能性など微塵も考慮していない、策に溺れた人間の鑑のようだった。先ほど彼は、自分を見舞って神の恵みを願ってくれたが、願うべきは自分のためだろう。
手元に新たに揃えた資料には、あれと真逆の道を歩いてきた一人の子供の略歴がある。ずば抜けた知能指数に、わずかな時間のブラウン管を通じての観察だけでも察せるその思慮深さは、あれとの共通項を存分に感じさせてくれた。
もしも自分の直観が正しいならば、と、男は唇を吊り上げる。
きっと彼は、あれの置かれた場所の不自然さに気づき、その裏を見ようとしただろう。全容の把握はできないだろうが、なんらかのきっかけぐらいは察していよう。二つの思惑がうまく絡み合ったのなら、もしかしたら、別の道が見えるかもしれない。
「チャンスをやろう」
電波の向こう、いまごろ早すぎる祝杯への思いでも巡らせているだろう彼は、聡明だけれども浅はかだから。すべてを半端にかじるだけで、知ろうとしなかった己を恥じればいい。気づくことはおろか、そもそも気づくための知識すらないに決まっている。男の提案した舞台には、なにもかもを破綻させかねない鍵があることに。
一方のあれは、いつまでもこうして予測を裏切り、楽しませてくれる。手元にあった間も、離れてからも、死んだと思ってからも。
認識番号は他にあったが、男はあれを、ローレライと呼んでいた。
魅せつけ、死を運び、そして歌う。
唯一の成功にして、偉大なる失敗作。
だから、これは君へのささやかな敬意。
「ラグナロク、とでも呼ぼうか」
この馬鹿げた作戦には、皮肉なこの名がふさわしい。
神々と悪神たちの乱戦による、世界の黄昏。それを、君が望んだんだ。
雌雄を決したいのだろう。ならばあえて、君を希望と絶望、相反する可能性の入り混じった、特別な舞台の上へと招待しよう。そこで勝利を得たものこそが、正義という名の大義を得ることができる。気づくも気づかないも勝手だ。ただ、賭けをしようではないか。
気づき、掴むことができたなら君の勝ち。
どれほどの犠牲が払われるかは知らないが、少なくとも、命は永らえることができるだろう。
気づけたとして掴めなかったら、あるいは気づけなかったら、君の負け。
期待を裏切った代価には、すべての喪失を。
裏切られることには実に深い落胆が伴うだろうが、自分は礼儀を知っている。だから、その暁には、敬意をもって楽しかった時間への謝意を示そう。
せめてはもはや絶望すら感じないように、君の時間も終わらせてあげよう。