■ BLAST
 ひょこひょこと木の幹からのぞいた三対の目が、一様に大きく見開かれる。そして、あっという間に今しがた出てきた方へと引っ込んでいった。
「ほんっとうに寝てる!」
「おらたちに気づいてないだすよ」
「それにしても、いい寝顔でげすね。穏やかな気分になるでげす」
 こそこそと小声で話し合ってはまた幹の向こうに視線を流し、彼らは興奮を抑えて目を見合わせる。
 珍しいことこの上ない光景に、わくわくする。新しくできた大切な友人の新しい一面を発見できるのは、とても嬉しくて仕方がない。何度も覗いては確認し、自分たちが出会ったこの場面が、幻想でないことを確かめる。
「夢でも見ているのか?」
「そうかもね。笑ってる気がする」
 三人を追って現れたリョウが薄く微笑みながら言えば、頷いた隣に立つ烈が、豪を押しのけて少しだけ身を乗り出し、やさしい視線を話題の主へと向ける。
「で、どうするでげすか?あんなに気持ちよさそうに寝てるのを起こすのも、気が引けるってものでげす」
「そうだすな。でも、おいてくのは、おらもっと嫌だす」
 はじめて見たJの寝顔を一通り堪能した面々は、そこでようやく当初の目的へと行き着く。彼らは、夕方から近くの商店街で開催される縁日へJを誘うためにやってきたのだ。
「えー、いいじゃん、起こせば。博士だっていいって言ってたし」
「待て、豪」
 声をひそめての話し合いの中、さっさと身を乗り出した豪の首根っこを反射的に捕まえ、烈は眉間にしわを寄せる。
「お前、罪悪感とかないのか? 気持ちよく昼寝してるところを叩き起こされたら、誰だっていい気はしないだろ?」
「だって、起こさなきゃ一緒に行けないんだぜ?」
「それはそうだけど、でも、もうちょっと考えろよ」
 豪の意見は、実に的を射た正論だ。だが、すやすやと規則正しく胸を上下させて眠っている少年を無造作に叩き起こせるほど、烈の神経は図太くない。どうしたものかと難しい顔になったところに、淡く苦笑の色を滲ませたリョウの声が降ってくる。
「まだ時間は早い。もう少し待ってみて、それで起きないようなら起こせばいいんじゃないか?」
「ああ、それがいいでげすな」
「さすが、あんちゃんだす」
「うん。僕も賛成。豪、お前もそれでいいな?」
「ま、しょうがねーか。あ、じゃあさ、待ってる間、あそこでレースしようぜ!」
 反論を許さない強い視線で確認をとられ、豪は渋々頷く。そして、そのままぱっと顔を輝かせると、怪訝そうに眉を寄せる兄の表情になどまるで気づいた様子なく、うずうずと体を揺らす。


「じゃあ、おら、コース使っていいか博士に聞いてくるだす」
「あーっ、待てよ! おれが先!!」
 わいわいといつもの調子に戻り、傍近くで寝ている人間を気遣う様子などまるでみせずに走り去った二人の弟たちに、烈は声をかけるタイミングを逸し、ただ大きくため息をつく。その左右ではそれぞれ、仕方ないといった表情のリョウが苦笑を漏らし、呆れたような藤吉の、大袈裟な吐息が続く。
 豪が示したコースは、烈たちがいまいるところからほんの少し離れたところにある。いつもの調子でレースをすれば、Jを起こすには十分すぎるほどの元気な掛け声が飛び交うのは、火を見るより明らかだ。
「結局、この場で起こしてあげる方がいいかもしれないでげすな」
「あー、もう! せっかくリョウくんがいい案を出してくれたのに!」
 ぎりぎりと奥歯を噛み締めて、弟の無鉄砲な行動に沸き立つ激情を押し殺す烈を流し見て、リョウは淡い笑みを崩さない。
「まあ、最初に豪のやろうとしたことに戻ったってわけだ」
 そのままするりとJの脇によってしゃがみこむと、肩を揺らしながら低く声をかける。それに反応して、言葉になっていない声を小さくあげたJが、ゆるりと瞼を押し開ける。
「あーっ、兄貴たち、Jのこと起こしてんじゃん!」
 ずるいだの抜け駆けだのと叫びながら、建物から戻ってきた豪が二郎丸と共に、全速力で駆け寄ってくる。しばらく瞬きを繰り返していたJは、ようやく周囲に集うのが誰なのかを認識したのか、驚いた様子を隠そうともせず、きょろきょろと視線を巡らせている。



「おはよう、Jくん。いきなりうるさくてごめんね」
「楽しい夢を見られたでげすか?」
「おはようだす!」
 申し訳なさそうな笑みの烈と、どこか諦め顔の藤吉。烈に噛み付く豪の脇からは、楽しげな二郎丸の挨拶がふってくる。
「ずっりーぞ、烈兄貴! おれが起こしたかったのに!」
「とろとろしているお前が悪い」
「とろいのは兄貴のソニックだろ! あー、もうっ!! 勝負だ!」
「誰のマシンがとろいって? いいぜ、負けてほえ面かくなよ」
「あ、わても混ぜて欲しいでげす」
「おらもやるだす!」
 まったくJが展開についていけないまま、話は次の段階へ移ったらしい。いつもとあまり変わらない光景が続けられる中、Jは一人、寝起きでまだあまり鋭く動かない思考回路で、ただ小首を傾げることで疑問を呈し続ける。
 彼らの訪問はなんとなく気づいていたが、起こしにくるのはきっと、土屋だと思ったのに。
「目は醒めたか?」
「リョウくん?」
 穏やかに声をかけられて首を巡らせれば、Jが身を預けるのと同じ木にもたれかかるリョウが、じっと見つめている視線に出会う。
「夕方に、近くの商店街で縁日があるんだ。それに誘いにきたんだが、どうやら、忘れているやつばかりのようだな」
 すいと流された翠の目が捉えるのは、白熱したレースを繰り広げる友人たち。それはあまりに見慣れた光景だから、別に唐突に目の前で繰り広げられていても違和感をあまり覚えないが、話の脈絡が読めない。説明の続きを乞うつもりでJが視線をリョウへと戻せば、気配に聡い彼は心得たもので、レースを見ながら口を開く。
「お前があんまり気持ちよさそうに寝てるから、もう少し待ってから起こそうっていう話をしてたんだ。そしたら、待ってる間に豪がレースをするって言い出して、こうなってる」


 耳朶を打った説明はあまりにありきたりだったが、友人たちの日常ゆえに、それは一番ありえそうな話だと、Jは笑い含みに、視界の中心にもっとも元気な少年を固定する。
「縁日、行くだろ?」
「うん。行ってみたいな」
「行ったことないのか?」
「たぶん」
「そうか。なら、きっと楽しめると思うぞ」
 深みのあるやわらかい声で請け合い、リョウは座ったままのJの頭にぽんぽんと軽く手を置く。子ども扱いされたのかと、眉根を寄せながら視線を上向ければ、リョウはただあたたかく笑みを送ってくるだけだ。なんとなく肩透かしを喰らった気分になり、Jは目を見開く。
「リョウくん、Jくん! 二人もレースしようよ!」
 いつの間にかレースは決着がついていたらしい。しきりに悔しがる豪を藤吉と二郎丸がからかい、烈はさわやかな笑顔でいまだ木陰にいる二人を誘う。
「ああ、いま行く」
 するりと背中を木の幹から引き剥がし、一歩先行したリョウが、振り返ってJに手を差し伸べる。
「ほら、行くぞ」
「ありがとう」
 素直に礼を述べて厚意に縋り、その手を取って立ち上がる。
「あーっ、もう一回勝負だ!」
「お前はビリだったからあとで。リョウくんとJくんが先」
「あ、じゃあ、おらも一回パスでいいだすよ。スターターをやるだす」
「二郎丸くんのほうが、豪くんよりよっぽど大人でげすなあ」
「なにーっ!?」
「こらっ、豪!」
「……懲りないやつらだな、まったく」
 豪の復活と共に戻ってきた喧騒に、リョウの呆れ果てた声が重なる。眩しすぎる日常が愛しくて、珍しいリョウが楽しくて。Jはくすくすと、笑声が漏れるのを抑えられない。
 笑い声に気づいて振り向いたらしいリョウと目を見合わせて、なんとなく、やはり笑い合うと、手でズボンをはたいて土と草を落とす。
 そしてJは、強い日差しの下に足を踏み出した。
fin.
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 鮮やかに、艶やかに、世界が光に満たされていく。
 暗雲を吹き飛ばせ。不安を掻き消せ。暗闇を切り開け。
 君も僕も、駆け抜ける風になれる。

 blast --- 一陣の風、突風。とびきりすばらしいもの。

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