その中には
 いかにも怪しげな茶封筒。
 次のレースに関する必要書類を土屋から渡され、それを提出に行き、たったいま帰ってきた烈は、もろもろの中に紛れ込んでいたそれを片手に、一人首をかしげていた。
「どうしただすか、烈?」
「あ、二郎丸くん」
 練習用コースまでお茶でも運ぼうと廊下を小走りに駆けていた二郎丸は、その途中、凶悪な愛らしさを振りまく姿勢で制止しているチームリーダーを発見して声をかけた。はたと顔を上げ、烈は事の顛末を説明する。土屋に頼まれ、レースに必要な書類を事務に届けに行っていたこと。確認をされた段階で、これは必要ないから、と返された茶封筒があったこと。
「だったら、博士に返せばいいんじゃないだすか?」
「うん。僕もそうは思うんだけどね」
 だが、それを返却してくれたときのスタッフの表情が引っかかるのだと、烈は続けた。
「なんか、笑いを噛み殺していたっていうか、同情を押し殺していたっていうか…」
 要するに、中身が気になって仕方ないのだという。
「それに、まだ博士は帰ってこないと思うし」
 土屋は、唐突な呼び出しをかけられ現在は大会本部の方へ出向いている。
「じゃあ、Jにでも聞いてみたらどうだす? 何か知ってるかもしれないだす」
「そうだね。やっぱその辺が妥当だよね」
 チーム内で事務関係の雑用は主に二郎丸がこなしているが、比較的重要度の高い部分や小難しい話はJが引き受け、土屋のサポートに回るという形をとっているのだ。
 提案に頷き、自分より幼い子供にやさしいきらいのある烈は、二郎丸に荷物の分担を申し出て、二人仲良くのんびり、問題解決に一番近いかもしれないチームメイトの元へと向かった。



「これ? ううん。全然わからない。まったく見覚えないよ」
「ほんと? じゃあ、何なんだろう」
 休憩時間の合間に、烈は問題の茶封筒を頼りになるチームのメインブレーン、Jに見せてみた。しかし、彼は首をぶんぶん横に振るだけ。結局、封筒の中身はわからない。
 烈と二郎丸、そこにJも加わって首をかしげていれば、その異様な光景に興味を持ったのか、ほかのメンバーもなんだなんだと集まってくる。
「開けてみたいけど、うかつに開けていいものかどうかわかんないんだよね」
「何か、重要な書類でも入っているのかも知れんしな」
「でも、だったら兄貴に渡すなんてことありえねーんじゃねえ?」
「わかんないでげすよ。もしかしたら、次の対戦相手の作戦書類を極秘入手したのかもしれないでげす」
「だったらスゴイじゃないだすか!」
「でも、それってちょっと反則な気がするな、ボク」
 わいわいがやがや。しかし、正解への道筋は一向に見えてこない。
「ねえ、開けちゃおっか?」
 ぼそりと言ったのは、烈だった。
「もし緊急に必要な書類なら、いますぐ博士に届けたほうがいいし、どこか他のチームの書類が紛れ込んでいるなら、やっぱり届けに行かなきゃ」
「だが、もしレース関連の何か内部情報とかなら、俺たちが見るわけにはいかん」
「だったら、レーサーじゃないやつが見ればいいんだろ?」
 その場に居合わせた全員が、声の主、豪のことをざっと見つめていた。六対の瞳にじっと見つめられ思わずたじろいだ豪だったが、ゆったりと口を開いた烈の唇からこぼれたのは、珍しくも豪の機転を称賛する言葉だった。
「お前にしてはイイことを思いついたじゃないか」
「そうでげすね、豪くんとは思えない発想でげす」
「脳みそがちゃんとあったんだすなあ」
「お前ら、なんかすっげームカつくぞ!!」
 褒められてるのかけなされてるのかわからない発言の数々にこぶしを握り締める豪だったが、話がちゃっちゃと先に進んでしまったため、とりあえず興味の対象を茶封筒の中身へと移す。
「じゃあ、二郎丸くん、中身見てもらえない?」
「え? おらが?」
「そうだな。お前が一番適任だろう」
 レースに直接かかわらないのは彼だけなのだ。
「うーん……。わかっただす。貸すだす」
 茶封筒自体は、別に何の変哲もない一般的なものだ。サイズはB五判。口を紐でくるくる閉じるタイプの、ごくごく普通の書類提出用だ。なぜか神妙な面持ちで紐を解き、小さく封筒の口を開けて中身を覗き見た二郎丸は、「あれ」と意外そうな声を上げた。
「これ、書類っていうか――」
 むしろ、写真が数枚入っている感じだ。大きさも様々。大きいものは封筒と同じB五判から、小さいものは普通のスナップまで。封筒の上下をひっくり返し、手始めに最も大きいうちの一枚を振って出した二郎丸は、驚愕に瞳を見開き、次の瞬間、複雑な表情を浮かべて、口をパクパク開閉させていた。


「え、なになに? どうしたの?」
「こ、これ……。これ、見るだす」
 一番近くにいた烈が問いかければ、二郎丸はきょどきょどと視線を不自然にそらしながら、取り出したその一枚の紙切れを差し出す。受け取った烈はその場で目を見開き、それを覗き込んだ面々もまた、それぞれその場で実にバラエティー豊かな反応を示す。どう反応すればよいのかと困惑気に視線をさまよわせるリョウ。思わず噴出して笑っている豪に、すでにトレードマークになりつつある扇子を無意味に動かすことで、何とか表情を取り付くろう籐吉。そして、石化してその場にびしりと縫いとめられている、写真に写っていたその人、J。
「いったい、いつの間に……」
 こんな写真を撮られていたんだろう。呆然と呟くJの反応は、至極当然のものといえよう。そこには、おそらく疲れのあまり、あまり深いことを考えずにベッドに転がって寝てしまったのだろう時の寝顔がベストショットで収まっていたのだ。しかも、身に纏っているのはバスローブのみ。写真に納まっているのは横向きに横たわる上半身だけだが、胸元から右の肩にかけてかなり大きくはだけた状態で、だ。
 笑いの発作がおさまりきらないまま、豪は困惑気味な二郎丸の手から封筒を奪取し、残りの写真をすべて机へとぶちまけた。しかしその瞬間、豪の顔からも笑いがさーっと引いていく。出てきたのは、これでもかというほどのチームの子供たちの寝顔ショット。被写体はJに限らない。烈も、リョウも、藤吉も、そしてもちろん豪のものもあったのだ。素直に寝ているもの。よだれを垂らし、大口を開けているもの。移動中だろう、互いに寄り添い、頭を預けあって寝ているもの――。
 微笑ましいものから思春期特有の中性的な色気にあふれるものまで、それはそれは多種多様な寝顔特集だった。
「なんか、スゴイだすなあ」
 ようやく我に返った二郎丸が一通りそれらを眺めて漏らせば、素の表情をとことん暴露されてしまった少年たちからいっせいに抗議の声が上がった。



 その三十分後。大会本部から戻ってきた土屋は、ミーティングルームに勢ぞろいしている、なぜか殺気立っているチームの子供たちに出迎えられることになる。机の上には、ごくありきたりな、それでもどことなく怪しげな、茶封筒を添えて。
fin.

 研究所の資料用のビデオが、いつの間にか子供たちの成長記録のホームビデオになっていたりとか。
 マシンをいじっているところを撮ろうと思って持ち歩いているカメラで、思わぬ一面についフィルムの消費量を増やしてみたりとか。
 ついうっかりが多いから、誰もが彼のことを好きなのだけれども。

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