働き者
書類を提出しにきただけなのに、気がついたら腕を引っ張られて廊下をずるずる引きずられている。
「これってさ、強制連行ってやつだよね」
「任意同行でしょ」
「そうそう、善意の人が、困っている子羊さんたちに手を貸してくれようとしているんだよね」
右手を引きずるのはジョーで、左手はエッジ。
大げさにため息を吐くことで反論のあきらめを提示し、Jはせめて引きずられても痛くないようにと、体からぐんにゃりと力を抜いた。
「おーい、助っ人連れてきたよー!」
連れていかれた先は、宿舎内のアメリカチームが使用している一角だ。エッジが明るく言いながら扉を勢いよく開ければ、目と鼻の先にマニュアルと睨みあう巨躯。
「うおっ!?
ハマー、そこ邪魔」
いきなりつんのめりそうになった体を立て直し、エッジはチームメイトのために鋭意努力中だった少年の、繊細な心を打ち砕く。集中を途絶えさせられた上、心無い一言に傷ついたハマーDは、その場で管を巻いてしまった。邪魔っぷり二割増しである。
「エッジ。あとで慰めるのは誰だ?」
「ミラー」
「人にお前の尻拭いばっか押しつけてんじゃねえっ!」
部屋の隅で、椅子の上に上って工具を弄り回していたミラーとそれをじっと観察していたブレットを交えての会話は、実に微笑ましい。ぼんやりとやりとりを眺めていたJは、耳元に落とされた殺気のこもったため息に視線を上向ける。
「ちょっと、まじめにやる気あるの?」
じろりと室内を見回し、ジョーは手の中の荷物、もとい人物を引き上げる。
「ほら、一番使えそうな人連れてきたんだから、さっさと片付けちゃいましょう」
「てっきりエーリッヒでも連れてくるのかと思ったんだが……」
「あ、ボクじゃ事足りない?
じゃあ帰るんだけど」
「いや、わざわざ出向いてくれた心優しいライバルチームのメンバーに、ぜひとも依頼したいことがある」
「出向いたっていうか、連行されたんだけど……」
「わざわざご丁寧なお迎えまでありがとう。ボクでいいならいくらでも力になるよ、ですって」
ぶつぶつとぼやきかけた文句は、くるりと音を立てそうな勢いで向けられたいっそ怖いくらいに艶やかなジョーの笑みと棒読みの台詞に、あえなく撃破される。
「で?
エーリッヒくんの代わりに呼ばれたってことは、機械関係だよね。なに?」
「あれがおかしい」
さっぱりと気持ちを切り替えて、一番話の早そうなブレットに視線を向ければ、親指でくいと、ミラーがいまだ格闘している相手を示された。
エアコンだった。
いたずらに部屋を汚すことを避けるべく、床に敷くためのいらない新聞紙などを持ってくるよう指示を出し、Jはミラーに代わって椅子に上る。
「ほいほーい。持ってきたよ」
「ありがとう。じゃあ、その辺に敷いてくれる?」
椅子から降りたミラーはハマーDの慰め役に回り、元気がありあまっているエッジはお使い組だ。
「ブレットくん。さっきのサイズのドライバー、もう一回」
「こっちか?」
「うん、そう」
サイドで工具の受け渡しを行うのはブレット。
「エッジくんは終わったら、そっちに置いてあるネジとか、ボクが頼んだら渡してね」
「あー、それはまあ、頼んで直してもらってるんだからいいんだけどさ」
「だけど、なに?」
喋りながらも決して手は止めずに、Jは示した机のほうへと移動するエッジの音声に神経を傾ける。
「なんでジョーはのんびりソファでくつろいじゃってるわけ?」
「あら、そんなのレディー・ファーストに決まってるじゃない」
「意味が違うぞ」
「なにか言った?
リーダー」
「いや、幻聴だろう」
疲れているんじゃないか、ととぼけてみせたブレットにほんのり苦笑を浮かべて、Jはあながちそれも間違いではないんだけど、と流しつつ答をせっついてくるエッジに一本のネジを指示する。受け取りついでに視線を向け、今度はきちんと一言。
「だって、女の子をこき使うなんて、最低だよ」
「うわあ、お前ってフェミニスト?」
「そんなことないよ。気分の問題」
軽やかに笑いながら、Jはてきぱきとネジを締め、次のものを要求する。要領よく指示を飲み込み、距離があるとやりにくいからと、机を至近距離に移動させてエッジはジョーへわざとらしい声音を放つ。
「ジョー、ここに男女差別主義者がいるぞ」
「あら、男女差別じゃなくて、単に細やかな気配りができるだけでしょ」
女だから、と馬鹿にされたり固定観念を押し付けられるのは嫌いだが、気を遣ってもらうことには悪い気などしない。まして、相手に裏がなく、純粋な厚意であるのなら素直に受け取るぐらいの度量はある。
「ほら、ぶつぶつ言ってないで働きなさいよ。コーヒー淹れてあげるから」
キッチンへと立ち去りついでに肩を叩かれ、扱いが違う、と拗ねた振りでくねくね揺れていたエッジは、不意打ちに思いもかけずよろめき、椅子の上で背伸びをしているJに突撃する。
「うっわあ!?」
不安定な足場にタックルをかけられてはひとたまりもなく、Jの体は悲鳴と共に、エッジと反対サイドにいたブレットの方へ。反射的に受け止めるのではなく保身のため避けたブレットの代わりに、犠牲になったのは窓脇のテーブルに置いてあった花瓶と花だった。
エアコンの不調の原因は、中の線がゆるんだところにほこりがたまったことだった。
「最近、暑かったり寒かったり、かと思えばあまりにじめじめするもんだから……」
それで、つい酷使しすぎたことも原因の一つだったのだろうと、一服入れながらブレットはのたまった。
「よく使うなら、たまにでいいからフィルターとかの掃除をしたらいいと思うよ」
「そうだな、気にかけておくとしよう」
机をはさんでブレットの向かいに座っているのはJ。花瓶の水を浴びてしまったため、上着はエッジのものを拝借している。手元には、濡れた服の入ったビニール袋。
「服、ごめんなさいね」
「あ、ぜんぜん気にしなくていいよ。シャワーも借りたし、服も借りてるし」
そのブレットが座すソファの肘掛に浅く腰を落ち着けたジョーが柳眉を潜めれば、Jは洗ってから返すね、とのほほんと笑った。ちなみに、ばたばたして中途半端になってしまったエアコン修理の仕上げを担当しているのはミラーと復活したハマーD。その下で、エッジはしくしくと泣き声を装いながら、床の後始末に勤しんでいる。
「週末は晴れるみたいだし、まとめて洗ういいチャンスだから」
「そうよね。やっぱり、乾燥機より太陽光で乾かしたほうが気持ちいいわよね」
窓の外は今日も雨。最近、すっきりとしない天気が続く。ひとしきり雨が窓を叩く様子を見てから、ソファでくつろぐ三人はコーヒーをのどに流し込む。
「エッジ、罰則追加。週末のみんなの分の洗濯、お前がやれよな」
「えーっ!?
それって関係なくねえ?」
「俺も賛成」
「ちょっ、ハマー!!」
ようやくパネルをはめ終わりエアコンを元に戻したミラーの宣告に、ハマーDも同調する。
チームの意見が割れた場合、主に決定するのはリーダーであるブレットの役目だ。助けを求めるように視線を向けてきた床の上の少年にちらりと一瞥を送り、それが妥当だろうとの最終判決。
エッジ、惨敗だ。
コーヒーに丁重に礼を述べ、修理に礼を述べられてJはアメリカチームの部屋を後にする。
しばらく行ってフロアの中央の廊下に出るところで、目と鼻の先を何かが疾走していった。
「待ちなさいっ!!」
「うわっ、やめろ!!
そんなもん振り回すなよー」
ドップラー効果を残して聞こえてくるのは、きっとオーディンズのジャネットとニエミネンの声。あそこの弾丸小僧はビクトリーズのかっ飛びエースとよく似ているから、きっとなにかやらかしたんだろう。微笑ましい気持ちで見送れば、ついと背後から袖を引く遠慮がちな指先がある。
「あの、機械いじるの、得意でしたよね?」
「え?
あ、うん」
じっと上目遣いに見つめてくるのは、藍色の髪が美しい可憐な美少女。
「うちのニエミネンが、部屋の照明を破壊してしまったみたいなの」
修理に来てくれないかしら、と。そんな澄んだ瞳で懇願されれば、断るわけになどいかない。なんというか、人間として。
乞われるままに了承すれば、マルガレータは心底ほっとした声で続ける。
「よかったわ。エーリッヒさんに頼もうと思ったんだけど、バスルームの洗濯機が調子悪いみたいって、そちらにかかりっきりだったの」
自分と同じく機械いじり全般を得意とする少年の慢性過労の原因は、チーム内にとどまらずこんなところにもあったのかと、妙なことに感心しながらJはオーディンズの部屋へと導かれる。
「あーっ、J!?」
部屋のドアに滑り込むより早く、廊下のさらに向こう側から、クールカリビアンズのメンバーににぎやかな声で呼ばれた。
「ちょうどよかった、そっち終わったらウチにも修理ね!」
「あっ、うちも寄ってほしいアルよ」
「まあ、大人気ね」
ひょこひょこと廊下に並ぶドアから追加される顔と声とに、マルガレータはふんわりとやわらかく笑う。
「博士に、連絡入れた方がいいかな……」
笑声と呼び声をBGMに、Jはこめかみを引きつらせ、忙しい一日の予感に駆られるのだった。
fin.