ふんふんと上機嫌に、二人がけソファを広々と陣取って鼻歌を歌う彼は、今日は非常に機嫌がよかった。
いつも基本的に、テンションは高め機嫌は良さげ。軽くてリズミカルなノリを愛しているが、沈むことだってあるしクールな一面も持ち合わせている。だが、今日はそれらが一気にどこかに吹き飛ぶくらい、上機嫌で乗りに乗っていた。
「なにやってるの?」
「見てわかんねー?」
「なんとなく察しはつくわ。だけど、ここで確認をして、間違ってたら拗ねるでしょう?」
「さっすが、オレのこと愛してくれてるだけあるね。おジョーさまったらよくわかっていらっしゃる」
「愛しついでに、覚めない夢を見せてあげましょうか?」
いまなら天国までノンストップ三秒なり。
身をくねらせて混ぜ返したエッジは、後頭部に感じた鉄拳制裁の予感にピシッと背筋を正し、そこではじめて声の主を振り返る。案の定、そこにはチームの紅一点の不機嫌顔。
「そうやって率先してしわ作ってたら、消えなくなって、あっという間に老け顔だぜ?」
「かわいい顔が台無しー」と親切な忠告をまず口にすれば、眉間に痛烈なでこピンを一撃喰らい、視界には星が散った。幼い頃から夢見ている宇宙は、意外と身近にあるのかもしれない。
「で、毛玉遊びは楽しいの? エッジ・ブレイズくん?」
眉間のしわはコンマ数秒の勢いで消し去り、ジョーはこの上なく艶やかな笑みを添えて、額を押さえてソファの上でもんどりうっている赤毛のチームメイトを冷ややかに見下ろした。
極力プライベートな関係には立ち入るべきではないとのスタンスを取る彼らのチームリーダーはちらりと目線を一度寄越したきりで、窓際の陽だまりで、辞書を片手にクロスワードと格闘中だ。日本語にだいぶ慣れてきた昨今では、エッジやジョーにはまったくもって理解不能の、漢字のみのクロスワードにも挑戦しているのだから嫌になる。これだから天才というのは。
「毛玉遊びとは言ってくれるよなあ」
「だってそうでしょう?」
鼻歌交じりに実に上機嫌に毛糸と戯れている姿は、どうひいき目に見積もっても楽しんでいるようにしか見えない。時節柄を考えてか、響いてくるのはクリスマスソングメドレーだ。もっとも、素直にメロディーパートを歌えばいいものの、ハーモニーパートで歌うあたり、エッジの内面のひねくれっぷりが透けて見える。
過剰に痛がっていても、ジョーの不興を買うだけである。眉間にしわが戻り始めたところでするりと表情を元に戻し、エッジは机に置き去りにされていた毛玉、もとい作業中の毛糸と編み棒を手に取る。
「どっからどう見たって、編み物だろ」
こう見えてオレって器用だから、と片目を瞑ってみせれば、ジョーはソファーの背中側から、エッジの隣にくてんと体を倒して上目遣いにその制作中の作品を見やった。
「知ってるわよ」
ジョーも別に不器用な方ではないが、編み物だの裁縫だのといった作業よりは、機械をいじる方に向いている。気づけばくたくたになっているやわらかな素材よりは、きちんと形を保ち続ける硬い素材のほうが性に合うのだ。自覚はあるし、ジェンダー差別は心底嫌いだ。それでも、やはりお年頃の女の子。女の子らしく、編み物の一つや二つ、さらっとこなしてみたいという願望がないわけではない。
作業に戻ったエッジをぼんやり観察しつつ、ジョーは内心、こっそり嘆息する。彼のこの、いっそ無駄なほどの器用さをうらやましく思うのは、これが初めてではない。
そもそも一体、どこでいつの間に編み物スキルなど手に入れたのだか。
自分のもとに編み物のやり方を教えて欲しいといってきたのを断ったのはつい先日のこと。それからろくに時間も経っていないのに、慣れた様子で編み棒を操っている。
エッジがこの短時間でマスターできるのなら、それなりに時間さえかければ、きっと自分にもできる。暇があったら、今年こそリベンジして手袋の一組ぐらい編み上げてみよう。
年末の目標をひとつ追加し、ジョーは改めてエッジの手先を見やって口を開く。
「なにを作ってるの? マフラーじゃなかったの?」
「んー、ショール。変更したんだ」
エッジの編み物の目的は、前提である。今度の週末に行われることになったクリスマスパーティーにちなんだ、ファンサービス用のプレゼントだ。別に全員で取り組んでもよかったのだが、それなりに本業のカリキュラムも忙しかったため、じゃんけんで担当を決めたのだ。
せっかくのプレゼントなのだから、と街へさっそく繰り出したエッジは、自分の思い描くものがなかったため、ならばいっそ手作りでと、こうして毛糸と編み棒を購入し、せっせと編み物に勤しんでいる。初めは季節柄、マフラーの予定だったのだが、ショールの方が何かと用途が広いかと思い立ち、途中から変更したのだ。無論、折りたたんでマフラーとしても使えるように、薄く、広く、長く。
テンポよく紡がれゆく編み目が、アッシュグレイの文様を織り成していく。
「プレゼントはこれだけ?」
「まあ、これだけだとちょっと寂しいと思うんだけどね。ジョーならあと何を付け加えて欲しい?」
「自分で考えなさいよ」
「そこはやっぱり、女の子の感性ってヤツも参考にしたいじゃん?」
いつになく真摯で穏やかな表情を浮かべて告げられ、ジョーはほんのりと頬が上気するのを感じる。女だから、という目で見られるのは嫌だったが、いつでも対等に扱ってくれるチームメンバーに改めて自分を女の子扱いされるのは、それはそれでくすぐったい。
「でもなあ」
ひとり頷いて黙々と手を動かしていたエッジと、それをぼんやり眺めるジョー。
実に平和で穏やかで、どこか老熟さえした空気が室内を暖かく満たしていたところに、ふと手元から目を上げたエッジが口を開く。
「やっぱマルガレータとかに聞いた方がいいかな?」
「オーディンズの? なんでよ」
「だってほら」
至極真面目な表情で両手を膝の上に置き、エッジはじっとジョーのことを見つめて言の葉を紡ぐ。
「おしとやかで優しくておとなしくて可愛くて、どっかの誰かさんよりずーっと女の子っぽいじゃん?」
しかも、編み物を教えてくれたのは彼女だし。
それらの単語群の末尾には何かを殴りつけたような鈍い音と「ゴフッ」というくぐもった音が付随される。
「……お前、殴られるのが好きなのか?」
「んー、ほら。赤鼻のトナカイって、いじめられるもんじゃん?」
足音も高らかにリビングを立ち去るジョーの背中を見やり、ようやくクロスワードから目を上げたブレットがエッジに問えば、ソファに伸びながら彼はへらへらと笑う。
「お前の場合、いじめられるようにもっていっているんだろ」
フォローをして回るのは誰の仕事だと思う、と嘆けば、慣れた様子で「感謝してます」と返される。
エッジにとって、ジョーをからかうのは平坦な日常へのちょっとしたスパイスのようなもの。お互いにそれは了解済みなのだろうが、からかわれれば結局ジョーは拗ねるし、エッジは反撃によって肉体的ダメージを負う。そして、すべてが過剰にならないうちに裏方に回り、適度なところで収めるのはリーダーであるブレットの役目だ。
「赤鼻のトナカイたちを扱うのは大変なんだぞ」
「知ってるよ。頑張ってね、サンタさん」
いずれも譲らぬ個性派ぞろい。バイザーのよく似合うアストロレンジャーズのサンタは、赤毛のトナカイの軽やかな励ましに、もう一方のトナカイをなだめにいくべく、ため息交じりに辞書を閉じるのだった。
トナカイをまとめあげるその手腕如何で、一晩にどれだけの子供たちに夢を配り歩けるかは決まってしまう。
国際規模でレーダーによる監視をされているのだから、無様な姿は晒せない。
これもカリキュラムの一貫だと、もはや口癖になったそれは諦めと同義の言葉。