流れ星の欠片
学校の課外授業で、実に面白いところに行った。
以前の彼ならばそれなりに興味は示すものの、それはやはりそれなりで、特に深い関心は示さなかっただろうが、今は違う。なんと言っても、心の中の大半を占める人間の、一番の興味の対象だからだ。
「星馬?
さっきからずっとそればっかり見てるけど、なにか面白いのか?」
「うん、まあね」
博物館という場所柄、ある程度は抑え気味であるものの、小学生の集団が沈黙を保っていられるはずもない。すでに興味を失ってわいわいと喋りつつ移動をしているものもいれば、もっとひどいところだと、追いかけっこを展開しているグループもある。
いい加減にしなさいと、怒って怒鳴る教師の声もまた、博物館のルール違反だという冷静な突っ込みは胸のうちで完結させて、烈は隣にやってきた八田を見やる。黒縁の眼鏡がいかにもインテリな雰囲気を醸し出す彼は、騒ぐ同級生たちを尻目に、しっとりと鑑賞をして歩いている最中のようだった。
「これは、隕石か?」
彼らが訪れているのは、隣の市の博物館。ちょうど化石展をやっているので、それを見学しにきているのだ。
閲覧順序の手前三つでは主に、古代の植物や恐竜の化石が展示してあった。そこから時代を追って、お約束のティラノサウルスやブラキオザウルスなどの巨大模型もあったが、烈は軽く見流すだけでここまでやってきている。
最後のひとつ、展示会の中でも異彩を放つ、鉱石のコーナーだ。
「うん。中国で採れたやつだって」
小さな説明カードには、日英の両言語でこれが純隕石片であることと、非常に珍しい品であるとの旨が書かれている。
「なんかね、僕らが普段目にする流星とかは、あくまで小さな“欠片”だから、こうやって地上まで形を残して落ちてくるのは珍しいんだって」
地球を幾重にも取り巻く大気の層の、ずっとずっと上空で燃え尽きてしまう。その最後の光を自分たちは目にして、そして願いをかけているのだ。
「ずいぶんと詳しいな」
「まあね」
どこにも書かれていない説明をすらすらと口にした烈は、目線を上げようとはしていない。じっと、ただひたすらショウケースの中を見つめて、隣の気配に向かって言葉を紡ぐだけだ。
目を軽く瞠って素直に賞賛の言葉を贈った八田は、ふと時計を見やり、やはり動く様子のない烈に告げる。
「おい、そろそろ集合時間だぞ」
「え?
もうそんな時間?」
ようやく顔を上げた烈は瞬きを繰り返し、なお名残惜しそうに室内を見回している。よほどこのブースが気に入ったのかと軽く肩をすくめ、彼は出口を指し示しながら慰めの言葉を送ってみた。
「まだ土産物も見てないんだろ?隕石の欠片が売っているらしいぜ?」
展示室など退屈で見ていられなかったらしい同級生たちが、出口の特設店舗で大騒ぎをしていた内容は、ここにいても十分に聞こえていた。なんでも、化石やら鉱石やらをかなり手ごろな値段で販売しているらしい。どうせ、あれだけ熱中していたらば聞こえていなかっただろうと親切にも教えてやれば、烈はぱっと表情を輝かせてようやく足を動かしだす。
「ありがとう。八田くんも行くでしょ?」
「そうだな。俺はどうしよう」
やはりここは、アンモナイトかなにかを購入すべきだろうか。
まだ良い品が残っていることを祈り、展示室内に最後まで残っていた二人は、集合時間前の確認で回ってきた教師にせかされつつ、土産物屋へと向かった。
最寄り駅での解散となったため、ふだんの学校帰りとは町の反対側から自宅へ向かいつつ、烈はポケットの中身を確かめる。ジャンパーのポケットに手を突っ込めば、そこには紙袋の中に小さくも確かな硬い感触。
忘れたらうるさそうなため、弟への土産も抜かりなく購入してあるが、これはきっちり隠しておこう。見つかったらば、きっとこちらも欲しがるに決まっているが、そういうわけにはいかない。彼にあげるのだ。
「レツ?」
隠し場所はどこがいいだろうか。勝手にずかずかと人の部屋に入り込んでは、漫画やらゲームやらを我が物顔で漁る相手である。うかつな場所では見つかりかねない。そんなことをぼんやり考えていたので、烈は危うく、かけられた声を耳から耳へと流して、うっかり通り過ぎてしまうところだった。
「ブレットくん」
「くん?」
「……ブレット」
声の主から二、三歩先までいった場所で足を止め、振り向いた烈は相手の名前を確認する。いつもの癖でつい敬称をつければ、耳ざとく聞きとがめたブレットが、バイザーの奥で眉をひそめた。
これは、二人で会ったときの約束。みんなの前ではいままでどおり「くん」づけで呼ぶけれども、二人だけのときは呼び捨てにすること。
その方が距離が縮んだことを実感できて嬉しいのだと言われては、烈に断る術はなかった。
いまだ不慣れなため忘れがちなことが多いが、この音も、やがては口に馴染むのだろうか。
「どうしたんだ、こんな時間にこんな場所で会うなんて」
珍しいじゃないか、と言いながら近づいてきたブレットは、どうやら本屋帰りらしい。右手に持った紙袋は、大きさからしてなにかの雑誌だろう。
「課外授業で、ちょっと博物館までね」
「なにか、特別な展示でもされていたのか?」
「化石展だよ」
並んで歩き出し、目で詳細の説明を促すブレットに応え、烈は簡単に一つ目のブースから展示内容を説明する。軽く見流したとはいえ、まったく見ていなかったわけではないし記憶力には自信があった。
ブレットにも、ある程度の予備知識があるのだろう。ぽんぽんと飛び出す特殊な単語には眉ひとつ動かさず、時折相槌や追加の説明を加えながら、二人の会話は進んでいく。
「――でね、最後のブースがちょっと変わってて、鉱石だったんだ」
「地学、という括りにすれば一緒だが、だいぶ定義を広げたな」
化石と鉱石では毛色がかなり違うだろう、とブレットは顎に手を当てる。
「まあそれはいいんだけど、そこで面白いものを見つけてね」
話をしながらのためゆっくり歩いてきたとはいえ、駅前の本屋とWGPレーサーの宿舎との距離はさほどでもない。言いながら足を止めた烈にあわせ、ブレットも立ち止まる。この角をまっすぐ行くと宿舎で、烈が自宅に戻るには左に折れなくてはならない。
「はい、これ」
手を出して、と促せば素直に従うブレットの手のひらに、烈はポケットから紙袋を置いた。
「お土産だよ」
「Thanks.
開けてみても?」
「どうぞ」
異国でも問題なく通じる母国語で礼を述べ、ブレットは許可を仰いでから中身を取り出す。
「隕石の、欠片?」
中から出てきたのは、小さくて透明なプラスチックの筒と、アルファベットの羅列してあるカードだった。筒の中には鈍い銀色の小石がいくつか詰まっている。
母国語を読む分にはなんの問題もなく、ざっと簡単な説明を読み流してから、ブレットは改めて烈に向き直った。
「なんて書いてあるかは読めなかったんだけどね」
ちゃんと店員さんに確認してから買ってきたんだよ、と、烈は仄かな苦笑をみせ、それからブレットの先のセリフに訂正を入れた。
「隕石の欠片じゃなくて、流れ星の欠片ね」
自分の和訳は正しかったはずだが、と思わず思案顔になった相手に、烈はゆっくりと続ける。
「君の夢が叶うように。そう思って、それを選んだんだよ」
流れ星に願いをかければそれが叶うなら、流れ星を手にできれば、もっと叶いやすくなるだろう。
ブレットの実力を疑っているわけではない。彼をはじめとした烈のよく知る面々は、己の夢のために努力を怠らないし、素晴らしい実力の持ち主であることはわかっている。それでも、競争率が高い世界だと聞いた。だから、自分にできるせめてものことを考えて、願いと祈りをかけて贈る。
「星に願いを、ってね」
「ありがとう、大切にするよ」
真摯な思いを湛えた瞳を、笑顔の中に潜ませて。やわらかく告げてくれた相手に、ブレットはバイザーを外し、まっすぐに視線を合わせて静かに答える。
「それで、絶対に、かけた願いを叶えよう」
実力不足など言わせない。いまの己では敵わないなら、更なる努力を積むだけだ。星を掴み取ってくれた恋人に、そんな失礼な真似などしてなるものか。
「うん。期待してるよ」
それじゃあね、と軽やかに笑い、烈は角を折れて小走りに駆けていく。自分より小さくて細くて、ともすれば頼りない、でも強いその背中を見送って、ブレットは空を仰ぐ。空と地面との境界線の朱色に、昇りはじめた月が見える。ぐっと左手を突き上げ、それを掴む。
右手に星を、左手に月を。
掴み取ろう。逃すまい。
夢も、願いも。恋人が祈ってくれるなら、なおのこと。
返礼はどうしようかと思案を巡らせ、バイザーをかけなおした少年は、ゆっくりと踵を返した。
fin.