「今回はまともでげすから、大丈夫でげすから!」
「……信じるよ。平気だよね? いいんだよね?」
「絶対に大丈夫でげす!! わてが保証するでげす!」
土屋に頼まれた資料を探しに、ほんの十分ほど席をはずしただけだったのに、ミーティングルームではなにやらおもしろそうな光景が展開されていた。冷や汗を垂らしながら必死に言い募っているのは藤吉で、半眼で悟りの境地にすらいそうなのは烈だ。
「何があったの?」
練習後ののどかなひととき。所員から提供してもらったクッキーをむさぼっている豪と二郎丸はさておき、Jは状況を一番手っ取り早く説明してくれるだろうチームメイトの隣に、足音もなく歩み寄る。
「ハロウィンパーティーだ」
「パーティー? また鉄心先生の企画?」
「チイ子ちゃんから、招待状が届いたんだ」
言葉がいささか足りないリョウに小首を傾げれば、烈が首を回しながら補足を入れてくれた。見れば、机の上にはピンクのかわいらしい封筒と便箋が置かれている。
「なんでも、交流イベントも兼ねてレースとパーティーをするんだって」
「今回はちゃんと、わても企画書を事前にチェックしたでげす」
なるほど、とJは心の中で頷く。チイ子が絡むイベントは、大概とんでもない落とし穴が待ち受けている。烈はそれを危惧していたのだろう。横合いから口を挟む藤吉も普段からとんでもないイベントをいろいろと企画してくれるが、彼の妹はこと烈が絡むとなるとその比ではないのだから、無理もない。
「他のチームの子も招くんだね」
さっと便箋に目を通し、Jは「おもしろそうだね」と微笑む。
「頼むでげすよ烈くん。チイ子も張り切っているんでげす」
「別に嫌だなんて言ってないよ」
ちょっと過剰に警戒しているだけで。
それでも、年下の兄弟によって多大なる苦労を被っている気持ちは、烈にだって痛いほどわかる。藤吉の苦渋に満ちる表情を見て、すぐ脇にたたずむ年長二人組に話を振る。
「リョウくんとJくんは? 参加する?」
「俺はどちらでもかまわないが……」
「ボクも。特に予定もないしね」
「はいはーいっ! おれ行きたい!!」
「オラも行ってみたいだす」
クッキーにしか関心がないのかと思いきや、意外とそうでもなかった年少組からは前向きな返答だ。
「じゃあ、そういうことで。お邪魔していいかな?」
「ありがとうでげす!!」
心底ホッとした様子で肩を落とした藤吉を、Jが「よかったね」とにこにこ慰める。平和でありきたりな、いつものひとコマだ。
烈の懸念をよそに、パーティーは最終的に、三国コンツェルンが全面的なバックアップを行った町内のイベントへと発展していった。せっかくWGPのおかげで国際色が豊かなんだし、と原案を提案したのはレーサーを抱えるインターナショナルスクール。そこにFIMAが悪乗りをしてレースを盛り込み、話を聞きつけたチイ子が企画していたパーティーをそこに盛り込んだらしい。
参加自由の一般レーサーも入り乱れてのレースを制したのはミハエルだった。マシンのスペックの差を埋めるため、WGPレーサーは市販のマシンをその場でアレンジしての参加だったが、やはり天才は天才か。
そのあとは、おのおのが仮装をして町内に設けられたポイントを回ってスタンプラリーをしながらお菓子をもらい、インターナショナルスクールを全面解放しての大掛かりなパーティーの予定だった。
日ごろ何かと忙しいWGPレーサーたちの衣装は、チイ子がちゃっかり用意をしておいてくれた。プロデュースがチイ子と聞いて一様に青ざめたメンバーも少なくなかったが、くじ引きに従って衣装を取り替えてみても、そんなに妙なものではないと、Jはそう思う。
「うわあ」
着替えを終えて外にでてみれば、いつの間に準備したのか、薄闇の中にはジャック・オー・ランタンがあちらこちらでほのかな明かりを提供している。どこか幻想的な光景に、思わず感嘆の声を上げていたJは、横合いから響いてきた声に視線をめぐらせた。
「Jくんはまともなんだね」
「烈くん」
Jが身に纏っているのは、衿元がいささか華美ではあるがシックな黒燕尾。上から、裾の長い紅い裏地のマントを合わせている。牙が省略してあるのでいまいちわかりづらいが、いわゆるドラキュラ伯爵だ。
「烈くんのコンセプトは――」
「王子さま、だってさ」
ふっと視線を泳がせた烈は、もはや投げやりを通り過ぎて自暴自棄だ。お約束のかぼちゃパンツと白タイツが実によく似合っているとは、決して声に出してはいけない。胸中を正確に察して淡い苦笑を浮かべ、Jは焦点を着替えたレーサーたちが次々と姿を現すドアへと定める。
「でも、豪くんよりはましなんじゃない?」
「まあ、ね」
魔女の仮装をしたジュンにからかわれて真っ赤になっている豪は、かわいらしいフリルのスカートをはいている。
「アリスかな?」
「二郎丸くんはチャシャ猫だね」
豪の隣でジュンと共に豪をからかっている猫耳の少年を冷静に分析するその視界の隅には、他にも色とりどりの衣装を纏ったレーサーたちが映る。藤吉が言っていたとおり、今回はかなりまともな衣装ラインアップだ。
『みなさま〜』
と、ざわめいていた空間に、甲高い少女の声が響き渡った。
『そろそろスタートですわ。でも、せっかくの機会ですので、WGPレーサーのみなさまにはまたくじを引いていただいて、その番号で出たパートナーと、町内を回ってくださいませね〜』
見れば、チイ子がマイクを片手に、その小さな体をいっぱいに伸び上がらせながらアナウンスをしていた。
「わざわざくじ引き?」
「ああ、交流イベントだからね」
いつものメンバーとばかり固まっていないで、他の子たちとも接点を持てというのだろう。烈のいぶかしげな声に答えながら、Jはほら、とチイ子の周りにいる子供たちを示す。
「きっと、ボクらだけで固まらないようにって、他の子もくじを引いているんじゃないかな?」
ファンを交えた交流イベントにすれば、地元にも貢献できる。パーティーなのだから子供たちにはもちろんおいしくて、FIMAも宣伝効果を得られる。実に良くできた構成だ。そんな大人の事情をさっと考えられてしまう自分に少しだけ苦笑を漏らし、Jは箱を持って回ってきた彦三からくじを受け取る。
「何番?」
「青の十一番」
覗きこんできた烈にひらりと紙を示せば、烈は残念、と示し返してくれる。
「僕はオレンジの二十五番」
『自分と同じ番号を引いたパートナーを見つけたら、ラリーカードを持ってスタートしてくださいませ〜!!』
ひとしきり仕切りが終わると、チイ子はすったかと烈のほうへ駆けてきた。
「烈さまは、何番をお引きになりましたの?」
「二十五番だよ」
「まあっ!」
頬に両手をあて、普段よりも一段とフリルの多い見事な衣装に身を包んだチイ子は、満面の笑みを浮かべてくれる。
「それでは、ご一緒ですわね! さ、参りましょう」
「え?」
返答を口にする暇もなく、烈はチイ子に腕を引かれてJの元から連れ去られてしまった。邪推かもしれないが、偶然の結果とは思えない。どこかで仕組まれていたんだろうなあと、人事のように烈はぼんやりと考える。
幸せそうな微笑を浮かべるチイ子に水をさす気にもなれず、Jは淡い苦笑を浮かべて引きずられていく烈に「いってらっしゃい」と手を振った。
ざわめく会場内で、大まかに番号分けをされた区画に赴いてみれば、そこにはこれから出かけようという様相の、ジョーとエーリッヒの二人がいた。
「よく似合ってるじゃない」
「そっちこそ、とっても可愛いと思うよ」
ジョーは三角帽子とほうきを片手に魔女の出で立ちで、そのとなりにたたずむエーリッヒは狼男だ。目ざとくJのことを見つけたジョーの言葉に礼を添えて返せば、日ごろなら「かわいい」という単語にあまりいい顔をしない彼女が、ぱっと表情を明るくさせてくるりと回ってみせた。
「本当? 良かった。エッジったら、毒リンゴのかごが足りないなんていうのよ!」
憤慨している様子のジョーをなだめ、エーリッヒが行こうかと促す。
いつも大人びて落ち着いた彼らも、今夜ばかりはどこか浮き足立っているようだ。欧米育ちの彼らにとって、これは肌に馴染んだイベントなのだろう。「あとでね」と笑い合って出発した二人を見送り、Jは小さく息を吐く。
人が多すぎる。このまま闇雲に動き回ったところで、パートナーは見つけられないだろう。もう少し、周りが出発するのを待ってから探したほうが得策かもしれない。大人数でごった返している中、邪魔にならないようにとひっそり隅に身を寄せ、見るともなしに会場を見渡す。
豪はミハエルがパートナーだったらしい。愛くるしい天使の仮装をしたミハエルは、どこか神々しくすらある。今日のレースのことに関して言葉を交し合えば、すでに自分が女装をしていることなど忘れ去ってしまったのだろう。実に軽やかな足取りで街中へと繰り出していく。フランケンシュタインのブレットと連れ立っていくのはシュミットで、どうしてもカイから離れたくないらしいサバンナソルジャーズの面々は、それぞれのパートナーを巻き込み、大所帯となって動いている。
「十一番?」
のんきに周囲の様子を観察などしていたものだから、自分に向けられている視線には気づかなかった。すぐ脇で小首をかしげていたのは、マルガレータだ。妖精でも模しているのか、ふわふわとした白のドレスが実によく似合っている。
「うん、そう」
「良かった。もしかして、いたずらされているのかと思ったわ」
ふふっと微笑む彼女は、いつもきっちりと編みこんでいる髪を下ろしている。印象があまりに常と違い、Jはきょとと瞬きを繰り返した。
「気をつけなくちゃ。今夜は、魔女や悪魔が悪さをしにくるのよ」
ひょいと目を覗き込まれ、Jはようやく戻ってきた思考回路から軽くおどけた調子の言葉を選び出す。
「じゃあ、ボクは頑張って、可憐な妖精さんを守り抜かないとね」
「そうね、ぜひお願いしたいわ」
軽やかに切り返し、マルガレータは手に持っていたやはりふわふわとした小さなポーチから小さな手帳を取り出す。
「はい、これ。注文票」
「ありがと」
「カメラの準備は?」
「ばっちりだよ」
にこにこと微笑みあいながら、二人は出発のため、用紙を受け取り町の中へと足を踏み出す。楽しそうに語らう様子は他の子供たちと大差ないが、会話の内容は実にどす黒い。なんともよろしくない空気がびんびん出ている。
注文票と称された手帳には、ターゲットと枚数がきっちり一覧にされていた。Jの秘蔵コレクションを買い付けるお得意さんたちに、マルガレータがさりげなくアンケートをとった結果だ。まさか、こんなところで情報が漏洩して彼ら好みの商品が用意されていようとは夢にも思うまい。
「君がパートナーで助かったよ」
それ以外の人間がパートナーでは、実に仕事がやりづらかった。先日の運動会をきっかけに助手を買って出てくれた少女は、かわいらしい表情の裏にいい感じの毒を孕んでいる。
「本当はニエミネンだったんだけど、通りすがりのレツ・セイバに、あなたが十一番だって聞いたから」
「そっか、良かった」
ああ、彼女は自分と同類なんだと、しみじみ実感してマルガレータの優秀さに感動を覚える瞬間だ。助手という名目ではあるが、そんな上下関係など二人の間にはない。いまや、かけがえのないパートナーだ。
「で? どこから回るの?」
優秀な助手の問いかけに対し、先ほど受け取った手帳を睨みながら、策士は考え込みながら唸る。
「全員分を網羅するのは無理だから、需要の高い烈くんを追いかけたいんだけど……」
「じゃあ、あっちね」
ぐいと腕を引かれ、Jは問うような視線をマルガレータに向ける。
「大丈夫。チイ子さんから、デートプランはばっちり聞きだしてあるわ」
いたずらっぽいウィンクを向けられ、Jは降参の意を込めて両手を軽く挙げてみせる。
「さあ、頑張っていい画を撮りましょうね」
「そうだね」
ハロウィンパーティーは、まだまだ始まったばかり。
町中に散っていった色とりどりのおいしいターゲットたちを収集するために、二人は軽やかに駆け出した。
トリックもトリートも、すべてを一緒くたにして駆け巡る時間。
ジェリー・ビーンズを探して歩き、ジェリー・ビーンズを頬張って笑う。
策士たちはほくそ笑むけれど、走り回るその瞬間は、彼らとて子供の笑顔。