■ 第二話 --- 分岐点
関係者以外立ち入り禁止のスタジアム内は、さすがに子供たちが数十人集まっているだけあり、騒然としていた。かたや敗北を悔しがる声もあれば、ライバルチームのメンバーと氷点下の嫌味の飛ばしあいをしている声もある。もっとも、なんだかんだと言いつつ、みんな仲がいいのが大会メンバーの良いところだ。
サーキットではしのぎを削りあうライバルでも、いったんそこを下りれば大切な友人同士。かけがえのない、国境を越えた友情がある。
「お疲れさん!」
軽いノリで、姿を見せたビクトリーズに真っ先に声をかけてきたのはエッジだった。
「まったく、相変わらずクレイジーな走りをしてくれるぜ」
「そっちこそ、また新しいモーターに変えてくれたくせに」
シュミットとの嫌味の応酬戦から離脱し、続けたのはブレット。かろうじて勝利の軍配はあがったものの、新兵器の投入に苦戦させられたことを思い出しながら烈が返せば、肩をすくめて「強者からの嫌味か?」ときた。
「まあ、君たちは勝てなかったんだからそうなるよね」
なんと反論したものかと烈が思考をフル回転させている脇から、あはは、と軽やかな声で痛烈な一撃。思わぬ直球ストレートにこめかみを引きつらせるブレットを尻目に、ビクトリーズ、アストロレンジャーズとは別ブロックで首位を奪い取っていたミハエルがひょっこりと顔をのぞかせる。その背後には、お約束のようにシュミットとエーリッヒが控えている。
「お疲れさまです」
やわらかくエーリッヒがその場に声をかければ、目元を意地悪く細めたシュミットがさっそく傷心のブレットをいじりにかかる。
「レツくん。今日の公開練習、一緒だったよね?」
ほどほどにしておくように、と自チームの参謀役に本心の見えないアドバイスを送ったミハエルは、天使のごとき微笑みを添えてビクトリーズのリーダーに話を振る。
「え、そうなの?」
スタジアム内に戻るなり、事務処理と報告書類の提出のため姿を消した土屋の連絡不備を呪いながら、烈は背後を振り仰いだ。豪をはじめ、他のメンバーはそれぞれ適当な相手と話に花を咲かせているが、そこにはきっと一人、自分のためにひっそりたたずんでいてくれるメンバーがいるはずだ。
「Jくんは? 聞いてた?」
「てっきり烈くんも知っているものとばっかり……」
烈の予想通り、その場で静かにやり取りを聴いていたJは、こんなことなら教えておけば良かったと眉根を寄せて謝罪の文句を続けた。謝る必要はないと軽く流した烈は、雑務の追加にげんなりしながらも、そこはさすがにチームリーダー二年目の経験値の高さ。顔をあげて、ばらばらに散っているチームメイトを集め、次の場所に向かうべく指示を飛ばす。
「ボクらも行くよ」
さっとミハエルが踵を返せば、気づいたアイゼンヴォルフのメンバーがその後に続く。
「今日は僕たちだけ?」
「ウチもだ」
なんとなく隣を歩くミハエルに烈が疑問を飛ばせば、反対サイドから静かな声が落とされる。いつもなら五分の戦いを繰り広げられるシュミットを相手に、今日ばかりは撃沈したブレットだった。
「豪華ですねえ」
「豪華というか、仕組まれたんでしょうけどね」
人気、実力共に上位を争う三チームが揃い踏みとは、なんともおいしい取り合わせである。部屋の上部に設置された通路から、コース上の子供たちを見渡しつつ土屋が呟けば、苦味をにじませたデニスの声が応じる。
公開練習といっても、内実は単なる内輪のレースと個々の練習走行だ。情報戦でもあるWGP本戦に影響のあるようなことはしない。
ファンサービスとPRをかねたプロモーションのようなもので、その辺は子供たちもきちんとわきまえている。見られて困る技や新パーツは使用せず、単純にレースを楽しむ。腹の探りあいも情報収集もなし。マスコミ向けの、純粋なチーム間交流イベントだ。
本来ならレース前の調整などに使われるコースルームでビクトリーズ、アストロレンジャーズの両監督と合流した子供たちは、軽い打ち合わせの後、いまは思い思いにマシンを走らせている。
「見学者の話は聞きましたか?」
「ああ、VIPルームの客でしたよね」
なぜか声を落として呟くデニスに、思わず土屋もトーンを落としながら頷いた。
レース後の公開練習の担当に関しては単なる土屋の連絡ミスだったが、見学者の話は先ほど書類を提出に行ってはじめて聞かされた。なんでも、今日のレースには特別招待客があり、その客が練習の見学に訪れる、と。
「子供たちにも、一応教えておいたほうがよかったでしょうか?」
どうやら個々の走行は切り上げ、レースをすることにしたらしい。さっさとコースから退散したメンバーはマスコミからの簡単なインタビューをこなし、レースに参加する面子は仲の良さとミニ四駆の楽しさを存分にアピールする。実によくできた構成だが、別に世間での受けを狙ったわけでもなく素でこなしているのだから、この子たちは末恐ろしい。
「いや、教えたところで、騒ぎになるだけでしょう」
特に、一部のメンバーによって。
デニスが何気なく切り返してきた言葉が暗に示す相手は、ビクトリーズのちびっ子たちだ。確かに、客は子供たちに大きな衝撃を与えかねない話題性を備えている。理性の先行する年長組メンバーはともかく、年少組の反応は、土屋にも予測がつかない。なんとなく申し訳なくなり、土屋は意味もなく視線をさまよわせる。
「まったく、選挙のためのいいキャンペーンマスコットだ」
そんな土屋に気づいているのかいないのか、デニスは続けて低く言葉を吐き捨てた。日ごろの穏やかで冷静な様子からはなかなか見受けられない、感情に駆られた声だった。
「FIMAも話題づくりに利用する気でいますしね」
言わんとすることを正確に察した土屋もあわせて首肯し、二人の監督たちは重くため息をつく。
綺麗ごとばかりでは世の中は立ち行かない。そんなこと、生きた年数を重ねた分、骨身に沁みてわかっている。だが、つくづく嫌気のさす瞬間というものもある。
あの客人をあらゆる思惑と駆け引きの交錯する渦の中に巻き込んでいる大人たちのやり方には、眉根が寄るのを止められない。自分たちがそんな大人と同じ側に立っていることを口惜しいと、何の力も持てないことを悲しいと、そう思う。
と、彼らの背後から複数の足音が聞こえてきた。もたれかかっていた柵から身を起こして振り向けば、一人の若い男と、スーツを着たいかつい二人の男たちが入り口に姿をみせたところだった。