■ 第四話 --- 束の間の安らぎ
 ロッジへの案内の後、簡単な説明やら注意やらを終えると、男はさっさとヘリで立ち去っていった。
「へえ、きれいな建物だね」
 上空から見たよりは大き目のその建物は、踏み込めば木の匂いがした。吹き抜けの玄関から天窓を眺めて烈が感想を漏らすすぐ脇を、荷物の重さなど気にした風もなく、地上に降り立って俄然元気になった豪が駆け抜ける。勢いに任せて目の前に待ち構えていた階段を一段抜かしで駆け上ると、廊下の奥を見やってから階下の仲間たちにぶんぶんと手を振った。
「部屋、いっぱいあるぜ!」
「贅沢な造りだな」
「まあ、さすがは政府高官御用達といったところでげしょ」
 ごく普通の家屋よりもよほど豪奢な装いにリョウが呟けば、飄々とした声で藤吉が応じる。とにかく寝室は二階だろうと判じ、彼らもまた、それぞれの荷物を手に、豪の後を追った。さりげなく壁に飾られている鹿の剥製に顔を近づけると、烈は「本物だよね」と二郎丸と目を見合わせる。
 階段を上り終えてみれば、一足早く立ち並ぶドアを開けては首を突っ込んでいた豪は、廊下の先の方にあるとあるドアを開けたところで、ぴたりと動きを止めていた。
「豪? どうした?」
 不審に思った烈が声をかければ、豪は手招きをしながら「すげー」とひたすら感嘆の文句を紡いでいる。
「これ、図書室?」
「うわ、書斎完備なんだ……」
 その目線の先にあったのは、天井までみっちりと本で埋められたいくつもの書架と、いかつい机と椅子のセット。机上にはまだ新しいパソコンが載っている。
 豪と並んだ烈が誰にともなく疑問を投げかければ、応えたのは感心しているのか呆れているのか、あいまいなJの声。
「スゴイだすなあ」
 ぽつりと漏らされた二郎丸の一言に、居合わせる面々の内心は集約されていた。


 胸の内に溜まった思いをそれぞれ、ため息に詰め込んで吐き出すと、気を取り直すかのように土屋が明るい声をあげる。
「さて、それじゃあとりあえず荷物を片付けてしまおうか」
 到着してから渡された建物内の見取り図を一瞥してから、土屋は廊下のドア群を見やる。
「部屋割はこの前決めた通りとして、どこの部屋をどう使おうか?」
「はいっ、はいはいはーい! おれ、階段の近くがいい!」
「豪、お前はまたそうやって勝手ばっかり」
 手を上げて真っ先に希望を述べた豪を烈がたしなめる横で、リョウがひとつ息をつき、土屋に向かって口を開く。
「俺はどこでもかまいません」
「おらもだす」
「まあ、どの部屋でもさして変わらないでげしょうしね」
「ボクも別に」
 小言の始まってしまった烈と不機嫌顔で聞き流している豪を尻目に、子供たちは次々と声を発する。うんうん、と一人一人に頷いていた土屋は、残った一人の注意が話題の外に向いているのに気づき、穏やかに問いかけた。
「どうしたんだい?」
 豪と烈の頭上越しに書斎の奥をぼんやり眺めていたロルは、かけられた声にゆるりと視線を巡らせ、微笑んでいる土屋に行き着くと口を開く。
「海、珍しいから」
「海が? もしかして、見たことないんだすか?」
「そうだな。いままでずっと、内地だったし」
「じゃあ、ロルくんとJくんは海のよく見える部屋で決定でげすな」
 目を丸くして二郎丸が問いかければ、ロルはわずかに苦笑を滲ませて頷く。その言葉を受け、藤吉は土屋を振り仰いだ。
「ちょうどいい部屋はあるでげすか?」
「大丈夫だよ。一番奥の部屋だね。じゃあ、あと豪くんの希望を入れてあげようか」
 よし、と頷くと、土屋はリョウに少し戻ったところにあるドアを示す。
「リョウくんたちはそこ、豪くんたちの隣だね。豪くん、階段に一番近い部屋で決定だよ」
 小言から一転、気づけば一触即発の兄弟げんか寸前になっていた豪と烈だが、かけられた言葉に豪があっさりと戦線離脱し、事なきを得る。やり場のない怒りに烈がこぶしをわなわなと震わせるのを、兄弟と同室の藤吉が慰め、荷物をしまいにいこうと促す。
「博士、これ終わったらさ、砂浜で弁当にしようぜ!」
 さっさと部屋に到達し、ドアノブに手をかけながら豪が振り返れば、烈のこめかみに青筋が走る。淡い苦笑で怒れるチームリーダーをなだめ、Jがそれに同調するように口を開いた。
「それも気持ちいいと思うよ」
「そうだな、せっかく晴れているんだ」
 いつも成り行きに任せてめったに口出しをしてこないリョウが頷けば、土屋が子供たちの意見に異論を唱えるはずもない。気配を殺し、一行から離れ階段の中腹付近にたたずんでいるロルのボディーガード二人に目で確認をとると、にこりと微笑んで頷いた。
「それじゃあ片付けて、みんなで外に行こうか」
 声をそろえて返事をし、子供たちは割り振られた部屋へと散っていった。



 さっさと荷物の片づけを終えて外に出ると、今朝、出発前にみんなでわいわい騒ぎながら作成した力作の弁当を広げる。
「これ食ってみろよ、おれの自信作!」
「ライス?」
「“おにぎり” っていうんだよ」
 嬉々として真っ先に手を伸ばした豪は、中央から巨大なアルミホイルの包みを二つ取り出し、片方をずいとロルに突き出す。戸惑いながらも受け取り、既に包みを解いてかぶりついている豪を見て、ロルは小首をかしげた。和食にそう馴染みがないのだろうことを察して、それよりは二まわりほど小さい同様の包みを開けながら、烈がゆっくりと発音してみせる。
「オニキ、リ?」
「お・に・ぎ・り」
 間違って繰り返された発音に訂正を入れながら、隣に座り込むJは、ロルの持つそれの包みを軽くほぐしてやる
「食べてごらんよ。はじめは違和感あるかもしれないけど、なかなかおいしいよ」
 手本を示すかのようにやはり自分の包みもほぐし、一口含んで租借するJに、ロルは黙って自分の手元と相手の手元とを見比べ、やはり首をかしげる。
「これがやけに巨大なのは?」
「豪が不慣れだからだな」
 さりげない疑問に豪がむせ返れば、大きさも形も申し分のない一品を口にしながらリョウがあっさりと応じる。わかったのかわかってないのか、あいまいに言葉を濁して口をつけたロルは、眉間にしわを寄せて視線をあさっての方向に泳がせる。
「な、うまいだろ?」
「しょっぱい」
 自慢げに問う豪に一言切りかえし、そういうものなのかと隣を振り仰ぐ。じっと無言で訴えられ、ロルの手元から一口食べてみたJは、同じように眉根を寄せ、作成者と作品とを見比べた。
「豪くん、お塩使いすぎ」
 これは塩辛すぎると下された判断に、ロルはさもありなんと頷いている。
「そんなことねーって! いいぜ、だったらおれのと取り替えようぜ」
 あからさまに量が半分近く減ってしまったおにぎりと強引に入れ替えられ、おそるおそる口をつけたロルは、「こっちは大丈夫」とそのまま食を進める。一方、自信作にいざ大きくかじりついた豪は、パタパタと手を動かし、周囲に飲み物を求めている。
「やっぱり辛かったんだすな」
 ため息をつきながらコップを渡す烈を見て、二郎丸は冷ややかに呟く。その外観とはあまりにギャップのある老成した声音に、なにかを言おうとしたらしい豪はあえて無言のまま、なかば自棄な様子でおにぎりとお茶とを交互に口に含む。
「おいしかったぜ、やっぱり!」
「じゃあ、次のもどうぞだす」
 猛スピードで食べ終わり、目尻に涙を滲ませてきっぱりと言い切った豪の目の前に、もうひとつ、豪作成のおにぎりの包みが差し出される。
「こっちはおいしかったから、それもおいしいかもしれないな」
 うっと詰まり、思わず逃げを打った豪に、絶妙なタイミングで、やはり食べ終わったらしいロルが声をかける。
「じゃあ、やっぱりお前が――」
「ロルくんはこっち。あんな危ない賭けに乗ることはないでげすよ」
「おいしい?」
「リョウくん作でげすから、味は保証するでげす」
「いただきます」
 二郎丸から押しつけられたそれを慌てて渡そうとした豪の目の前で、無情にも藤吉が違う包みを差し出している。絶望にも似た声を漏らしてその場にしゃがみこんだ豪に、一同は声をあげて笑っていた。
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