■ 箱庭の青空
声が青空を突き抜ける。高く、高く、遠く。
大好きな、憧れの声。あの声を聞きながら、あの声に称えられたくて、いつだって全力で走っていた。風にだって音にだって、光にだって負けない速さで。
『ゴォールッ!! 第二回世界グランプリを制したのは――』
限界の見えない高さだと、そう思った。
手を伸ばしても届かないし、背伸びをしたって届かない。
ジャンプしても、飛行機に乗っても、ロケットを飛ばしても絶対に届かない気がしていた。
絵の具で塗りつぶしたような、水色の空。塗り損ねたところには、白い雲。
振り仰いだ空を、声が突き抜けた。どこまでも高く。限界など知らずに。
烈がその話を聞いたのは、グランプリも終盤に差しかかった頃のことだった。
一人で抱えていることなどできず、慌てて飛び込んだ部屋の住人はどうやらシャワーでも浴びに行っているらしい。そこはがらんと空っぽだった。
土屋研究所の彼の私室同様、整然と片付けられた、味気のない空間が広がっている。煌々と光を発するパソコンのディスプレイは、穏やかな風景写真の入れ替わるスクリーンセイバー。スタンバイモードに入っていないということは、すぐに戻ってくるということだ。
良く考えてみれば、許可もなく勝手に他人の部屋に立ち入るのはあまり褒められた行為ではない。いまさらのように自分の狼狽ぶりを自覚し、思っていた以上の衝撃にうなだれる。もっとも、彼はきっと自分を拒まないだろうから、この際だと居直って、そのまま待たせてもらうことにする。
部屋を訪れた際にいつも勧められる定位置に腰を下ろし、烈は大きく溜め息を吐いた。きちんと折りたたまれた布団と、ぴんと張られたシーツ。座ることでしわをつけていることに罪悪感を覚えつつ、ぐるりと見慣れたはずの部屋を見回す。
几帳面な性格を反映して、メンテナンスを施されただろう愛機が、レーシングボックスの隣にちょこんと鎮座していた。
ずるい、と。それがはじめに思ったことだ。
リョウは確かに、今大会の開始時から引退を明言していた。国内大会での年齢制限を突破したのだから、これ以上の出場は重ねられないと。
世界グランプリの開催は急に、しかも一回限りのつもりで企画されたものだったらしい。そのため、参加層は以前から存在するチームに絞られており、年齢制限は特に設けられていなかった。連続開催となった今大会も、ほとんどのチームが前大会と同じメンバーで臨むことから、明確な線引きは未だなされていなかったのだ。
今期の出場メンバーの年齢は、上は十四歳から下は十一歳まで。日本の学校の学年に照らし合わせるなら、小学四年生から中学二年生までだ。
たしかに、今大会中に協議に決着をつけるとは聞いていた。それでも、次の大会から「開会時における年齢が満十二歳以下であること」を出場資格に盛り込むという通達をいまさら出されても、納得などできるわけがない。こんな、残るレースがもう数えるほどになってからいきなり、今回で終わりだなどと言われても。
「烈くん?」
悶々と考えに耽っていた烈は、不思議そうにかけられた声に我に返り、慌てて視線を巡らせた。ドアの開閉音にすら気づかないほど、思考に没頭していたらしい。
「どうしたの、こんな時間に。何か連絡事項でもあった?」
「ごめんね、勝手に入り込んで」
「それはいいんだけど」
予想にたがわずJはシャワー帰りのようで、肩に羽織ったタオルに、髪の先からぽたぽたと水滴が落ちてくる。ちょこんと小首を傾げながら部屋に立ち入り、Jは烈の向かいで椅子を引く。
「どうしたの?」
次のレースの話をするにはまだ情報が入ってこないし、今日偵察に行った分のデータに関しては明日話し合うことにしている。予定も目的もなく人の部屋をふらりと訪ねるようなことはしない。思いつめた表情をしていることからも、ただごとではないだろうとあたりをつけ、Jはじっと相手の出方を伺う。
しばらく言葉を探すように黙り込んでいた烈が、ようやく口を開いた。
「さっき、博士から聞いたんだけど」
ひと言目で、Jは話の行方を悟った。その話は、シャワー帰りに耳にしている。しかし、意を決して話をはじめた烈を遮ることなく、Jはおとなしく相槌を打った。
「僕たち、ね。次の大会、出られないって」
烈の声は、小刻みな震えを隠しきれていなかった。
ぱちぱちと瞬いて、Jは烈を見つめていた。俯き、声を絞り出した烈は両手を膝の上で握り締めて、何かにじっと耐えている。自分で発した言葉に、自分で衝撃を受けている。そう冷静に分析しながら、Jは胸中で息をこぼした。
「そう」
「そうって、Jくん! もう終わりなんだよ? 今大会で、僕たちはレースを終わらせなくちゃいけないんだよ!?」
沈黙を沈黙のまま放置しておけず、とりあえず放った言葉は酷く無気力で、張り詰めていた烈の神経を悪い方向に刺激したようだった。弾かれたように顔を振り上げ、ぐちゃぐちゃの表情で烈が詰め寄ってくる。困惑と悲しみと、怒りと、悔しさと。
「そんなの、そんなのいまさら言われたって、納得できないよ!」
「でも、決まったんだよね?」
「そうだけど、でもっ!!」
ならば仕方ない。そう慰めるつもりで言葉を返せば、烈は言葉に詰まりながら勢いを失って背を丸める。
「だって、そんなの納得できないよ」
いつだって冷静で、大人びているチームリーダーの年齢相応の一面を見せられるたび、Jは小さな憧憬にそっと瞳を細める。どこかに落としてきてしまったものを、周囲に手伝ってもらって拾い集めて、そして拾いきれなかったもの。Jが二度と取り戻せないものを抱えて、そこから逃れようとあがいていることへの、微笑ましさすら感じながら。
電力の無駄だと判断し、上体を捻ってマウスを滑らせる。スタンバイモードにしようかと考えて、結局電源を切ることにした。今日はもういいだろう。
「あのね、烈くん」
呼びかけて、それから向きを直して、Jは少しだけ言いよどんだ。いまこのタイミングでこの話をするのは、とても卑怯な気がしたのだ。しかし、そっと見上げてきた瞳に揺れる困惑の色を見て、迷いは振り切られる。
「ボクはもともと、今回の大会でチームを辞めるつもりだったんだ」
唐突な告白に、即座の反応は返らなかった。言葉を反芻するだけの時間を置いてから、まずは双眸が見開かれ、次いで声が唇を割る。
「え……?」
愕然と見つめる紅の瞳になんとなく後ろめたさを感じながら、Jは言葉を継ぎ足していく。
「いつ言おうかなって思っているうちに、こういう話になっちゃって」
「だって、Jくん、僕と学年同じじゃない!」
慌てて返された言葉には、困惑がありありと浮かんでいた。それこそ困ったように微笑みながら、Jは穏やかに続ける。
「年齢制限とか、そういうのだけじゃないよ。ただね、ボクはもういいかな、って」
「もういいって、どうして? 飽きちゃったの?」
「違うよ烈くん、そうじゃないんだ。そうじゃなくて、ええと。なんて言えばいいのかな」
困惑に揺れていた瞳は、気づけば泣きそうに潤んで、絶望に染まりだしていた。追い詰める気などさらさらなかったJは、それに気づいて慌てて言葉を探す。少しでも正確に、うまく伝えられる表現を選び取るために。
「エボリューションの声がね、聞こえなくなっちゃったんだよ」
悩みに悩んで紡いだ言葉に、烈は不可解そうな表情を返すだけだった。
結局Jが言えたのは、落ち着いてじっくり自分で考えて、その上で納得するようにするしかないということだった。困惑の代わりにJに対する失望のようなものを滲ませて、烈は自分の部屋へと引き上げていった。
ひとりになった部屋でベッドに寝そべり、Jは目線を机へと流す。
大切な友達。一緒に駆け抜けるパートナー。かけがえのない存在で、この上ない存在で、取って代わるものなどないはずだった。一緒にいればなんだってできるはずだった。それなのに、気づけばただの精密機械になってしまったのは、いつのことだったか。
いまでもミニ四駆のことは好きだと思う。レースをすればわくわくするし、勝てば嬉しくて負ければ悔しい。でも、同じように好きなことができて、わくわくする場面も嬉しかったり悔しかったりする場面も、平等に増えてしまった。いや、特別だった場面が、平素の場面に並んでしまったのだ。
わからなくて、それが悔しくて、まるで自分や大切な人たちを裏切っているようで苦しくて。抑えきれない苛立ちに任せて周囲に八つ当たりをしないよう、ただそれだけに神経を割き続けていたことを知っているのは、土屋とリョウだけ。あの二人だけが、荒れ狂うJの内面に気づいたのだ。
もがいてもがいて、ようやく抜け出してからはじめて、さりげなくフォローされていたことに思い至った。爆発する寸前でうまく場面をすり替え、発散したり冷却したりできるだけの時間と空間を与えてくれていたのだ。
さりげなく問い質してみれば、リョウは自分にも身に覚えがあると笑い、土屋は君の父親だからねと笑った。そしていま、烈を見て、Jはようやくすべてを諒解する。自分はあそこに立っていたんだな、と。
件の協議結果は、翌朝、土屋の口から全員に対して説明された。結果として、今大会で引退するのは烈、リョウ、Jの三人であり、その穴は現在のチーム結成時と同様、国内大会の上位入賞者にて補填する予定である。日本に残っている研究所のメンバーが、既に候補者の絞込みにかかっているらしい。
納得が行かないと土屋に食ってかかる豪は予測済みであったが、それを宥める役を買って出たのは、藤吉だった。代わりに、いつもなら叱責の声を真っ先に上げる烈が、ぴりぴりとした空気を撒き散らしている。なるほど、これではフォローのひとつやふたつ、自然と入れたくもなるだろう。妙に感心しながら、Jがゆっくりと口を開く。
「豪くん、いまはとにかく学校に行かないと。遅刻しちゃうよ」
壁際に置かれている時計を示しながらJが立ち上がれば、豪は慌てた様子で部屋へと駆けていく。出かける準備をしていないか、宿題をやっていないか。昨夜の烈に豪を気にかけるだけのゆとりはなかっただろうから、おそらく両者であろう。残る面子をせかしているリョウと目配せを交し合い、Jは微かに笑う。
「お前は、あまり気にしてないようだな」
「わかってて言ってるの? 意外と意地悪だね」
すっと寄ってきて小声でかけられた言葉に、Jは心外だとばかりに目を見開いた。
「そうでもないさ。お前、隠すのがうまいからな」
まだ割り切れていなかったら面倒だと思ったんだ。
あっさりと続けられた言葉はまっすぐに胸を射抜き、少しだけ痛みを残す。切なくて甘い、やさしい痛みを。
「ボクは大丈夫だよ。それより、烈くんがどうするか、だね」
「できる限りフォローを入れればいい」
「あとは本人の問題?」
「お前もそうだったろ」
頷くJに注がれたのは、見守り、包み込むような視線。一歩先を行くことを思い知らせる、深い色合い。
その日から、大会が終盤を迎えたことへの緊張感もあいまって、烈の身に纏う張り詰めた空気は加速度的に鋭さを増していった。状況判断力に長けた藤吉はもちろん、最も身近にいて、肌で変化を感じ取って歩く豪にもそれはストレスになるのだろう。恐々と、猛獣を取り巻くようにして過ごしている様子は、微笑ましくも悲しくもある。
苛立ちの理由を、一部察しながらも決して完全に理解することができない存在。一番の仲間で、ライバルで。きっと、リョウや自分にはない、また別の苛立ちがあるのだろうとJは観察しながら考える。いっしょに走り出したはずなのに先にゴールしなくてはならなくなったその葛藤は、烈にしかわからないし、烈にしか処理できないのだ。
マシンが、大切なパートナーからただの機械に変わった。それを理解した瞬間、Jは心に決めたことがある。残された時間を、せめては鮮やかに覚えておくこと。鮮明に、克明に。許される限りすべてを覚えておくこと。
いったんは諦め、捨て去った身だからこそわかることがある。きっとチームの誰よりも自分が、この時間の貴重さを判っているだろうとJは思う。本来ならば通り過ぎてから振り返って気づくことを、渦中にあって既に知っていることは果たして、幸いなのか不幸なのか。そこまではわからないが、わからないなりに、いまを精一杯にあがこうと思うのだ。
限られているからこそきらめいて見えるものがある。
小さな世界。ちっぽけな、大切に守られて、やさしく包まれた世界。どんなに些細なことだって、きらきらと光り輝いている世界。子供である時間にだけ許された、本当に幸せな、やさしい箱庭。
くるくると廻る、それはたとえばメリー・ゴウ・ラウンドのようなもの。乗っている間はわからない。廻っている間はわからない。降りざるをえなくて、放り出されたときに知る広い世界はきっと素晴らしいもの。でも、二度と乗れないとわかって振り向いたあの幻想の馬と馬車は、やさしく綺麗に輝いている。
メリー・ゴウ・ラウンドが同じ場所を廻っていることに気づいてしまったら、もう降りなくてはならない。ただ、降りるまでにもう少しの猶予があるだけ。だから、残った時間を全部使って、いかに綺麗な場所を廻っていたかを覚えておこうと思うのだ。
大切な友人だからこそ、Jは烈に早く気づいて欲しいと願う。
降りたくなくて、でも外の世界に気づいてしまって、いやだいやだと泣き叫ぶのは誰でも同じ。そして、箱庭の中でも更に限られたこの時間は、容赦なく終わりを突きつける。自分で決めて降りるのでなく、降ろされてしまう。だから、その前に気づいて欲しいと願う。
こんなにやさしくて美しい世界にいられたのだと、どうか、降りる瞬間に懐かしんで振り返ってほしいから。
外側から見ていて、烈が落ち着いたと判断できるようになったのは、それから二ヶ月後のことだった。決勝レースへの切符を手にし、消化試合をこなしていく、少しだけゆとりを取り戻した頃。本当に終わりが見え隠れしはじめてきた頃になって、烈は何かを吹っ切ったようだった。
チームリーダーがピリピリしていると、全体の雰囲気も張り詰めたものとなってしまう。どんなにJやリョウが土屋と一緒になってフォローを入れようとも、その影響力には大きな差がある。ここ数日で見られたあからさまな軟化にほっと息をつく反面、きっかけの見えないその豹変振りに、Jは軽く柳眉を潜める。
「何かあったのかな?」
「さあな。諦めがついたんじゃないか?」
飄々と応じるリョウは、気に留めた様子もない。落ち着いたならそれでいいではないか、と。深入りしてこないその割り切りの良さをJはとても好んでいたが、それだけで大丈夫かと、抜けない棘が胸にある。変なところでよく似ている、と言われるからこそわかるものもある。烈はきっと、納得したわけではない。
兄の落ち着きを、豪も本能で悟ったのだろう。肩から余計な力が抜けて、おかげでレースでも存分に力を発揮してくれている。相乗効果がプラス方向にばかり現れる。それは喜ばしいことだが、それらに目を眩まされて、見落としているものがあるのではないか。小さな不安は、じくじくと胸の奥で存在を主張し続ける。
「そんなに気になるなら、聞いてみればいいじゃないか」
片付けの手が完全に止まってしまっているJを見かねたのか、リョウはあっさりと言ってくれる。
「それができたら、気になんかしていないよ」
もともと比較的大味な部分があったが、最近磨きがかかってきたのではなかろうかと。少なくとも自分にはできないだろう提案に対し、Jは溜め息に返答を載せ、工具箱の蓋を閉じた。
しかし、リョウの提案は、思わぬ形で現実となった。
「道を譲るのも、ありかなって」
レースへの対策を練るのは、主に烈とJのふたりだ。いつものごとく、週末に迫ったレースに対しての作戦を練っていたその日の夜、烈は唐突にそう切り出した。
「ほら、この前さ、僕ら日本に戻ったよね」
「うん」
手を止め、思わずまじまじと凝視してしまったJの視線に照れくさそうに笑いかけ、烈はぽつぽつと言葉を紡ぐ。
この前、それこそつい先日のことだ。日本で開かれている M1グランプリという名の大規模なレースの決勝を、烈は豪とリョウと共に観戦しに行った。先だって土屋の依頼で日本に行っていたリョウからの進言であり、土屋もそれに同意したところにちょうど日程の都合もついたために敢行された、かなりの強行軍だったはずだ。
Jにとっては、参加レーサーの中に見覚えのある名前を見つけたという意味で、また感慨深いレースでもあった。しかし、全員で日本に行ってしまっては、その間に開催されているレースの情報収集に支障が出る。申し訳なさそうに残留メンバーを募った土屋に、Jは藤吉と共に、自ら名乗りを上げたのだ。
「あれを観てね、なんとなくわかったんだ。僕はもうそろそろ、舞台を降りるべきなんだなぁ、って」
遠く、そして懐かしい光景だったと、烈は言った。自分たちもああだった。そして、いまは違うと。
「どうしてリョウくんが観に来いって言ったのか、すごくよくわかった。あれ、きっと豪じゃなくて、Jくんにも観てもらうべきだったのかもしれない」
でも、それじゃあきっと、この前のレースの情報収集がめちゃくちゃだっただろうけどね。
穏やかな声音に、Jはそっと微笑んだ。きっかけの見えなかった豹変に、リョウが戸惑わなかったわけだ。リョウは、そのきっかけを作った張本人であり、きっとそれを見越した上で誘ったのだろう。烈の心に、何かしらのきっかけを与えるために。
「いいレースだった?」
「うん」
自分とは違うだろうし、リョウもきっと違う何かで踏ん切りをつけただろう。そして烈は、自分たちを追いかけ、そして追い抜いていくだろうレーサーを目の当たりにすることで、踏ん切りをつけたのだ。
「じゃあ、次の大会が楽しみだね」
「……そうだね」
やわらかなJの声に、烈もまたやわらかな声で応じた。そして二人で、ふんわりと寂しげに微笑んだ。
第一回大会の決勝の盛り上がりを意識したのだろう。上位チームが僅差のポイントで並ぶ形となった第二回大会においても、決勝レースは大々的なロングコースを走破する形式が採用された。
ハイウェイを駆け抜け、ダウンタウンを縫う。幸いなことに天候にも恵まれ、きんと突き刺すような空気の中を、沿道からの歓声を受けて走り抜ける。
今大会を機に引退することを、もともと表明していた選手は少なくない。最年長の選手はあらかたそれを明言していたし、選択の割れていた次点の年代も、年齢制限の決定を受け、それぞれの葛藤を抱えながら、引退を突きつけられていた。
前大会の決勝に緊張感が欠けていたとは思わない。無敗神話を誇るミハエル率いる、ドイツの鋼鉄の狼。チームワークと冷静な状況判断に優れた、アストロノート候補のエリートたち。荒々しくも高潔で、稲妻のような走りを見せる荒馬の集団。とんでもなく遠い実力を持つライバルたちを相手にしていた。波乱万丈のレースだったし、前も後ろも見えないほどに必死だった。ただゴールを目指して、誰よりも早くチェッカーフラッグを振られることだけを考えていた。
でも、終わりを意識してはいなかった。
これで終わりなのだと、これで最後なのだと。ただそれだけの意識の変化。ゴールの向こうに、更に続くコースではなく、本当の終点を見てしまった。それだけで、心持ちが変わる。否応なく変えられてしまう。
必死になって走りながら、少しでもいい走りをしようと思いながら。それはいつもと同じなのに、いつも以上の重さを持ってのしかかる。少しでも上に。わずかでも前に。二度と戻らない時間に、もっともっと、きらめく痕跡を刻みたいから。
これまでにない緊迫感に、張り詰めた神経が悲鳴を上げる。それでもなおと顔を上げて走りながら、Jは静かに思う。きっと、今大会でサーキットを降りるレーサーはみな、同じことを感じているんだと。
声が青空を突き抜ける。高く、高く、遠く。
限界の見えない高さ。手を伸ばしても届かないし、背伸びをしたって届かない。その空の下を、いつだって全力で走っていた。走っていれば、風になれた。音にも、光にもなれた。
ガラス細工のように煌めいていた世界。どんな些細な出来事だって、何もかもが大切な宝物だった。どんなガラクタだって、拾い上げれば最高の宝石になった。
『ゴォールッ!! 第二回世界グランプリを制したのは、TRFビクトリーズだーっ!!』
空の色は、絵の具で塗りつぶしたような水色。塗り損ねたところには、白い雲。加速度的に駆け上がる息苦しさは、走っているからか、それとも別の理由からか。
音を立てて閉められた箱庭の蓋。声が突き抜ける青空を網膜に刻んで、Jはそっと、瞳を閉ざした。
fin.
願うのは、虚構の箱庭への帰還。
祈るのは、絵の具で塗りつぶされた青空。
永遠に閉じ込めて、永遠に、閉じ込められていたい。
timetable