■ 第二話 --- 桃源郷を探すもの
「本当かよ、博士っ!?」
穏やかな声に真っ先に応じたのは、豪の嬉々とした声音だった。
「あいつとまた遊べるんだな?」
「まあ、そういうことだね」
ソファから思わず腰を浮かせた豪に苦笑を返しながら、土屋は、黙ってそれぞれに思案顔を浮かべている残りのメンバーを振り返る。
「彼に一緒に行動してもらうことになったんだ。事後確認になってしまったけど、異存はないかな?」
「もちろん、僕は大賛成です」
「俺も、かまいません」
「あんちゃんが言うなら、おらもいいだすよ」
「歓迎こそすれ、反対する理由はどこにもないでげすな」
微笑みと共に即座に頷いた烈に、リョウと二郎丸が同意し、藤吉も首肯する。ただ、反応の返らない子供が一人。
「Jくんは、どうかな?」
本当ならこんな形での決定ではなく、君や彼の意見を最も尊重すべきだったのだが、と、遠慮するような口調で土屋は語尾を濁す。
「そうやっていろいろなところからお気遣いいただいているのはとても嬉しいことですし、嫌なはずはありません」
深く息を吸い込んでから、Jは伏せていた視線をあげる。嬉しいとは言いつつも、瞳に浮かんでいるのは悲壮といった方がふさわしい表情だ。
「なにか、気になることでもあるのかい?」
「せっかくの計画だったのに、台無しにしてしまいました」
介入してきた相手からして、選択肢などはじめからないのだ。いいように脚色され、お膳立てされて、求められる役柄を演じなくてはならなくなった。マスコミの目もなにもない中で、ただのんびりみんなで楽しもうと企画したことが、大人にとっての都合のいい道具となってしまった。その引き金を引いた自分が、たまらなく悔しかったのだ。 ぐっと唇を噛み締め、Jは必死になって渦巻く感情を押し殺している。
子供の内面を正しく汲み取れる分、へたな慰めは逆効果だと知っている土屋は、かける言葉を見つけられなかった。
どうしたものかと視線を泳がせれば、気まずくなってしまった空気を、豪の軽やかな一言が打ち砕く。
「別に、なにも台無しになんかなってないじゃん?」
裏も含みもなにもない、眩い輝きを内包する言葉だった。
はじかれたように顔を上げ、Jが瞬きをしながら音源へと視線を流す。
「今度は誰にも文句言われないで、一緒に遊べるんだろ? なんにも問題ないじゃん」
「でも、だって。せっかくみんなで、部外者はなしで、のんびり遊ぼうねって言ってたのに」
「あいつ、お前の兄貴? あれ、弟か? まあいいや。兄弟なんだろ?」
問いかけに対して頷きながらもひそめられた柳眉に、豪はきょとんと目を見開くだけだ。
「なら部外者じゃないじゃん。それにおれ、もっとあいつと話したかったし」
「今日、会ったばかりだよ? それも、あんな短い時間、あんなにめちゃくちゃな形で」
「関係ねーよ」
根拠もなにもなく断言した豪に、Jは絶句するばかりだ。
「お前、いつもはすげえ頭いいのに、たまに抜けてるよな」
ぽりぽりと頬をかきながら、豪はただ向けられる視線に、居心地悪そうに身じろぐ。言いたいことをわかってくれていそうにない友人に、なんと説明したものか。必死になって言葉を探すものの、慣れない作業に思考は空回り。適切な表現が見当たらない。
一人で頭を抱えては唸っている豪の姿に、口を開いたのは瞳を細めたリョウだった。普段の寡黙な態度からはなかなか計り知れない、それは底知れずやさしい、深い深いぬくもりの表情。
「言っただろ? お前にとって大切なやつなら、俺たちにも大切なんだよ」
「心配することも気に病むことも、なにもないでげすよ。友達が増えるのは嬉しいことでげすし、それがJくんのご家族なら、喜びもひとしおでげす」
ねえ、と顔を見合わせて頷きあっている藤吉と二郎丸の向こうで、烈が淡い苦笑を浮かべている。
「せっかくの機会なんだから、喜んでいいと思うよ」
きっと、これを逃したら、彼と出会える時間はもう残されてなどいないだろう。本当に限られた空間で、用意されたセリフと動作をもってしか触れられないかもしれない。あの少年は、それだけの重みを背負っている。
本物の彼に触れられるのは、もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。
「難しい話はよくわかんないけどね。でも、そう気軽に会いにいける相手じゃないってことは知ってるよ」
「チャンスはめいっぱい使うだすよ」
次々と手向けられる言葉に、Jは喘ぐような呼吸を繰り返すだけで、声を絞り出すことができずにいる。困惑の真っ只中で立ち止まってしまっているのだろう子供に、それまで静観の立場を取っていた土屋が、ゆっくりと口を開く。
「余計なことは考えなくていいよ。それはわれわれ、大人の仕事だからね」
ただ、君の気持ちが知りたいんだ。
そう、穏やかに見つめてくる眼鏡の向こうの瞳を見やり、膝元で組んだ己の両手を見やり、Jは逡巡をみせる。
しばしの沈黙の後、ようやく零れ落ちてきた声は、小刻みに震えていてよく聞き取れなかった。
「話をしたいんです」
同じように震える両手は、力の入れすぎで、関節が白く血の気を失っている。歪んだ表情も、惑う視線も溢れ出る思いも。なにも取り繕うことなく自分を見つめる六対の瞳に向けながら、Jは唇を動かす。
「傍にいきたいんです」
理性の告げる、それはわがままだという声も、その思いが巻き起こすだろう事態を予測する思考回路も。
すべてを抑えつけて、子供は心を暴き立てる。
「いま叶わないなら、もう二度と、叶わない気がするから」
「なら、決定だね」
言葉が空中に掻き消えるのを追うように、烈の明るい声が響いた。
「全部叶えればいいんだよ。だって、それができるチャンスなんだから」
ね、と念を押しながら小首を傾げ、烈はこの話題はここまでといわんばかりに、さっさと先ほどまでのレースの反省会へと移っている。
さっそく小言のターゲットにされた豪が不平をこぼしはじめれば、そこに藤吉と二郎丸が便乗して、おなじみの小競り合いがはじまる。そんな年少組を横目に、表情を変えようともしないリョウも、呆れたようにため息をつく烈も、すべてはいつものまま。日常の時間を取り戻してくれたことにやさしさと気遣いを知って、Jが烈をそっと横目で見やれば、流された視線にふんわりと笑われる。
「謝らないでね」
その先には、先ほど彼から聞いたばかりのセリフが唇の動きだけで繰り返されて、やさしい空気が室内を満たす。
「大切な家族なんだよね?」
「うん」
「そう。それだけでいいんだよ」
軽やかな声に告げられて、Jは黙って、はにかむような、翳りを帯びた微笑みをこぼした。