■ メッセンジャー
りりりんっと廊下で鳴り響いた電話のベルに、二人はスプーンと箸を持つ手を、それぞれ同時に止めて、視線を上げた。
「ボクが出て――」
「私が出るよ。食べていてくれていいからね」
言いながら腰を浮かせかけた子供をやんわりと押し止め、土屋はさっさと箸を置く。困ったように眉を寄せる子供には気づかないふりで、急かすように鳴り続ける電話を取って一言。
「はい、土屋です」
しかし、珍しいながらもいつものセリフはそこで途切れ、土屋は予期せぬ相手に思わず目を白黒させていた。
頑張って相手の言い分を汲み取り、ちらりと視線を廊下の扉越しにリビングへと流す。案の定、食事を続けずおとなしく土屋を待っている風情のJは、巧みに視線を逸らしながらもじっと廊下の様子を探っているようだ。少し待ってくれるよう送話口に吹き込み、保留ボタンを押してそのままリビングへと引き返した。
「どなたでしたか?」
ふわりと表情を綻ばせ、穏やかに問うてくるJに、土屋は笑みと疑問とをないまぜにした声を返す。
「アルフレッド・ウィルキンソンくん、だそうだ。君と話したいと言っているよ」
「えっ!?」
先ほどよりも慌てた様子で腰を浮かせたJは、おろおろと視線をさまよわせ、困惑をみせる。
「ほら、早く出てあげるといい」
「え、あ、はい。すみません」
「謝るのは違うだろう。まあいいから、ほら」
「はい」
不慣れさを撒き散らしながら入れ替わるように廊下に出て、Jは受話器を持ち上げて口を動かしはじめた。食卓に戻り通話の終わるのを待つ土屋は、聞くともなしに耳に届く単語を拾い、子供の繰り広げているのだろう会話を思い描く。
Jも十分に困惑した様子だったが、相手もまた酷く緊張しているようだった。名乗った土屋に対してまずは息を呑み、癖のあるたどたどしい発音で己の名と所属、およびJと会話をしたい旨を告げてきた。単語の選び方に問題はなく、その意図はきちんと伝わったが、ウィルキンソンと名乗った彼にとって、日本語は使用言語としてのハードルが高かったのだろう。Jが返すのが英単語だから、おそらく相手もまた英単語を送ってきているはずだ。
慣れない言葉を使って、それでもと気遣いを電話線越しに届けてくれた相手に、土屋はむずがゆいような気分になる。やさしい友人を持ったJが嬉しくて、やさしくJに接してくれる相手が嬉しかった。
十分弱で通話を終え、リビングに戻ってきたJは照れくさいような表情を浮かべていた。
「学校の友達かい?」
「クラスメイトです。休んだからって、お見舞いと、あと宿題を教えてくれました」
「そうか」
季節の変わり目によく体調を崩すJは、例に漏れずやはり風邪をひき、今日は発熱のため学校を休んでいたのだ。食卓に戻り、きちんと腰を落ち着けたところで改めて、土屋は箸を、Jはスプーンを手に取る。熱は下がったが食欲が回復したといいがたいJは、昼に引き続き雑炊を食べているのだ。
「いい友達だね。彼は日本語が出来るのかい?」
「ごく簡単な会話程度なら。授業は選択していますが、アルは両親共にアメリカ人ですから」
「じゃあ、さっきはかなり頑張ってくれたわけだね」
「伝わったかどうか、すごく心配だったらしいですよ」
くすくすと笑いながら応じるJのスプーンを動かすリズムは、先ほどまでよりも軽やかだ。友人からの電話が利いたのかと、密かに微笑ましく思いながら、土屋もまた口に運んだ白米を咀嚼する。
Jが新しい学校の友人たちにすぐに溶け込めたらしいことはわかっていたが、いかんせん接点が皆無に等しい土屋にとって、Jの学校の友人たちは未知の存在だ。
率先して学校での話をしてくれるようにもなった。毎日楽しそうに出かけていくし、時折友人たちと遊びにも行っている。土屋に察せるのは、Jが烈や豪たちとはまた違った、しかし優劣をつけることなどできないほど大きな気持ちを彼らに寄せているということ。
嬉しそうに、照れくさそうに、でも誇らしそうに。たったいま電話をくれた相手との会話を一生懸命再現するJに、その一端をごく近いところで垣間見られた気がして、土屋はとても嬉しかったのだ。
幸せな気分のまま食事を終え、茶を啜る二人の耳に、再び廊下から呼び出しの音が響く。
「またお見舞いかな?」
「今度はボクが出ますよ」
笑い含みに言った土屋に笑いながら応じて、再び腰を浮かせかけたJを、やはり再び土屋は遮る。
「いや、出させてくれないかな」
だって、もしもまたお見舞いの電話だったらば嬉しいじゃないか。どうか、取次ぎの役目だけでいいから、君たちの関係性を垣間見せてくれないか。
願いを込めて受話器を持ち上げれば、案の定のたどたどしい日本語が耳に飛び込んでくる。微笑ましさと喜びとに顔中をくしゃくしゃにしながら、土屋は期待と不安をごちゃ混ぜにして廊下をうかがうJを振り返り、手招きをする。
「グレイス・ホイットマンくんだよ」
「ありがとうございます」
名前を告げながら受話器を渡し、リビングに引き返して茶を一口。土屋は酷く穏やかな気持ちで、受話器に耳を押し当てる子供を見やる。
そして、電話のベルと、短い取次ぎと、ちょっとしたやり取りと、その解説と。きっかり二十分ごとに廊下に鳴り響き続けた他愛なくもやさしく幸せな見舞いの連鎖が、実は彼らの間で計画されたJを元気付けるための作戦だったことが知らされるのは、その翌日の夜。元気になって学校に赴いたJが、やはり山のような見舞い文句を浴びせかけられて、それを嬉しそうに土屋に報告してくれる夕食の席でのこと。
fin.
神の意を運ぶのが天使なら、きっと電話は人の天使だね。
大切なメッセージを、壊れないうちに。
色褪せぬように、やさしさを込めて、思いを添えて、音色に乗せて。
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