■ 膝枕
そよそよと渡る風に、豪は双眸を細めた。
秋は良い。春も夏も冬もそれなりに好きだけど、秋もそれなりに好きで、秋になればやっぱり秋が一番かな、と思う。もっとも、それは春も夏も冬も同じなのだけど。
川原の土手は、実はごろりと寝転ぶのにちょうどいいスポットだ。芝生はいい感じにふかふかで、小石はめったに落ちていなくて、地面の傾斜もいい感じ。座って、そこから伸びをして後ろにころんと転がったときに、ちょうどいいところで背中が地面につくのだ。川から吹いてくる風も、もう少し寒くなれば冷たくてありがたくないのだが、今の季節ならまだ気持ち良い。
日陰はもういい加減肌寒いが、日向はぽかぽかと暖かい。空を走る雲に邪魔をされて、たまに日が翳って地面に影絵を描く。それをぼんやり眺めながら、あくびをひとつ。
「おれも眠くなってきたなぁ」
ぼんやり呟いて、膝の上で眠る猫を見下ろした。
はじめはとても嫌がっていた(烈に言わせると、それは遠慮という行為に当たるらしい。でも、豪には嫌がっているようにしか見えない)くせに、いまはぐっすりと眠っている金の毛の猫。見た目どおりのふわふわの毛は、触るとほんのり暖かい。日の光に照らされている証拠だ。
どんなときにもとても敏感な反応を示す猫は、はじめは生粋の野良猫のようだった。しかも、相当警戒心の強い野良猫だ。せっかく手を伸ばしても、総毛を立てて唸ってくるような猫。それでもどうしても仲良くなりたくて、一生懸命通いつめているうちに、だんだん心を許してくれるようになった猫。今ではとても懐いてくれるようになった猫。
豪は、猫ととても仲がいいと思っている。土屋博士にもそう言われたし、烈にも言われたし、自分でもそう思う。
猫は豪のことをよくわかってくれていて、時には烈よりも頼りになる。兄弟だから、意地を張って言えないことだってあるし、あまり見せたくない情けない一面だってある。そういうのを全部包み込んでくれるようなあたたかさが、猫にはあるのだ。
それに、マグナムのことをよくわかってくれている。そこが烈との一番の違いだ、と豪は思っている。烈もたしかに大切な相手で、相談すればそれなりに答えてはくれるけど、どうしたってソニックよりの意見になる。
レーサーが自分のマシンをひいきにするのは当たり前だけど、だから豪はマグナムのことを一番に考えたい。考えたいけど、考えることはあまり得意じゃないから、たまによくわからなくなる。そういう時、マグナムのことを一番に考えてくれる相談相手が欲しいのだ。
烈がだめなら、リョウがいる。でも、リョウは同じ高速仕様のセッティングをしているから、お互いあまり手の内を見せたくない。そういうライバルなのだ。藤吉はテクニカル仕様だし、大体藤吉に相談する、ということ自体が豪は嬉しくない。なんだかそれは藤吉よりも自分がダメなやつな気がして(その言い方こそが良くないと烈は言うのだけれど)、とにかく良くないのだ。同い年である藤吉でそれなのだから、年下である二郎丸はもってのほかだ。
かといって、土屋博士は言っていることが難しい。土屋研究所の所員たちは、いい人なんだけれどほいほい相談にいくには辛い相手だ。なにせ相手はみんな大人だから。
そこに現れたのが猫だった。仲良くしたかったし、仲良くしてくれと土屋博士にも言われていた。でも、特に共通の話題も思いつかないし、なにせ猫は警戒心が強かったし。
いつだったか忘れたけど、豪がコースの脇でうんうん唸っていて、土屋博士がたまたま通りがかった猫を捕まえて、相談に乗ってあげなさいと言い出した。豪も驚いたけど、猫もとても驚いていた。
まあるい目をもっとまんまるくして、ぱちぱちと瞬きをしていた。息の呑み方とか、ぴくっと身体を竦ませる仕草とか、おずおずと豪を見やる首の巡らせ方とか。
そのとき、豪は猫のことをとても猫っぽいと思ったのだ。
普段は口数の酷く少ない猫だったけど、説明の本当に下手な(この辺は自分でも自覚があるのだ)豪の言葉をよく聴いて、きちんと色々な言葉をくれた。
猫は、自分のマシンを持っていない。正確に言えば、走れる状態のきちんとしたマシンを持っていないのだ。パーツは結局、なんだかんだ言ったけど、リョウのトライダガーにあげてしまった。まあ、それはいいとして、猫がもともと持っていたマシンは、高速仕様に限りなく近い、でもバランスを最も重視したタイプのセッティングだった(と、烈が言っていた)。
だから相談しやすいのかな、とか、だから話がわかりやすいのかな、とか、普段から頭を使っていないとよく言われる豪でも、そんなことを考えたりした。でも、それだけじゃないことにはすぐに気がついた。
猫は頭が良かった。土屋博士も言ってたし、所員の人たちも言ってたし、豪にだってよくわかった。それと、豪にはうまく言えないけど、猫はレーサーだけど、レーサーなだけではないから相談をしやすかったのだ。
レーサーだけどレーサーなだけじゃなくて、だから烈よりも相談しやすい。土屋博士みたいに頭が良いけど、博士と違ってレーサーでもあって、だからわかりにくくない。それさえわかれば十分だった。
それから、豪は相談事があるとまず猫のところに行くようになった。豪が猫に懐けば懐くほど猫も豪に懐いて、豪は猫と仲良くなった。仲良くなるだけじゃなくて、マシン作りの相棒にまでなったのだ。
オータムレースの前は、一緒にマシンを作って楽しかったし、喧嘩もした。喧嘩をした後仲直りをして、レースが終わってからは一緒にマシンの改良もしていた。だからずっと一緒にいたのに、猫が最近余り外に出ていないんだよ、と、土屋博士に言われるまで気がつかなかったことが、豪は悔しかった。
外に出ないのは良くないと思うし、こんなに気持ちいいのに、もったいないと思う。だから、豪は猫を連れて外に出て、お気に入りの場所を教えてやったのだ。
きっと猫も気に入るだろうな、と思っていたけど、思っていた以上に猫はこの場所が気に入ったらしかった。気持ちよさそうに伸びをして、並んで草むらにねっころがって、不意に猫が大きなあくびをした。
眠いのか、って聞いたら、最近ちょっと寝不足なんだ、と言っていた。マシンを作るのに散々無理をさせて疲れさせただろ、と烈に言われて、実は豪はそれがずっと気になっていた。確かに、作業の大半は猫にやってもらったし、何かお礼をしたかったけど、猫はなんでもできるから、豪にできることが思いつかなかったのだ。
だから豪は、それを聞いて、猫に膝枕をしてあげることにした。そのまま寝るより、枕があるほうがいいと思ったから。猫はさんざん「いいよ」と言っていたけど、豪が頑固なのはもうわかっていたらしくて、最後には諦めて「重くても知らないよ」と言っていた。
膝枕なんかしてもらったことがないと言っていた猫だけど、豪だって膝枕なんかしてあげたことがないから、おあいこで、それでいいか、ということになった。そっと豪の足に頭を乗せて横になって、照れくさそうにあちこちを見ていたから、手をかぶせて無理やり目を閉じさせてやった。それで、せっかくだから寝るように言ったら、しばらくもぞもぞしていたけど、猫はすぐに寝息を立てはじめた。
疲れていたんだなあ、とか、かわいいなあ、とか、色々考えたけど、風は気持ちいいしぽかぽかしているし、豪もだんだん眠くなってきた。
両手を背中側について、空に向かって胸をそらす。そのまま腕から力を抜いてしまえば、豪も気持ちよく昼寝に入れるのだけれど、そんなことをしたら猫を起こしてしまいそうな気がして、少しだけ我慢する。
ふわあっとあくびをして、猫を見て、それからまた空を見て。
「起きたら交代してもらおっかなあ」
ぼんやり呟いて、豪は猫のために、膝枕をきっちり提供し続けた。
fin.
ぼくのかわいいちいさなこねこ。おくびょうでつよがり、いじっぱりなこねこ。
あんしんしてねむるといいよ。ぼくのひざのうえで、くるりとまるくなって、すよすよと。
きみはぼくのとくべつだから、ぼくもきみの、とくべつになりたいんだもの。
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