スコルダトゥーラ
 ふわふわとした感触が心地よくて、Jはゆるりと唇の両端を吊り上げた。
 幸せであたたかい夢を見ていた気がする。ひどく満たされた気分で、漂う薄闇が心地よかった。
 もっともっと、と貪欲に叫ぶ胸の内に応えて、もぞもぞと姿勢を変える。もっと満たされたい。もっと近づきたい。そう思って身じろいだのに、肩の辺りに感じていた、ぬくもりが刻むテンポが不意に離れる。
 悲しくて寂しくて、意識がふっと表層に近づく。深い深い闇の中から、瞼が薄明かりを感じるほどまで。そのまま目を開けようかと思ったけれど、今度は額にぬくもりを感じて、意識は再び闇の中へと沈んでいく。
 ゆるゆると髪を梳く誰かの手。
 はじめはひやりとしていた指の感触が、だんだんぬくまってくるのが幸せだった。そっとそっと、規則正しく触れてくれるぬくもり。
「お誕生日、おめでとう」
 何層もの泡の向こうから響くような、不思議に遠い音だった。
 ぼんやりと薄らいで、滲んで、曖昧に溶ける音。近くて遠い、やさしい音。
 髪を梳いてくれる指先は、ぬくまったけれどもまだひやりと冷たかった。
 やさしい音は、もう聞こえることはなかった。
 でも、ずっとそこにいてくれて、ずっと触れていてくれて。
 どんな贈り物を受け取ったときより、どんな祝詞を手向けられたときより、ひどく満たされた気分でJは薄闇に身を委ねる。
 今日という日の終わりに、あなたが傍にいてくれることが幸いなのだと。
 そして目覚めたときに再び出会えることこそが、何よりの幸いなのだと。
Fin.


幸せな夢をありがとう。
あたたかな夢をありがとう。
そして、だから。あなたにもっと近づきたくなる。

スコルダトゥーラ --- ヴァイオリン属の弦楽器において、楽器本来の調弦法とは違う音に調弦すること。
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