■ 第三話 --- 手探り
 うるさいことこの上ないプロペラ音のもと、イベントごとで最もはしゃぐはずの少年が、顔面蒼白でガクガクと足を震わせている。
「豪くん? 怖いんなら、一人で戻って留守番にするでげすか?」
「う、うるせー! 誰も怖がってなんかないだろ!?」
「じゃあ、この足はなんだすか?」
「準備運動だっ!!」
「そうだすか。なら、おらはもうなにも言わないだす」
 たっぷりの沈黙を間に挟んでから、不信感を丸出しにした表情で。それでも二郎丸は、寛容にも頷いておくことにした。楽しいキャンプに出かけようというのに、こんな、まだ出発したばかりのところで不愉快な思いをしても仕方がない。
 彼らは、近海にある小島で休暇を楽しむべく、ヘリコプターに揺られている最中なのだ。
 ふうっ、とアンニュイなため息をこぼし、二郎丸は隣で震え続ける豪から窓の外、眼下に広がる青い海へと視点をずらす。
「あ、見るだす。街がキレイだすよ」
「本当でげすな。ああ、見えるでげすか、ロルくん?」
 わずかに視線を上向けると、進行方向後ろ側に、煙った街並みが見えた。反対側の窓にはりついている烈とJ、リョウを視界の隅に、促されて腰をわずかに浮かせた藤吉は、自分の後方から同じ窓で外を覗く少年を気遣う。彼は頷いてからおもむろに背後を振り仰ぎ、不思議そうに首をかしげながら藤吉を見やった。
「どうかしたでげすか?」
「ゴウは、どうしたんだ?」
 ロルが示したのは相変わらず震えている豪だ。質問の意味を測りあぐねて眉を寄せた藤吉に、ロルは言葉を追加する。
「こっちに動いてきたから、見たいのかと思った。でもやめたみたいだし、外を見ても平気そうには思えない」
 言われてみれば、豪の座る位置が若干窓寄りになっている。にっと唇の両端を持ち上げ、目配せを交し合った藤吉と二郎丸が、ロルに着席してくれるよう頼んでから素早く豪の両脇に陣取る。
「豪くん? わてらが邪魔で外が見えなかったんなら、正直にそう言うでげすよ」
「そうだす。遠慮するなんて、お前らしくないだす」
「べべべ、別に? 邪魔じゃなかったぜ」
 上擦った声では、強がりもむなしく響くだけだ。体格のさほど違わない二人に挟まれ、豪の窓辺の席への強制移動が開始される。


 悲鳴をあげ、豪がじたばたと逃れようとするさまを笑い含みに観察しているロルの耳元に、呆れたような声が落とされた。
「わかっていてやってるでしょ?」
「軽い冗談のつもりだったんだけど」
 そのまますとんと正面に腰を下ろすのは、眉間にしわを寄せたJ。
「短時間の観察の割に、実にピンポイントだよね」
 口元を覆いながらかろうじて笑いを噛み殺すロルに、言葉を続けたのは烈だ。実弟が恐怖のどん底に叩き落されようとしているのをあっさりと流して、目元は愉快そうに弧を描いている。
 一度目の出会いはほんのわずかな時間、混乱の只中で。
 二度目の出会いは二日の時間をおいて、今朝。ぎこちなさを伴って。
 それでも、気づけばこうして距離が縮まっている。一番の功労者は、豪たち年少組だろう。一足飛びに相手の懐に飛び込み、ぐいぐいと引っ張ってくるそのやり方は、強引な分非常に強力だ。おかげでこうして、さして時間もかからずに笑顔で冗談を言いあうことができている。
「兄貴、笑ってないで助けろよ」
 藤吉と二郎丸も心得たもので、豪の恐怖が最高値に達する前に、きちんと解放している。ようやくの思いでヘリの中央部分、外が見えにくい席まで這ってきて、豪は息を吐き出しながら、ぐったりと疲れきった表情だ。
「いい訓練になるだろう? 目指せ、高所恐怖症克服」
「克服しなくていい!」
 完全に遊んでいる烈と遊ばれている豪に、こらえ切れなくなったのか、肩を震わせていたロルは声をあげて笑いはじめた。
「てゆーか、お前も! 笑うな、遊ぶな!!」
「これ、日本人の標準値なのか?」
「いまの豪は特殊な状態だ」
 体を折っている状態から目線だけを持ち上げたロルの隣、渋面を浮かべてこめかみを押さえるJのはす向かいから、リョウがなんともいえない表情で応じる。
「豪くん、日本への国際的な誤解を生もうとしているでげすよ。もうちょっとおとなしくするでげす」
「てめえら、向こうに着いたら覚えとけよ!」
「着いたら真っ先にお前が忘れる気がするだす」
 投げかけられた言葉にぐうの音も出ない豪を見て、ロルを含め、子供たちの笑いは頂点へと達した。



 ひとしきり笑いあい、憮然とした豪が完全にへそを曲げるよりほんのわずかに早く、彼らは平静を取り戻す。
「ほら、島が見えてきたよ」
 タイミングを計ってでもいたのか、前方の席に座っていた土屋が振り返り、子供たちに窓の向こうを示してみせた。
「案外小さい島なんでげすな」
「そうだすな」
「まあまあ。ああ、あのロッジを使うのかな?」
 言われてすぐにひょこひょこと顔をのぞかせ、進行方向に見える小島に対して感想を述べあう藤吉と二郎丸を、土屋が苦味を滲ませた声でなだめ、海岸からちょっと入ったところに見える数棟の小屋に目を細める。
「小さくとも、防犯設備は抜群の島です。宿泊にはいまおっしゃったロッジのひとつを使っていただくことになります」
 土屋の横、パイロットの真後ろの座席から、無機質な音が響いてきた。案内係だと名乗り、今朝ロルを連れて現れた政府の人間のものだ。
「食料や水はそろえてありますので、ご自由にお使いください。他にも、釣りやら猟やら、どんどん追加していただいてかまいません」
 ちらりと目線だけを後部座席の子供たちに走らせ、彼は続ける。
「マスコミも潜り込めるはずはありませんし、どんな不審者も入り込めません。まさに、近海とはいえ絶海の孤島」
 それは言い換えれば、洋上の牢獄。籠の鳥を逃がさないための、絶好の囲い。
 なにごとかを小さく口の中で呟き、ふと暗い微笑を刻んだロルに気づいたリョウは、思わず眉根を寄せる。どうかしたのか、なにを言っていたのか。周囲に確認をとろうと思うものの、豪をなだめるために身を乗り出しているJは気づいた様子もなく、他の面々も聞こえていなかったようだ。
「ボディーガードもいますし、安心してくつろいでいただけると思います」
 ならば直接に問えばいいかとリョウが唇を動かすよりも速く、いつの間にやら元の穏やかな表情に戻ったロルが声を発する。
「どこに降りるんだ?」
「ロッジの奥に、開けた場所が見えるでしょう? あそこがヘリポートになっています」
「普段からヘリで行き来するっていうことですか?」
 そういえば港が見えないが、と烈が首を傾げれば、彼は静かに肯定した。
「船でも可能ですが、ヘリの方が早いというのが、一番の理由です。ああ、それと一つ注意が」
 砂浜に見える桟橋を示して説明した後、ふと思い出したように彼は付け加える。
「島のすぐそばはいいのですが、少しでも離れると潮流が一気に急になりますので、気をつけてください」
「だ、そうでげすよ、豪くん?」
「なんでおれなんだよ!」
「調子に乗って遠くまで泳いでいったら、戻れなくなるってことでげす」
「気をつけるだすよ?」
「おれはそこまでアホじゃねえっ!」
「ですが、本当にお気をつけください」
 子供たちの漫才の締めくくりは、豪のがなり声に続いた役人の言葉だった。
「もともとが泳ぎ回ることを目的とした場所ではありませんので、戻れないというのも、あながち冗談ではありません」
 高所にいるという恐怖に加わった更なる脅しに、豪の顔色はますます悪くなる。それを知ってか知らずか、パイロットに着陸態勢に入ることを告げられた男は、なにごともなかったかのように機内に向かって着席を促した。
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