■ 六つの花
わっとあがった歓声に、豪は帰り支度の手を止めて教室の外を見やる。
「なんだあ?」
「雪よ!」
ちゃっちゃかランドセルに教科書を詰め終えたジュンが、ひょっこりとその目の前に顔をのぞかせ楽しげに言葉を紡ぐ。言われて目を凝らせば、たしかに、窓の向こうに見えるのはどんよりと重たげな灰色の雲と、ちらちらとそこを飛び交う光のかけらだ。
「積もるかなー?」
うきうきとした様子でジュンは豪をせかし、二人は元気に並んで教室を飛び出る。「さようならっ!」と背中越しに挨拶を残せば「風邪を引かないうちに帰るのよ」と、いつも明るい彼らの担任が、のんびりした忠告を返してくれた。
都会育ちの二人にとって、雪が降るのは一大イベントだ。年に一度、降るか降らないかの雪の華。クリスマスが目前に迫ってきたこの時期に降ってくれると、どうしてもホワイトクリスマスを期待したくなる。
「ねえ、豪。もうクリスマスプレゼントは決めた?」
「あー、考え中。パーツも欲しいけど、前から欲しかったゲームもあるし……」
「ふうん。あたしはもう決めたんだ」
商店街はすっかりクリスマス一色だ。あちらこちらのイルミネーションと、ショウウィンドウの中にひしめくプレゼントと。目に楽しいそれらを視界の端に流して小走りに、豪とジュンは、通いなれた道をそれぞれの家へと急ぐ。
「そういえばさ、Jくんのお誕生日パーティーするんでしょ?」
「なんで知ってんだよ!?」
「烈兄ちゃんに聞いたの。ねえねえ、Jくんって、なにが好きなのかな?」
思い出したように問いかけられ、豪は思わず足を止めていた。二、三歩先まで走ってから振り返り、ジュンは呆れた仕種で肩をすくめてみせる。それから、くるりと表情を一転させ、上目遣いに豪を覗き込みながら問いを重ねる。プレゼントを用意したいのだが、ちょうどいいものがなかなか思いつかないのだ、と。
「だって、あんたや烈兄ちゃんとタイプ違うじゃない? わっかんないのよねぇ」
「んなもん、おれだってわかんねーよ」
宙を仰ぐようにして視線を泳がせ、ジュンは呟く。言われて答えようとした豪は、問いに返せるほどのJに関する知識がない自分に気づき、足を再度動かしはじめながら、憮然と声を投げつける。
仲間内ではおそらく、豪はJと一番打ち解けている自信があった。それでも、こうして改めて考えてみれば彼は謎だらけで、食べ物の好みも好きな色も、そんなことすらわからない。彼の実体は、捕まえたと思っても豪たちの手中にはない。それは、頭上から降ってくるこの雪を捕まえてとどめておくことに似ている。
普段は無意識のうちに見ないようにしている彼との距離を突きつけられた気がして、豪はうつむいて唇を小さく噛み締める。
一方の問いかけたジュンは、豪の答えなどあらかじめ見透かしていたかのようにしたり顔で頷いた。
「そうよね。豪に聞いたあたしがバカだった」
「あんだとー!?」
「だって、そうでしょ? 烈兄ちゃんにわからないこと、豪が知ってるわけないもん」
さっぱりと断言され、豪は言葉に詰まる。ジュンの言ったことはおおよそすべてのことにおいて当てはまる。だが、ことJにおいては、自分は特別だと認識していた。ささやかなその矜持を打ち砕かれて、豪は常ならずへこたれた気分にさせられる。
「まあ、いいわ。はじめっから期待なんかしてなかったもん」
「じゃあ聞くなよ」
「Jくんなら、きっとあんたみたいなワガママ言わないでしょうしね」
「ワガママで悪かったな!」
はいはい、と軽く流される頃には、二人は各自の家への分かれ道にさしかかっていた。じゃあね、と手を振り合い、背を向け合ってそれぞれの道を行く。
そういえば、と、一人で道を歩きながら豪は先日兄に言われたことを思い返す。いわく、Jのためにパーティーをしようと思うから、ちゃんと自分でプレゼントを用意しておくこと。準備は自分や他の面々でこっそり進めるから、Jにはくれぐれも勘付かれないように気をつけること。
ふとしたきっかけで彼の誕生日を知ったのは、本当に、偶然の産物としか言いようのない奇跡だった。自分に無頓着なあの友人は、きっと自分から率先して己のことを打ち明けるような真似はしない。そんなことは、自分でもそれほど頭がよくないと自覚のある豪にだってわかる。だから、こうして巡ってきたチャンスをふいにするつもりなど毛頭なかった。
それでも――。
「あいつ、欲しいものってなんだろう?」
豪の同年代の友人たちのどの枠にも当てはまらない、Jはごくごく特殊な友人だった。
あれが欲しいこれが欲しいというセリフは聞いたことがないし、そんな素振りを見たこともない。そもそも、彼は物欲という単語を知っているのか。そんなことすら疑問に思えるほどの無欲、無頓着っぷりしか思い出されない。
「だあーっ、わっかんねえっ!!」
「どうしたの?」
往来のど真ん中に突っ立って雪空に向かって吼えた豪は、背中から響いてきたきょとんとした声音に、はじかれたように振り向いた。
「こんにちは、豪くん」
ちょうど豪の真後ろに立っていたのは、まさに豪の頭を悩ませていたJその人。いままでの独り言を聞かれてはいなかったか。聞かれていたら、あれほど釘を刺されていた兄の忠告を片っ端から打ち破ってしまう。そんな恐怖におののく豪は、パクパクと口を開閉するだけで、挨拶の言葉すら返せない。
沈黙を守る豪に何を思ったのか、Jもまた、ただ沈黙を守って豪を見つめるだけだ。しばらくそんな無為な時間を過ごしてから、豪はようやく言語機能を回復させる。この様子だと、たぶん聞かれていない。そう思い込むことに成功したのだ。
「おまえ、買い物か?」
「うん」
まず目についたのは、Jが両腕で抱え込んでいる大きな紙袋。中からのぞくのは、どうやらクリスマス用の装飾品だ。
「博士がね、研究所に飾り付けをしたいんだけど、ろくな材料がないからって」
そこで、買い出しを頼まれたのだという。
一緒になって歩き出しながら、それでもJは豪から視線をはずさない。
「で、どうかしたの?」
「いや、その。なんでもねえっつーか」
あそこまでド派手に叫んでおいて、なんでもないと言ってもJは騙されない。もの言いたげな視線が頭頂部に刺さることに耐え切れなくなった豪は、観念したようにじと目で背の高い友人の瞳を見上げる。
「あのさ、たとえばの話だぜ? なにあげたら良いかわかんねえやつに喜んでもらえるようなプレゼントって、なんだと思う?」
「プレゼント? クリスマスの?」
「あーっ、そこはいいからさ!」
自分でもうまく言い繕えている自信のない豪は、どうか目的がばれませんように、と内心神頼みをしながら、視線を空にさまよわせて考え込みはじめたJを見つめる。
「別に、なんでもいいんじゃないかな?」
「えっ?」
しばらくもしないうちに、Jは視線を豪に戻して口を開いた。
「だって、豪くんはその人に喜んでもらいたいって思って、いろいろ考えてるんだよね? それだけたくさんの気持ちが詰まっているんだから」
「気持ちか?」
「うん、そう。心のこもっていないならただのモノ。でも、気持ちがこもっているなら、どんなものだって立派なプレゼント」
少なくとも自分はそう思う、と、Jはただ穏やかに微笑んで足を止めた。
見れば、二人は星馬家の目の前まで来ていた。
「心のこもったプレゼントなら、嬉しいのか?」
「気持ちを添えることに意味があるんだよ、きっとね」
確かめるように繰り返せば、Jはこくりと頷く。
「そっか、よし!」
「答えが見つかった?」
「おう。サンキューな、J」
「どういたしまして」
なんだか胸につかえていたものがすべて解けてなくなったような気がして、豪は飛び切りの笑顔を向ける。それを受けたJもまた、嬉しそうに微笑む。
「じゃあな!」
「うん。さようなら」
そのまま別れを告げて、去っていく背中に豪はふと思い出して声を張り上げた。
「風邪引かないうちに、急いで帰れよ!」
豪もそうだったが、Jも傘を持っていなくて、雪に打たれっぱなしだったから。
振り向いた顔は、驚きから喜びへと変わり、礼の言葉と共に華やいだ笑みが返された。雪景色ではなく、雪解けのような、あたたかな笑顔だった。
家に飛び込んだ豪は、帰宅の挨拶もそこそこに、ばたばたと自室に駆け上がる。ランドセルを放り投げてさっそく貯金箱をひっくり返してみれば、案の定、中身はろくにない。が、そこは補う最終手段がある。
「かあちゃーん!!」
臨時収入の交渉のため、今度は一気に階段を駆け下り、豪は母親にすがりつく。
君が喜んでくれるなら、いくらだって考えて、考え抜いて、最高のプレゼントを用意しよう。自分に許される限りの時間と心を砕いて、君のためだけのプレゼントを用意しよう。
箱の中には祝福を。かけるリボンには祈りを。
おめでとうとありがとうの言葉と思いをたくさん詰め込んで、君に一番に手渡そう。
fin.
白い華。天使の落し物。星屑の雨。
世界の美しさを君に渡したいけれど、それはとても難しい。
だから頭を捻る。君に渡すのにふさわしいものを考えて、僕は世界をさまよい歩く。
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