第二章 --- やさしいうそ

■ 第一話 --- 壊れた人形の活用法
 どうやら激昂しているらしい相手の小言を聞き流しながら、なんとなく。ロルは、目の前の大人たちの肩越しに、壁の鏡に映った窓の向こうを見ていた。
 夕闇に浮かび上がるのは、天高くそびえる摩天楼。
 この国に来てまず思ったことのひとつが、空が狭いというものだった。彼の知るものとは、広さも色合いも、なにもかもが違う。小さくて深みのない、そして平和な空だ。
「聞いているのか!?」
『早口すぎて、聞き取れない』
 一向に応えた様子のないロルに焦れたのか、取り巻いていた内の一人の男が勢いよく立ち上がる。先ほどレース会場に残り、Jに口止めをしていた人物だ。ちろりと視線をそちらに流しつつ、ロルはあえて、彼らには通じない言葉を選んで口にする。束の間、虚を突かれたように目を見開いた男は、そばに控えていた通訳の男が英語変換したそのセリフに、顔を真っ赤に染め上げた。
 怒りのあまり、もはや声が出てこないのだろう。喘ぐようにして肺に酸素を取り込む男を通り越し、集団の中央で静かに黙り込んで座っている初老の男に、ロルはようやくまともに焦点を合わせる。
「あいつのことをいままで言わなかったのは、確信がなかったからだ」
「その割には、あの場ですんなりと諒解しあっていたようだが?」
「直接会えば、それなりにわかることだってある」
 男が口を開いたとたん、場の空気に走る緊張の度合いが一気に増す。わずかに眉根を寄せてその変化をやり過ごし、ロルは淡々と言葉を紡ぐ。
「まあ、その一点に関しては、私も責めるつもりはないよ」
 長く息を吐き出しながら、男はソファの背もたれへと体を深く沈みこませた。それまでの流れとは正反対の潮流が生じたことに、先ほどまで先頭を切って怒鳴っていた男の顔色があからさまに変わる。
「慎重になるのも無理はない。間違っていた場合、期待しただけ落胆の度合いは高くなるだろうからね」
「ですが、議員。それはともかくとして、あんな向こう見ずな行動は――」
「そう、問題はそこだ」
 慌てて口を挟んだ先の男に頷き返しながら、議員、と呼ばれた初老の男はゆったりと腕を組む。
「君も、あのパフォーマンスがどれほどの騒ぎを引き起こすのか、わからなかったわけではないだろう?」
「情報操作は十八番なんじゃなかったのか?」
 老いてもなお鋭いその眼光を正面からまっすぐに受け止め、ロルは挑発するように碧の瞳を眇めた。底の見えない色には、年齢にそぐわない迫力がちらついている。思わず気圧され、つと息を呑む大人たちの中でただ一人、男は微塵も動じない。
「君と彼の関係が表沙汰になる分には、なんの問題もない。問題は、表に出る際の形なんだよ」
「オレに、なるべく話題性をかっさらえ、って教えたのはそっちだろう?」
「そのためには、この世に残されたたった一人の家族すらをも利用すると?」
「あんたたちにあいつが体よくもてあそばれることを考えたら、あの場こそがオレにとって都合がよかった。それだけだ」
 吐き捨てるようにしてソファに深々と身を沈めたロルに、心外だとでも言うかのように男は目を見開き、逆に体を起こす。
「われわれが、彼を弄ぶと?」
「少なくとも、もう少し準備の時間があったら、大幅な脚色とド派手な演出はするつもりだった。違うか?」
「まるで、われわれが君と彼のことを知っていたかのような口ぶりだね」
 驚いたように目を見開き、男は薄い笑みを口の端に乗せる。
「疑ってはいたんじゃないのか? 仮にも血の繋がりがあるんだ、見た目は似てる。それに、これだけ珍しい色合いだし」
 目線を伏せながら軽く肩をすくめて胸元に手を当てたロルは、そのまま男を射抜くような勢いでじろりと睨みすえ、低い声で続ける。
「相手は存分な知名度を持っている。利用価値は高い」
「より話題性をさらうことこそが、君を守るための最大の方法だと、そう教えたではないか」
「建て前だな。仮にその言葉が真実だったとして、そんなことのためにあいつを利用されるのはごめんだ」
 平坦な声音と口調の中で、ひときわ鮮やかな感情の奔流が少年から溢れ出す。それは、いわば威圧感と呼ばれるものだろう。駆け引きにおいては百戦錬磨のはずの大人たちが、背筋に伝う冷や汗を自覚し、それぞれに表情を歪める。


 無言での対峙を打ち破ったのは、ロルに正面に座る男だった。傍らに立つ内の一人に対しおもむろに右手を差し伸べると、そこに一束の紙が渡される。
「君の意見を参考にして、少し調べる方向を変えてみた」
 ばさりと、無造作に投げ置かれたその表紙には、国内最大手の軍事企業の名と、赤ペンによるトップ・シークレットの走り書き。
「色々と、面白い事実が浮かび上がってきたよ」
 見てみるかと問われ、ロルはゆるりと首を横に振る。
「見たってどうせわからない」
 読み書きの知識は、本当にわずかに、しかも偏った方向にしか持ち合わせがない。字面は読み取れるかもしれないが、内容理解の追いつかない書面になど興味はない。
「ならば、型番と数量だけでも、気が向いたら追ってみるといい」
 返された言葉などまるで気に留めた様子もなくそう言いおくと、男は軽い挙動で立ち上がった。ざわざわと動きはじめる周囲とは対照的に、ロルはただじっと、テーブルに置かれた書類を見ている。
「いまだから言うが、正直、私は君のことを信じていなかった」
 いい話題づくりになると思い、会いにいってみれば挨拶よりも先に爆弾発言が降ってきた。なにを言い出すのかと思いきや、その一言こそが、自分にとって決め手となる武器になりつつある。
「あんたみたいな立場の人間が、こんな得体の知れないガキの言うことを軽々しく信じるようじゃ、この国はおしまいだ」
 視線を合わせてきたのは、小さな子供の姿を借りた、大切な切り札。自嘲に近い笑みを刻み、ロルは小首を傾げてみせる。その正面で、男は盛大に笑い声をあげていた。
「君のような頭のいい子供は、嫌いではない」
「オレは、あんたみたいな大人が好きになれない」
 皮肉げな声での切り返しすら楽しかったのか、笑いながら去りゆく背中に、ロルは鋭く問いかける。
「本題は?」
「騒ぎの代価だ。政府からヴァカンスの誘いがきているよ」
 せいぜい求められた役を演じきってきてくれ、と言い残すと、男は扉の向こうへと消えていった。



 宿舎に戻るや否やでかかってきた電話に呼び出された土屋が戻ってくるのに、さほどの時間はかからなかった。なんとなく、先の騒ぎに関することだろうと察しがついている分、どこか憔悴した様子で現れた土屋に、子供たちは声をかけづらい。
「そんなに、深刻な顔をするようなことじゃないよ」
 安心させるように微笑みかけ、土屋はリビングに集まったメンバーが適当な場所に腰を下ろしたところで、口を開いた。
「休みに入ったら、みんなで遊びにでもいこうかという話をしていただろう?」
 それに関する話だったのだと告げられ、緊張に張り詰めていた空気はあっという間に緩んだ。
 せっかくの休みだし、アメリカまでわざわざ来ているのだしと、一時帰国前のちょっとしたキャンプ計画があったのは事実。そこをイベント好きのFIMAが嗅ぎつけ、大掛かりな行事に仕立て上げようとされかけていたのは、子供たちも知っている。
「で、場所の変更と、飛び入りメンバーが追加になったんだ」
「飛び入りメンバー?」
 不思議そうな表情で思わず復唱した豪に、土屋は複雑な笑みを浮かべてぐるりと一同を見渡す。案の定、そこには眉を寄せ、左右非対称に表情を歪めるJがいる。
「それってもしかして――」
「うん。大体の察しはついていると思うけどね」
 やはりどこか複雑な表情で、烈がそっと声をあげる。それに対して軽く頷くと、土屋は極力あっさりとした声音を意識して静かに言葉を紡いだ。
「政府の方から要請が入ったんだそうだ。メンバーはロルくんを追加で、場所は近海の、政府所有の保養施設がある島になったよ」
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