■ ムーンライト・シャドウ
 慌しかった一日が終わって、ベッドに入るまでの一時。
 窓を開け放ち、寒風に当たりながら空を仰ぎ。Jは、そっと息を逃す。冷たく刺すような風に、自分の中に溜まったぬくもりを拭い去ってもらうために。


 今日は一日、なんだかどっと疲れてしまった。
 まさか彼らが、自分でも覚えていないようなこの日を、憶えているとは思わなかった。だから、サプライズ・パーティーには素直に驚かされた。
 口々に祝福の言葉を贈られ、プレゼントの包みを渡される。
 おめでとう、おめでとう。
 生まれてきたことに。共にいられることに。
 ありがとう、ありがとう。
 生まれてきてくれたことに。いま、この場にいてくれることに。
 許容量を軽くオーバーするほどの祝詞と思いに、溺れてしまいそうになる。
 贈られた包みの中にもやっぱり、彼らのあたたかさとやさしさがいっぱいに詰まっていた。ふとこぼした言葉や思い、意識せずに残した行動の軌跡。それらをそっと掬いとって、彼らは自分を見つめてくれている。包み込んでくれている。
 胸が痛むほどに、涙が滲むほどに、彼らの深い心を痛感した。どうしていいのかよくわからなくて、とにかくありがとうと告げたら、彼らは本当に嬉しそうに笑ってくれた。
 いつものように大騒ぎをして、レースもして、たくさんのご馳走をほおばって。日がとっぷりと暮れて、彼らはやっぱり「おめでとう」の一言を残して去っていった。来年も、その先も、ずっとずっと。一緒にお祝いをしようね、と言っていた。約束を、してくれた。
 言葉にならなくて、あまりのことに信じられなくて、彼らに伝え損ねてしまった。それでも、まだ感触が消えずに残っている。
 幸せだよ。嬉しいよ。
 過ぎるほどのこの喜びに、恐怖心が沸き起こるぐらいに。


 喪失を忘れてしまいたい。
 このままあたたかいここにいられたら、すべては千切れて、忘却の彼方へと吹き飛びそうな気にすらなる。
 ぬくもりに包まれて、満たされて。
 甘くて淡い幸福に、うずもれてしまいたくなる。
 やさしい夢を褪めないと信じて、このままたゆたってしまいたくなる。


 ねえ、君はどこにいるの? あなた方は、どこで眠っているの?
 ボクが見えますか? この声が聞こえますか?
 誕生日には、願うプレゼントをもらえるらしい。
 ならば、何もいらない。だけど、願いを叶えて欲しい。
 すべてを生々しいほどに、この身に刻んでください。
 過去も現在も、そして未来すらも。
 決して忘れることのないように。
 いつの日か、このあたたかさを失うことになっても、決して忘れることのないように。
 限りないこのやさしさの蓄積が、この身の罪を覆い隠す日が来たとしても。
 冴えわたる月明かりが、なにものをも余すことなく、残酷なまでに映し出すように。
 静かでやさしく、冷たいこの光は、君の上にも降り注いでいるのだろうか? あなた方の元にも、届いているのだろうか?
 誰とは知らぬ神よ、すべてに等しく注ぐ光よ。
 叶えられない祈りなど口にはしない。ただ、罪深いこの身の想いに応えて欲しい。


 あなた方の眠りに、どうか、永劫の平穏を。
 君のもとに、どうか、溢れんばかりのやさしさとぬくもりを。
 恐怖するほどの幸せと、揺るぐことのない安寧を。


 すべての犠牲の上に歩むボクからの、せめてもの、贖罪の祈りとして。
fin.

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 届け届け、この祈りだけ。
 他には何も、望まないから。
 他には何も、祈らないから。

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